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out of our experience with water melon group & skylab sound system


1月13日今日は日本が世界に誇る音楽家、中西俊夫氏の誕生日である。
そんな記念すべき日にこの記事を挙げたい。
まあ、記事書いてるうちに日跨いじゃったけど。。
時は2001年に遡る。

(これは中西俊夫氏がデザインした当時のポスター
筆者はこれを何本も手に関西中のCD屋、レコード屋さんに貼って貰える様、頭を下げて回った。
自分達のCDがリリースされた時も同じように回ったが邪険に扱われる事も多かった。しかし中西俊夫氏の書いたポスターはどこでもすんなりと貼らせて貰う事が出来た。因みにこの画像は16年後の2017年頃にskylabのマットデュカスとFBで知り合い、当時のポスターをロンドンまで送ってあげた際、律儀にお礼として投稿された画像である。ロンドンまで物を送るのに1ヶ月はかかるのかあ〜と思ってたらポスターは意外と早く届いたそうだが額装を探すのに時間がかかったそうだ。マットはSNS上でも素顔をあまり晒さないので非常に貴重な一枚)


2001.11/30

11月の寒いある日、京都。
僕は機材を降ろすとクラブの前に停めっぱなしの車を何処に駐車すべきか途方に暮れていた
この問題を早く片付けないとリハに間に合わない
そこに他のメンバーや大阪からわざわざ来てくれた友人達に取り囲まれる
彼等は大阪でチコ ポレポレというトランス系のバンドをやっていてよく味園ユニバースのパーティに出ていた人達だ
今は何をしているのだろうか?

当時、僕がバイトしていたエスニック料理屋さんの繋がりで彼等もカンテ グランテでバイトしている人達だった

彼等とはよく西九条のsoft machineに遊びに行ったなぁ

カンテ グランテはトータス松本など大阪のバンドマンが働いていた伝説のカレー屋さんだ

”今日何時から?”
お決まりのセリフがどちらからも飛んでくる

一方は リハは何時からなのか?というメンバーからの問い

もう一方は 今日の本番は何時からなのか?という友人達からの問い
(お前達のバンドは何時から?なのか?と、お目当のwater melonは何時からなんだい?というダブルミーニングが含まれている)

どちらにも答えられない

私は今まさにあの地獄の様に重いシンセやサンプラーをあの会場までとりあえず放り込んだだけなのだから、、

(筆者がこの日持ち込んだ機材。。。
akai MPC2000
roland MC303
casio CASIOTONE CT701
tascam 564)

今だとSDカード1枚に収まるであろう音を
約50kg以上の機材を運んでいたのだから未来とは残酷である。。

しかも今からステージに行ってそいつらをセッティングするという一大事(配線地獄!)が待っているのだ!

この日のタカダスマイル曰く
OEはまるでポジパンの生き残りみたいな髪型してるな〜って、
ああそうですよ

(関西グラインドコアの大名盤!825/rise from the deadのベーシストだったヤンボー君はその後ソロアルバムをwarm interfaceレーベルやtag ragからもリリース!)

(rise from the dead脱退後、突如squarepusherに匹敵するソロアルバムを作りしかも!squarepusherで有名なレーベルからリリースしたヤンボーくんのやっていたソロユニットBARAKI)


元RFDのヤンボー君は後ろの方でwater melonのライブを見ていたので最近モジュラーシンセを手に入れた話をしてみたが、”今の俺にはちょっと遠い話やなぁ”だって。
彼らしい返答が返って来た(言いそうw)
KARMAっていうオールインワンのキーボード知ってるか?
それなら無人島でも曲が作れるから
そいつが欲しいと力説してくれたが
無人島には電気は無いから無理じゃね?
と内心思うが流石はヤンボーくん!
と妙に納得させられる
そして中西俊夫さんは一緒にやってみたいミュージシャンの1人ではあるなぁって
おおっと。
彼だから言えるセリフも飛び出す

2bunchのyohei君はDJでいつもよりも気合いが入ってる選曲だった気がするし、

(大阪のclubダウンでレジデントを務めていたyohei氏と元manaのドラマーkazuyaのabstract hip hopユニット2bunchの名盤!mo' peace ringは当時ヴァイナルのみでリリースされて仲間界隈の度肝を抜いた)

フロアには今日の音楽に何ら縁もゆかりも無いであろうナンパ目的の大鶴義丹まで居るし!w何しとんねん!
SKYLABのマットデュカスがDJでフロアを温めている。確かdoorsのbreak on throghとかかけてたな。

あの実験的でquietなslylabからは想像つかない選曲だし、意外だった。

(SKYLABの#1はエレガントで実験的な本当に美しい作品。恐らくこの曲のギターは中西俊夫さんだろう)

僕はskylabの大ファンだったのでこの日の為にサインを貰おうとお気に入りのレコードを持参していた。
中西俊夫さんにサインを貰おうとしたがライブ前だからピリピリしていたのか断られた。。
タイミングを逸してしまった自分が物凄く情けなかった。今だったらもっと適切なタイミングを見計らう事が出来たんだろうが当時の僕は若かった。
そこへDJを終えたマットが通りがかったので
彼にサインをお願いしたらマットは快く引き受けてくれた。

(10数年後その事をFBに上げたら彼はこの事を覚えててくれた!しかし、サインはfrom SKYLABとある。マット的にはSKYLABは中西俊夫さんのバンドであるという事なのかな?andy weatherall mixとnobukazu takemura mixが大好きで自分でもDJの時に使いまくっていた名盤!)

(andy weatherall mix)

(nobukazu takemura mix)

そんな事もあったが、この日は
確かバイト先のマメちゃんていう女の子がポラロイドを持って来てて、そいつを借りてバンドのプロフィール写真を1人ずつ撮ったんだと思う
清水くん(softのギタリストでmanaのギタリストも兼任)は椅子に偉そうに座るポーズが決まってたなぁ

この時のメンバーの写真が1番自然で好きだったなぁ

こんときは自分がカメラマンになるなんて思いもしなかったなぁ

僕は確かsun raのt-shを着てて、清水くんがやたらそれをカッコいいと言ってくれてた

その当時の僕ときたら電子音楽ほっぽり出してほぼjazzしか聴いてない状態だった

pon2(softのドラマーでmanaのドラムも兼任)曰くこの前、神田くん(元SOFTのスティックベース奏者で元オリジナルラブ)に会ったらanthraxのレコード探してるって言ってたわー
ってのを聞いた時には
それは相当に理解不能だった。。
(当時はねそういう時代でした。)

(この頃はsoftはotodamaというアルバムをリリースした頃だったと思う。これも大名盤!)

リハの時には清水くんが大量すぎるペダルがエフェクターケースに入りきらないので
シンセのケースにペダルを満載してるのを見て俊夫さんが興味しんしんで覗き込んでいた

water melonのベースにケンちゃん(manaのベーシスト)が抜擢されて付け焼き刃な練習をさせられその場で曲を覚えさせられる罰ゲームみたいな展開に。。

(名盤ですよ!)

group of godsの
gen tamuraさんがとてもわかりやすく指導してくれてたので本番でも確かケンちゃんはとちらずに最後までやり遂げていた!
僕はいつもケンちゃんが1番心配だった

この人、普段から人に教えてるのかなあ?
何か持ち上げて乗せるの上手くね?
しかも、ケンちゃんまんまと乗せられてるし!とか思ってたけど

んで1番ビックリしたのは
moon shakerの時に我等のチサトちゃんが出て来て真っ赤な衣装だったかな?
マラカスふりながら踊って出て来て歌い出した時に❗️初めて

えっ!?
あのフレーズってチサトちゃんが歌ってたの?
ってなったww

(water melonのmoonshakerの女性voは僕のバンドのvoが歌っていた!とその時初めて知った。。)

もうかれこれ3、4年近くバンド一緒にやってるのに、、
そんな事も知らなかった自分が情けなくなるが
そもそもチサトちゃんには当たり前の話かもしれないが僕等にとってはスゲい話なのである
しかしチサトちゃんはだいたいシレッと話すから

ふーんそうなん、、

えっ?!!
なんだってえ?!

って事が多々あったw
five thirtyの事とかpalm skin productionの事とかLUSH(今や伝説ダゾ!)との事とかnatural calamityの事とか
secret goldfishの事とか、james lavelleや
norman jayの事とかgiles petersonの事とか!挙げたらキリがないわ!
(あまり詳しくは書けない)

この日は
確かP.A.にはナナさんが来てくれてたのかな?
S.E(電子音)を下げ過ぎる傾向があるので
この日のサウンドチェックは戦いだった記憶がある
何度もフロアに降りて行ってP.Aブースまで行き、もっと上げないと意味が無いんだ!って押し問答を繰り広げたおかげでこの日の音のバランスはとても良かった記憶がある

ライブ後にタカダスマイルからスーパーカーみたいだったとお褒め頂いたが
自分達はとにかく他の何かと比較される様な何かをやってるつもりは無い!って思っていたので、それが褒め言葉であっても何か腑に落ちない気持ちがあったが、
まぁ、ちょっとは売れて欲しいという野心も持ち合わせていたのでそういう風に見られるんだぁと少し不思議だった

ある子は私が昔聴いてたグランジみたいだったって言ってたなぁ、この日の清水くんのギターはかなり歪んでいたし、そういうの珍しかった
ある友人はshoegazerみたいだなって言ってた

僕達は決してそういう”何か”を模倣する事は無かった

water melonのライブ自体は最後の方で俊夫さんが暴走して延々とROCKなインプロビゼーションを長〜い事やって客を疲れさせていた記憶がある
最高の演奏だったけど
今でもその時のコード進行を覚えてるし

(後にあの曲はlink wrayのrumbleだと知る)

ドラムは椎野さんで
いくつかの機材ケースには
UAの文字があって
それがとても印象的だった
チサトちゃんはずっと
黄色い声で
椎野さーんコールをしていたっけ

この日に撮影されていたビデオは何故か細切れになっていて音楽がぶつ切りになっていた。。
撮影を頼んだショウヘイ(後輩)が変にアート心を出しカットしまくったせいで。。。
しかも先輩である私、筆者はほとんど映ってない。。一瞬、ベルを振っている姿がちょろっと映る程度。
後日、中西俊夫さんはガッカリしていた
というオチ付きの
とにかく破茶滅茶な一夜だった

(MANA)

(water melon live at kyoto 2001)

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