脱コルセットとシャネル

脱コルセットというのがよくわからない。

脱コルセットというのは、脱コルセットとして自分のなかでコルセットをやめて解放してしまおうという旨なのはなんとなくわかっている。ココシャネルがコルセット大嫌いで、延々とそれをやめて服飾の展開をしていたのは熟知している。

ココシャネルが好きだ。

別名でいうとガブリエル・ボヌール・シャネル。孤児院で針仕事をして、フランスからパリへ出て、歌をはじめてキャバレーへ出たというので、なんとなくカッコいいから好きなのだ。いくつも名言を繰り返して、ワンフレーズだけをキラキラ一言返すそのことばが大好きだ。そのうち家を出て貴族の愛人をしていて、好きな人ができてお金を稼いで、その男のひとは帽子や屋を経営するために第一号店をパトロンとしてはじめた。彼は教養を教えるために大好きな詩や哲学をそのノートにしたためて、好きな白い花とともに贈った。そのアーサー・カペルという男性はこう言うのだ。

「玩具を与えるつもりだったのに、君には自由を能えてしまった。」

しびれた、本当にしびれた。
なによりパトロンとしてお金を出すはずで、見事に彼へ返してしまうその与えてしまう玩具が相当にしびれた。自由を能えたというのもとてもいい。うまく人として自由を勝ち取れたそのさっさと素早く歩いていくのがいい。その後アーサーは交通事故で死んでしまうのだが、高低差を感じられるそれがいいのだ。だいたい、私はシャネルを愛している。めり込んでしまったと落ちてしまったと思うほどに。

シャネルはコルセットは嫌いだとそう言していた。男性社会が女性として頭を垂れるようなやり方で気に入らないとそう言う。実際私にとってへぇ~とうなずいて、なるほど知らんけどとお鼻を深追いするだけのやり方でしかないので、そんな風に納得するしかできない。実際、わたしのコルセット観においてはギュッと絞った腰においてはそれはそれは美しく感じている。ディオールのニュールックはシャネル的にブン殴ろうとさえ感じるけど個人的にはきれい。気絶するコルセットって言い方はまあなんとなく仕方ない。ないほうがいいよねって思うだけであり、コルセットは単に美しいとおもうだけ、それだけ。
女性関係の脱コルセット関連の情報を集めていた人には申し訳ないなあとはちょっと思う。みんなごめんね。

ただ、シャネルであれば、そんな風に気に入らないコルセットだろうけど、模造品の真珠を何重にも飾ったネックレスより「あれ一粒でどんだけ価値があると思ってんのよ」とダイヤモンド一粒でメチャクチャに売り出した。コルセットにかけて何らかの価値を見いだしたに決まってる。90年代の何らかのブラックドレスにはコルセット的なサッシュベルトをつけていた。ラガーフェルドが作成したんだっけなあれ。よくわからないけど。
なんとなく、シャネルスーツであったとしても、とにかくコルセットをやめたりはしなかった。はあ?鼻につくわ、好かんみたいなやり方、どちらにせよ好きだしスカッとするのが私が好きなパリのシャネルである。

パリ、ドイツ的なやり方でしかあんまり好きじゃなかったけどねシャネル……対独協力者みたいなやり方でしか好きになれなかったしね……ニューヨークがいちばんのお立ち台だったけどね…………

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