頭の中のふんわりした毛布

こんにちは、夢女です。夢女でありレズです。お久し振りです。

前回、夢女を兼任していたにもかかわらず、レズとしている感じを受けて、そうしたことをわかっているような風を受け、似たような記事を書いていたような気がしていました。わかると口にし、わかりを得て安室透とリドルローズハートの夢を見て夏木マリのヒモになりたいと思い願う人間でした。夏木マリのヒモになりたいのは今もです。夏木マリのうちの寝床にゴロゴロしたい。

私は今現在、脳卒中を患っております。


ずいぶんと前、コミッションのためになにかできることがないかと考案しながら絵を描いたことがあります。パソコンをつかいながら、いろいろな依頼を受けながらそうして女の子を書いていたことがありました。

それがすべてなくなった訳です。頭がぼんやりとしていきなりビリビリとしびれを受けて、妹に連絡して入院したのはそうした敬意です。夢小説でもレズでも何でもねえ、ふんわりした状況でふんわりしたお世話を受けて、ふんわりした毛布のような処置と薬を飲み下させてもらいぼんやりとしております。今は頭が働かずぼんやりしてしまい、食後に落ち着く効果のあるセロトニンを飲んでいます。私は死ぬのかとずっと考えていたわけですね。どうにもならんもうどうしようもない。8月にスマホを購入させてもらいました。ツイッターで毎日毎日嘆いています。

上手く泣きまくって大号泣の末に、もうおしまいだどうしようもないというように考えてただ泣くだけでした。親や妹を家へ帰りたいとどうしてじぶんはこうではないのだと思うばかりです。左が自在に動くだけで、左の麻痺がほとんどでしびれるようになってしまっただけで、うとうとと眠るせいで右手が動くだけの夢を見ていました。

泣きながら動いてよかった、私はもうましな人間なんだ。箸も動かせれば文書もかける。絵を描くことができるからです。


もう絵を描くことができませんでした。


ぼうっとした絵の中で、ずっと何かに泣きわめいていたことがあります。絵が描けない。右手で絵が描けない。自分の中でボロボロのボーッとした神経のなかで明らかに何かが違うことがある。

絵が描けない。右手が麻痺のせいで握ることもできない、なめらかに線を引くことができない、かわいらしい睫毛に二重の重なった赤い二つの目を描くことができない。唇の透明な色が描けない、頬の薔薇色が描けない、台無しでした。

8月の当初は泣いたままでいることができました。泣いてればいくらでも描くことができるからじゃないだろうか、家にすることと言えば少なからず夕食を作ることと絵を描くことしかない。それしかできないから泣くしかないので簡単でした。

10月のころ、やっと杖をついて歩くことができました。なんとなく思い込んで頭の中がすっきりとすることができました。そうしてかんがえるわけです、自分の上手くできること、文章が上手く書けずにかんがえること、延々と料理ができなくて考えていること、絵が描けないこと。

絵が描けずにいるのは当たり前でした。それでも絵が描けないのは当たり前でした。何らかの自分にそうしたスキルができないのは当たり前で、無理かななんとなく、と考えたらまあそうかもしれないなと思えるからです。そのときになにができないのかは目を見てわかるわけです。スマホで泣きながら誰かを慰めていました。当たり前ですよ慰められるのは私なんですから。できないことで字を書けるのは当たり前で短いスキルのなかでそうしたことはあたりまえなので。

あるとき、リハビリの職員さんが驚いて話したことがあります。「左手で字が書けてる。」

リハビリで字を描くことがありました。

実際、左で字が書けることは当たり前で、何度か曲線のようなものを書いたことはあります。もしかしたら実際やってみたところ曲線だけは書けたようです。

泣きました。もう泣いて泣いて、もしかしたらといくつ字を練習して曲線をただなぞったことかがわからないくらいに字と曲線を練習しました。一旦携帯を消してずっと何かにできることはないのかと模索しました。もう泣いて泣いてとにかく泣いて、その時に何度も号泣した漫画を読んだことを思い出しました。

https://www.pixiv.net/artworks/40218865


村上竹尾先生の【死んで生き返りましたレポ】です。あの漫画なんだっけな、いつか見ようちゃんと読もうと考えていてもう幾つかが経ちました。読みました、泣きました。泣いて泣いて何度も読み返しました。「私は死ぬのかもしれない」とボロボロ泣いていることがああ本当にそうだとただ呆然と泣けました。一度竹尾さんとお話ししたことがあるのですが、誠実なお心にしみじみと考えることができました。絵が上手くなりたいと何度思ったことかしれません。何度も何度も練習して、いくつもいくつも研鑽を続けました。


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どーーーーーにも無理だなとめちゃくちゃわらいましたよもう。

それでも今の状態だと泣けたんですね。これほどまでにただ絵が描けたことだけにヒンヒン歯軋りしたんですね。絵が書けたことにめちゃくちゃ嬉しくなって、見てくれちゃんと見て!すごいでしょ私できたんだよ!?すごくない!?と何度も話しかけたくらいです。実際すごいと思うんですよこれ。これ好きだなと思える絵だっていくらかあると思うしすごい。

というわけで、私の話はこれでおしまいにしたいです。卒中はいくらでも、杖で左手で歩けるけど右手を少し動けた程度によくなりました。最後におしまいになりません。わたしのリハビリは同じにはならないです。

それでも村上竹尾先生へ。村上先生は私のなかに、たくさんの何枚の絵かを残してくださいました。忘れられないし、今でもずっと読み反そうと思っています。ずっと忘れません。私の中のふんわりした毛布のような意味のわからなさを払拭した泣きまくったあの壮烈さを忘れません。


おしまい

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