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【自分語り日記】マンガに命を救われた話

今回はマンガが好き過ぎて、マンガの貯蔵量が60,000冊を越えながらも、毎月新しいマンガを買い漁る僕が、マンガに命を救われたお話を記したいと思います。

細かな経歴はプロフィール記事を見ていただけると幸いですが、この記事の概要をお伝えすると「読書好き」と「部活」の経験からマンガにのめり込んでいった経緯を書いています。

① 成功と挫折を経験した 小・中学校時代

僕は小学校の頃から走ることが好きで、田舎の100人ぐらいいる学年の中で、50m走や100m走ではだいたい15番以内に入るレベルだったこともあって、「自分は足が速い!」と浮かれていました。いま振り返ればこの頃から天狗になりやすい傾向でした。(笑)

また小学校の頃は本を読むことが大嫌いで、夏休みの宿題である読書感想文なんてものは、この世の終わりぐらいに感じていました。

そして中学校では朝読書の時間というものが取り入れられ、1年生のとき担任が国語の先生だったこともあり、国語力を伸ばしたいなら読書をしろ!特に想像力を掻き立てる小説を読め!と言っていて、当時流行っていたハリーポッターを読み始めたことで読書が好きになりました。

走ることの話に戻ると、中学では陸上部に入るのですが、ここから大きな挫折を経験します。中学生の部活レベルとしてはそこまで高くなく、過去に全国大会に行った人がいたぐらいで、小さな市の大会で活躍する人がたまにいて県大会に進む人がいるかもといった感じです。

そんなレベルの部活で陸上部に入ってきた人は、小学校から陸上クラブでバリバリに活躍していた3人(1人は中学入学時に身長が170cmある全国経験者)や小学校のマラソン大会で1位となった人など、既にハイレベルなメンバーが揃っていた世代でした。

このハイレベルメンバーと練習を共にし、中学2年になると、どの種目で大会に出るのかという専門種目を決めることになったのですが、得意の短距離でも長距離選手に負けてしまう、長距離は苦手で最下位、ひょろひょろの体で投擲競技は無理、跳躍競技なら実力的には5番目のところを3番目枠を譲ってもらって新人戦に出場、大会に出でも最下位という屈辱を味わいました。どんなに頑張っても部内競争すら勝てず、目立ちたがり&天狗だった僕には大きな挫折でした。

しかしここから、僕の人生のフィーバーが訪れます。ざっくりとした経緯としては、ゲガをして普通の練習ができなくなり数ヶ月間を部分的な筋トレをしていたら、中学3年の春から急激に記録が伸びて市大会優勝。さらに記録を伸ばして県大会優勝。ジュニアオリンピックの出場権をもらい全国大会出場。複数の高校からスポーツ推薦をもらって進学という、最底辺から下剋上で有頂天になり、また天狗になっていました。

② 人生の転機となった1つ目の事象 高校時代

そのままの勢いで高校1年目からも活躍していたのですが、進学した高校への選択が僕の人生を2回大きく変えることとなります。

読書の話に戻ると、高校でも朝読書の時間があり、また読書が大好きになっていた僕は休み時間でも小説を読んでいる陰キャとして過ごしていました。ある日、その日もいつもと同じように休み時間に小説を読んでいると、国語の先生から声をかけられました。

お前、休み時間に小説なんて読んでいるのか?

その小説が1冊500円で読み切るのに3週間かかるなら、マンガなら1冊400円でその内容が30分から1時間で入るぞ!

文章力を上げたいなら文字を大量に読め!それはマンガでできる。

感情表現の奥ゆかしさは小説でもいいかもしれんが、マンガはストーリーで一気に読めるし、小難しい話題のものも頭に入りやすい。

これをもって、マンガを読まない理由はないだろう?

どうだ? マンガを読め!

高校で出会った国語教師

このマンガを進めてくる国語の先生の影響で、基本的には小説を読みながらも、当時から人気作品であったジャンプ作品で、ワンピースやナルトなどを友だちに借りて読むようになりました。

話を部活に戻すと、進学先は商業高校で男子が少なく、1学年で30人未満の陸上部の同級生は2人という状況から、僕の陸上成績もあり常にリーダー・キャプテンの立ち位置で重く責任がのしかかり、顧問は日本体育大学出身の熱血教師で、いまの時代では到底無理な体罰に近い指導法がありました。

当時はそれが当たり前と思っていましたし、美化するつもりはありませんが、この経験がいまでは役立ってます。(笑)

そして僕の人生を変える1回目の経験が訪れます。

自身の記録も伸び悩み、顧問の重圧が増す中で2年生の秋となった頃、3年生の先輩が引退し、キャプテンを決める時期が来ました。この頃には家庭環境のトラブルもあって僕のメンタルは既にボロボロで、ガラスにヒビが入っている状態の心に罵声を浴びて心が砕けました…。

強烈なトラウマだったのか、何を言われたのかは思い出せません。記憶にあるのは学校の帰りに高速道路の高架線に立ち寄って、ここから飛び降りたら楽になれるかな…という虚無感でした。そして次の記憶は翌日の救急車の中でした。

この翌日の記憶がなく、目撃者は家族や先生の話を繋げると少したどれるレベルなのですが、高架線に行った夜はそのまま家に帰って寝ていたこと。いつも通り朝から朝練のために学校へ行き授業を受けていたこと。部活が休みで夕方に学校を出たこと。そこからの行動を目撃した人はいません。

いまでも解決に至っていませんが、学校を出た後の時間から4時間後に、県外の僕自身が行ったこともない場所の何もない住宅街の道端で倒れていたらしく、通行人の方が救急車を呼んだんだそうです。

そして僕が倒れていた場所は、学校から公共交通機関では4時間で移動できる場所ではなく、自動車でもめちゃくちゃ飛ばして4時間ギリギリという距離でほぼ移動は不可能な場所でした。しかも僕が乗っていた自転車は学校ではなく最寄り駅にあり、駅まで自転車で行っていたことを考えると100%ありえない超常現象が起きたようです。

最終的には誘拐・放置事件として扱われ、捜査も行われましたが、僕自身にケガがなかったことや盗まれたものも何1つなかったので、捜査は打ち切られました。

この経験は僕の中で宇宙人に攫われたんたんじゃないかというネタとして、飲み会ネタなどで披露しています。(笑)

そして入院生活の中で、精密検査の1つであった精神科でカウンセラーや専門医からメンタル異常をきたしていることを告げられ、過去を振り返っていく中で数あるトラウマが蘇り、学校へ行くことが怖くなって不登校になりました。

③ 人生の転機となった2つ目の事象 高校時代

この不登校をきっかけに、僕の人生を変える2回目の経験が訪れます。

担任ではなく、マンガを進めてきた国語の先生がお見舞いを含めて家に来てくれたのです。僕は先生に不登校になった経緯やメンタルを壊していたこと、そして自分では気づかなかった(見て見ぬふりをしていた)ストレスを抱えて高速道路の高架線に行ったことを話しました。

先生はその話を全て受け止めてくれた後、「改めて話したいことがあるから明日また来る」と言って、その日は帰っていきました。

そして翌日、先生は2つの本を持ってきてくれました。1つは『自殺完全マニュアル』という分厚い本。そしてもう1つは『ヒカルの碁』というマンガでした。

まず『自殺完全マニュアル』を取り出して、「1993年に発行された本だが、2007年の今、また賛否を集めている作品だ。」と語りました。2005年頃に社会問題となって、日々ニュース報道されていた中高生の自殺について、この本の影響もあったと言われています。

そして先生は僕にこの本を渡して、「どう捉えるかはお前次第だが、先生はこの本を読んで自殺する人がいる一方で、人間ってこんな簡単に死ぬんだ…、たったらいつでも死ねるしもう少しだけ生きてみようかな…って思う人がいると思っている。メンタルを壊したお前に渡していいのか悩んだが、渡したいと思う。」と、いつも穏やかでニコニコしているおじちゃん先生が真剣な顔で話してくれました。

そしてもう1つの作品『ヒカルの碁』全23巻を紙袋から取り出して、「これは中学生(小学生)が囲碁のプロを目指して成長していく物語だが、途中から出てくるライバルというか先輩というか仲間の高校生が、プロ試験に落ちた挫折をメンタルコントロールで乗り越える話がある。もしかしたらいまのお前に刺さる内容かもしれない。」と、今度はにこやかに話してくれました。

この先生は授業中もゲームやマンガの話をして、登場人物の使った名言で授業を締めるといった謎のスタイルで授業をしていましたが、それが楽しくてまた守備範囲が広いからこそ、たくさんの作品の名言や思考が国語の教科者に載っている作品に照らし合わせて話してくれる授業が僕のいまの土台となっています。

④ 僕がメンタルコントロールに取り入れた名言

僕は定期的なストレスの発散として、いまでも『ヒカルの碁』の15巻で佐為が消えて後悔し成長していくヒカルの姿と、16巻で伊角さんがメンタルコントロールと出会う中国での囲碁修行、そしてヒカルが佐為を見つけるシーンを見て、ストレスを溜めないようにしています。

そして違う作品ですが『青のアインツ』という作品の名言もメンタルコントロールの考え方を取り入れています。

いら立ち、あせり、不安、力み、緊張、プレッシャー……。つきまとう感情に振り回されるなっ。キミにとって1番大切なことだ。石だけを見ろっ。これは自覚と訓練とで出来るっ。元々の性格なんて関係ない習得できる技術さ。

ヒカルの碁 楊海

プレッシャーを感じている自分を第三者のように見つめるんです。そんなもう一人の自分を心の中に作れば、……ゆっくり落ち着いていきます。

ヒカルの碁 伊角

…そうだ、何百回何千回とやってきた。反省は試合後に好きなだけやればいい。イメージするんだ。今はこのモヤモヤした感情を頭の中の小さな箱に、少しの間閉まっておく。ーーそうすれば、自由になれる。

青のアインツ 神谷

まとめ

そして僕は『ヒカルの碁』と『自殺完全マニュアル』を読んで、「今日から僕はあの日に死んだことにして、新しい人生としていつも通りに関わってくる人とも新しい関係を作ろう。嫌なことがあったらいつでも死ねる。でも感情を上手くコントロールできれば、嫌なことのほとんどはあの時よりマシだと思えるはずた!」という、僕の中でのルールというか基準ができたので、超楽観的なポジティブ人間になりました。

社会人になったいまも、確かに辛いことや嫌なことが多く、本当に塞ぎ込んでしまうような出来事も起こります。

あのとき『ヒカルの碁』と出会ってなければ、トラウマが再発して命を捨てる選択をすぐに選ぶようになっていたと思いますし、心に亀裂が入るようなことがあっても、あの挫折・あの経験・あの思ってたことを超えるものが来なければ大丈夫。来たらいつでも簡単に死ねる。という自分の独自のメンタルコントロールが出来上がりました。

友人の精神科医にこのことを話すと、そのメンタルコントロールの仕方はとても危険だと言われますが、友人だからこその言葉でこう話してくれました。

いろんなジャンルのトラウマ的体験が世の中には存在するが、どんなジャンルであってもドン底を経験して乗り越えた人、修羅場を超えてきた人のメンタルは尋常じゃなく強くなる!(とてもリスクを孕んでいるが)

友人の精神科医

僕は国語の先生がしてくれていた授業の影響もあり、マンガで名言・自分に刺さる言葉を集めることを始め、いまでは60,000冊を超えるほどマンガに熱中し、そしてこの経験を踏まえて、マンガやその作品の中にある名言で誰かが救われる可能性があるならnoteに残して伝えたいと思ってブログを始めました。

少し重たい内容だったかもしれませんが、自分の気持ちを整理するための日記であることも含めて、この記事を残したいと思います。

それでは今回はここまでです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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