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Born In the 50's 第九話 新宿中央公園

    新宿中央公園

 山下課長は昼食を終え午後の珈琲を自らの席で楽しんだ後、ビルを出た。
 腕時計を見て時間を確認する。
 指定された時間は、二時半だった。
──ここからゆっくりと歩いても充分間に合うだろう。
 家々が立ち並ぶ細い道を散歩気分で歩いていくとそのまま靖国通りへ出て、さらに成子天神下の交差点を抜けた。新宿中央公園まではもうすこしだった。
 車を使えば簡単だったが、しかし自分の居場所を教えたくなかったので山下はこうして歩くことにした。
 ときおりビルの窓ガラスに映る景色で尾行されていないことを確認しながら歩く。職業柄とはいえ、あまり嬉しくない習性といえるだろう。出退勤のときも駅からビルへ向かうコースは適宜変え、自宅へ帰るときもそのコースはそのときどきで変更する。それが癖として身についてしまっていた。
 やがて新宿中央公園北口の交差点へと出た。
 横断歩道を渡り公園の中へと入っていく。
 区民ギャラリーの近くにある指定されたベンチに着くと、あたりを見回してから腰を下ろした。腕時計で改めて時間を確認する。
 二時二四分。
──すこし早かったかな。
 そう思いながらポケットに手を伸ばす。
 ずっと断っていた煙草をまた吸いはじめていた。しかし、日に数本だけだ。あまり多くなると妻に知られてしまう。
 せっかく止めた煙草をどうして? そう訊かれて、嘘をつくのが面倒だった。ストレスのためといえばいいんだろうが、抱えきれるかどうかぎりぎりの秘密を知ってしまったその重圧を妻に零すわけにはいかなかった。
 火を点ける。
──そういえばはじめて吸った煙草はハイライトだったなぁ。
 まだ八十円で煙草が買えた時代だ。高校生だった。たばこ屋のおばちゃんになにかいわれるのが嫌で自動販売機で買ったっけ。
 結婚して子どもができてキッパリと止めた。
 止めたはずだったが、またつい吸いはじめてしまった。値段は知らない間に五倍以上の四百十円になっていた。
 深々と煙草を吸う。
 ふと気づくとそこに男が立っていた。
 がっちりとした体格。短めの髪にサングラス、それに黒のスーツを着ている。横須賀線の中ではアキラと呼ばれていた男だ。相変わらず仕立てのいいスーツを着ていた。
「課長か?」
「ああ」
 山下課長は頷きながら手にしていた煙草の火を消して、携帯用の灰皿に捨てた。
 アキラは黙ってそのとなりに座った。
「時間に正確だな」
 アキラがいった。
「一応、役人なんでね。まずはその初歩の初歩だよ。時間を守る」
 山下課長が答えた。
「そうか、自分の役所を守るのが初歩の初歩かと思っていたよ」
 アキラは横目で山下を見ていった。
「それは初歩以前の意識の問題だな」
 山下課長は自嘲めいた口調でいった。
「それで?」
 アキラが訊いた。
「栗木田……」
「しっ。名前はいわなくていい」
 アキラは唇に指を当てる仕草をしていった。
「ああ、そうだった」
 山下課長は合点がいったのかそう返事をして続ける。
「仕事の件だ」
「大枠での話は聞いている。ターゲットは?」
 アキラは山下の顔を見ることなく前を向いたまま話した。
「前金と一緒に写真を渡す。それで大丈夫だろ?」
「ターゲットを確認してからプランを練るため、時間が必要になることもある」
「もちろん、わかっている」
 山下課長はアキラの横顔を見ながらいった。
「金は?」
「ここで受け取ってくれ。指定通りキャッシュで用意している。新札でもいいのか?」
 山下課長はそういいながら名刺を差し出した。
「ああ、構わない」
 アキラはそういいながら受け取った名刺を見た。
──平成政治経済研究会平河町事務所。
 それには事務所のビル名も記載されていた。
「なるほどこの事務所か」
 アキラは頷いた。
「あくまでもその事務所の依頼だ」
「わかった」
 アキラはそういいながら名刺をスーツの内ポケットに仕舞った。
「ところですこし訊いてもいいか?」
 山下課長は身体の向きをアキラの方へ変えるといった。
「いま、警視庁では上を下への大騒ぎだ。きっと神奈川県警も同じだろう。東京湾を浚う話も出ている。どうやって逃げたんだ?」
「昨日のハイジャックの件なら、それは犯人に訊いてくれ」
 アキラは表情を変えずに答えた。
「確かに、そうだった。では参考意見を聞かせてくれないか?」
 山下課長は改めて訊いた。
「参考意見か、なるほど。あのケースを犯罪と考えるかビジネスと考えるかで見方が別れる」
 アキラは考えながら続けた。
「ふつうは自らが金を手にするため犯行を冒す。でも、ビジネスだと金の回収にはいろいろな考え方ができる」
「というと?」
 山下課長はさらに訊いた。
「なにかモノを仕入れるとしよう。最終的には消費者から金を回収する。でも、その前に仕入れ先に代金を払う必要がある。昨日のケースだと、金を作ったがそれを自分の手元ではなく、仕入れ先に直接支払っただけと考えればいい」
「ハイジャック犯たちが自ら金を手にする必要は必ずしもない、ということか」
 山下課長はひとり頷いた。
「そういうことなんだろう」
「だから犯行現場とはまったく関係ないところに金を運ばせたのか」
 山下課長は腕組みをした。
「現場で金を受け取ることが一番リスキーなんだよ。その場所でやるべきことが増えてしまう」
 アキラは両手を膝の上で組むとさらに続けた。
「どうやってそこから離脱するのかが難しくなっていく。荷物も増えることになるしね」
「確かにそうだ。それにしても金額が金額だ。いったいなにを仕入れたんだ?」
「大っぴらに流通できないモノは高価だ。たとえばミサイルとか高性能のタンクとかね」
「武器か」
「あくまでも、たとえばの話だ」
 アキラは素っ気なく答えた。
「なるほど、それなら高そうだ……」
 山下課長は大きく溜息をつくと、続けた。
「煙草を吸ってもいいか?」
「煙草を咥えようと、銃口を口にしようと構わないよ」
 アキラは皮肉っぽくいった。
「今回の作戦は気が重い」
 山下課長はひとりごちるとポケットから煙草を取り出して、そのままライターで火を点けた。ゆっくりと煙を吐き出していく。
「なぜ爆破したんだろう?」
「簡単なことさ。マジシャンの横にいる助手はセクシーな美女と決まっている。観客の視線を集めて、気を逸らすためだ。ヘリが着陸しようとしたタイミングで爆破。そこにいる全員の視線がヘリに集中していたところから、いきなり別の場所を観ることになる。それ以外の場所のことを考える余裕はなくなる」
 アキラはゆっくりと話した。
「だから橋脚か」
 山下課長は納得したように頷いた。
「長居した。金はいつ取りにいけばいい?」
 そういうとアキラは立ち上がった。
「いますぐでも大丈夫だ」
 山下課長も立ち上がる。
「わかった」
「君のことをなんて呼べばいい」
 山下課長はアキラに向き直ると尋ねた。
「呼び名なんか必要ないだろう」
 アキラは首を振った。
「なにがあるかわからん」
 アキラは一瞬間を置いてから答えた。
「では、Mと」
「アキラじゃないのか」
 山下課長が訊く。
「ひとつの名前を何度も使うと意味がないだろう」
 アキラはそういって軽く笑った。
「Mか」
「ああ、Mだ」
 アキラ──Mは頷いた。
「それはなんの略なんだ?」
「プロフェッサーの名前だよ」
 そういいながらMはその場を去っていった。

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