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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

 性懲りもなく村上春樹である。

 休日、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を朝食後に読み始めたのだが、なんと1日であっという間に読んでしまった。村上春樹ではおそらく最短記録である。「1Q84」「騎士団長殺し」は少なくとも一月以上はかかっている。Twitterには、この小説について「もしかしたら一番好きかも」なんて書いてしまったが、よくよく考えると、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は、もしかしたら村上春樹の作品の中で一番読みやすく、とっつきやすく、村上春樹初心者でもすぐに世界観に入っていける作品ではないかと思う。

 ネタバレ無しで語ってみよう。

 あらすじは以下。

多崎つくる(36)は鉄道会社に勤務、駅舎を設計監理している。彼は高校時代、4人の友人といつも行動を共にしていた。5人は名古屋市の郊外にある公立高校で、同じクラスだったが、しかし大学2年生のときに突如、その友人たちから絶交を言い渡され、自殺を考えるほど思い悩んだことがあった。

 その後、大手旅行代理店の木元沙羅(38)と交際関係になり、高校時代に仲の良かった4人の友人たちのことを包み隠さず話す。沙羅は、なぜ4人から絶交されたのか「そろそろ理由を聞いてもいいんじゃないか」と言う。4人の友人はそれぞれ色のついた苗字を持っていた。

アカ 赤松慶(あかまつ けい)
アオ 青海悦夫(おうみ よしお)
シロ 白根柚木(しらね ゆずき)
クロ 黒埜恵理(くろの えり)

 多崎つくるは沙羅の協力のもとに、なぜ4人から絶交されたのか、を探る旅に出るのだった。以上が、大まかなこの物語の流れである。

 さて、主人公の多崎つくるは、自炊をし、自分でワイシャツにアイロンをかけ、ジムへ行きプールで汗を流す、といういかにも村上春樹的な主人公である。珍しいといえば、酒に弱いというところか。ビールを延々と流し込んだり、ウィスキーをオンザロックで飲んだり、という乱暴なことはしない。

 また、大学生の頃、アルバイトをしていた事務所で事務の女性と懇ろな関係になるというのも、「いかにも」である。草食系のようだが手が早い。

 木下沙羅は年上の恋人で、つくるをはげましたり、ヒントを与えたりする。4人を調べるシーンで、GoogleFacebookという具体的な名前が出てきたときはびっくりしたが…。

推理小説として読むと…


 この小説は村上春樹作品らしからぬ部分がある。それは、非現実的な描写がほとんど登場しないということだ。夢の描写が出てくるぐらい。しかしそれは「夢」であって現実ではない。

 村上春樹作品といえば、羊の格好をした羊男が登場したり(羊をめぐる冒険)、自分はイデアだと称する「騎士団長」が登場したり(騎士団長殺し)、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を聞くと別世界に行ってしまったり(1Q84)、と、現実に突然非現実が入り込んでくる、という描写があったが、「色彩を持たない~」ではそういう描写はほとんどない。だから村上春樹を読んだことのない人でもすんなり読めるし、私みたいな幻想的な描写が苦手な人でも「ああ、またかよ」と思わず読めてしまうということなのだろう。

 そして、読んでいる途中で気づいた、というか、そういう読み方をしたほうが読みやすいな、と思ったのだが、この小説は「推理小説」と似たような構造を持っている。

 はじめに具体的な謎が提示され、それを主人公とその恋人が追っていく、という展開だ。そして中盤以降には、もっと具体的で魅力的な謎が2つも提示される(詳細はネタバレになるから省く)。まともな推理小説家であれば、これを短編小説にするだろう(具体的なオチまで提示して)。しかし、村上春樹はこれを短編とせず、多崎つくるの心身をかなり入念に記したり、灰田(また色のついた名字だ)という友人まで登場させたり、灰田の父親の不思議な経験を詳細に書いたりする。

 この辺の謎を突き詰めたブログがあった。ネタバレがあるので注意。


 このブログでは「推理小説である」と断定し、また事件の真相と犯人を特定してまでいる。でもねえ、気持ちはわかりますが、私にしてみれば、行間を読む以外の何物でもない気がする。

心の開放


 多崎つくるは、物語の後半で自身の過去と決着をつけるべく、4人の友人に会おうとする。結果、彼の心は開放され、救われたようにも見える。友人だったクロが最後に言う。

ねぇ、つくる、ひとつだけよく覚えておいて。君は色彩を欠いてなんかいない。そんなのはただの名前に過ぎないんだよ。私たちは確かにそのことでよく君をからかったけど、みんな意味のない冗談だよ。君はどこまでも立派な、カラフルな多崎つくる君だよ。

 でも、多崎つくるは、最後の最後まで、うじうじした優柔不断な人物なのだ。そんなに簡単に人間は変わることができないし、解決できることもできないことも人生にはある。村上春樹作品は、全体的に霧がかかった状態という印象なのだが、この作品に関しては、最後の最後で霧が晴れ始めた(完全ではなく)、という感じで、そのあたりが人の世の割り切れなさを感じてとてもよかった。


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朱雀

幻想絵画を偏愛。澁澤龍彦と伊丹十三好き。最近の習い事は雅楽と古文書と刀剣鑑賞。ほか、歴史、妖怪、民俗、オカルト(懐疑)が好き。同人誌「Spファイル」「と学会誌」他に寄稿。
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