おばけが

おばけが出るから帰ろうよ、
と友だちのガイコツが右の眼窩に住むアマガエルの声を借りて訴えるので、しかたなく引き返すことにしたけれど、帰り道がわからなくなってしまいました。あたりはすっかり真っ暗で、空中に浮かぶ馬の形をした炭になんどもぶつかりました。朝まではまだ200年もあるのです。


おばけが出るから帰ろうか、
と部長が会議室でつぶやきました。わたしたちは安堵の顔を見合わせ、黒い影になって天井の隅にわだかまる部長を霧吹きで念入りに湿らせてから、窓ガラスをすべて割りました。遠近法にそむいた道があらわれて、わたしたちの一部が車輪になって離れてゆきました。


おばけが出るから帰ろうね、
とお母さんらしい優しい声がします。デパートは真夜中で、警備員さんはマネキンになりました。おばけが出るから帰ろうね、とまた優しい声がきこえます。デパートは月の裏側にあり、すこし砂に埋もれています。おばけが出るから帰ろうね、とまた優しい声が聞こえます。


おばけが出るから帰りましょう。
よいこのみなさん、おばけが出るから帰りましょう。
市役所からの放送が夕暮れの町に響き、どんどんおばけが出てきます。みんなお母さんの顔をしています。子どもたちは自転車を飛ばします。雲のうえの家に帰れば、あったかいシチューが待っています。


おばけが出るから帰りませんか。
たしかにそう聞こえたのですが、ここはわたしの家でした。
近所からは「おばけの家」と呼ばれていますが、おばけはわたしが埋めました。ほら、埋めたところに、たくさんのきれいな花が咲いている。その花たちがしゃべっています。おばけが出るから帰りませんか。


おばけが出るから帰ります。
そう毅然と告げて会社を出ると、たちまち顔じゅうにおばけが出ました。
ゆうべ、ピーナッツを食べすぎました。
でも、ピーナッツはおいしい……そしておばけはこわい……
顔じゅうに出たおばけたちは、口ぐちに本当にあった話をします。おばけが出たんだよ。本当に出たんだよ。


おばけが出るから帰ります。
アームストロング船長は無線でそう伝え、月着陸船に戻ろうとしました。
ところが、着陸船がどこにもありません。
船長はちょっと不安になりました。
おばけが出るよ、と無線が知らせます。
もうすぐおばけが出るよ。
おばけは宇宙服のなかに出るよ。
船長はもっと不安になりました。


おばけが出るから帰ります。
始発電車はそういって車庫に戻りました。
なるほど、たしかに車内はおばけでいっぱいです。みんなスマホに夢中です。
おや、よくみるとどれもスマホじゃありません。
だれかの顔が写ったインスタント写真です。
写真の目だけが動いています。空にあるなにかを追っています。


おばけが出るから、帰りはタクシーにしました。
わたしはなぜそんなことをしてしまったのでしょうか。
このへん土地勘ないんですよ、という運転手さんにそもそも顔がないです。
でも、長いトンネルの中にはたくさん顔があって、ほっとしました。
ここはどこなんですかね、と運転手さんはのんきでした。


おばけが出るから、帰りに豆腐を買ってきて。
妻からそんなLINEが送られてきました。
豆腐屋さんは墓地のむこうにあるのです。
そして、わたしに妻はいません。
いや、いたかもしれません。
います。
豆腐屋さんは墓地の中にあります。
豆腐は、赤黒い不定形の食べ物です。
おいしいのでしょうか。
おいしいです。


おばけが出るから、帰りに豆腐を買います。
夫からそんなLINEが送られてきました。
わたしは、おばけはもうあなたの後ろにいるよ、と返信しました。
既読がついたけど、返事がありません。
なんだか急に、すごく豆腐を食べたくなってきました。
わたしは、豆腐、と送りました。
既読がなかなかつきません。


おばけが出るから、帰りに豆腐を買ってきて。
妻からそんなLINEが送られてきました。
でも、妻がそんなことをいうはずがありません。
妻は豆腐に反射したLED照明の光を浴びると灰になってしまうのです。回復には2週間かかります。かといって、灯りを消すとおばけがでます。豆腐はおいしいのですが。


おばけが出るから、帰りに豆腐を買ってきたよ。
夫がそういって帰りましたが、どうみてもわたしの夫じゃないのです。
それに、どうみても豆腐じゃないのです。
そこへおばけが出てきて、おばけだけはどうみてもおばけでした。
ひとつだけでも本物なら、安心して眠れるような気がしました。


おばけが出るから帰りましょう、
と、その公園の錆びた看板には書かれています。
真夜中だけれど、公園はにぎやかに遊ぶ子どもでいっぱいです。みんなで鬼ごっこをしています。ひとりの子が、全員が鬼なのだ、とだれかに説明しています。錆びた看板は、とくに絵のところがすっかり錆で覆われています。


おばけが出るから帰りません。
社員たちはそういって、仕事をつづけました。
その様子こそまるでおばけのようで、社長はこわくてちょっと泣いてしまいました。
そして、社員たちにはその姿こそまるでおばけのようで、こわくて、みんな泣いてしまったのです。
おばけのような泣き声が、社屋の外へ漏れ出しました。

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