人の命が安くなっている?

周りに介護を必要としている人がいる。私の祖母だ。

祖母は一人で生きることはできない。

具体的に言うと、
・一人できれいにトイレを済ませられない。(部屋が糞尿だらけ)
・蟹に乗った父が迎えに来るとかわけわからないことを話す
・歩行器がないと歩くことが出来ない
・小便は補助具で専用の器具に排尿される(入院とかしたらつけるやつ)
・誰かが常に見ていないと何をするかわからない(認知症)

といった具合です。母が一人で今面倒を見ています。(私はシングルマザーの課程で育ちました。)

私は、母の介護の手助けをするために、4月からは実家に戻る予定です。

就職とか、何かしらの理由をつけて回避できたかもしれませんが、それはしませんでした。

母に一人で介護をさせるのは心配だという考えはありました。

しかし、それ以上に自分が介護を手伝わなければ祖母が居なくなってしまう気がしたのです。

別に押し付けていれば、母はしんどいでしょうが命は持つでしょう。

でも、人の助けなしに生きられない祖母を無視するのは、自分の世界に存在しないも同然だと感じました。

もし母が居なくて、世界には祖母と私だけだと考えた際、祖母を助けなければ世界からいなくなってしまうでしょう。

現実は母に介護を押し付けることで世界が成り立つだけで、本質的には

祖母が生きている世界=自分が介護をしない世界は成り立っていないのです。

(私の表現が、わかりにくかったらすいません。)

だから今、祖母がいない世界を回避するために、私は祖母を介護するコスト(お金・労力・時間)をかけています。


今の社会、多くの家庭が介護問題を抱えているので、人の命にコストを払わない人が増えると考えます。

つまり、タイトルにある通りコストを払う気がない=命の価値が下がる
社会になっていくのかなーとぼんやりと感じました。

なんか悲しいな。人が終わるときに、大事にされない世の中は。

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