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車内の風景

朝9時
関西空港行きのJR
東の窓からの陽射しを皆、ブラインドを下ろして避けている。
車内に柔らかな明かりが差すなか、通路に立っている私は、ぐったり眠っているかスマホを見ている乗客を見まわす。

先頭車両で、運転席とのあいだの仕切のドアも窓も目隠しされておらず、運転手さんが見ている進行方向の景色を私も見ることができる。

通路の真ん中で進行方向に向かって立っている私の視界を遮る人はいない。
前方から流れる景色を堪能している。
まっすぐ、ずっと、線路が敷かれている。

つい視界なかの乗客を観察してしまう。
だれも私を見ることもない。
寝ているか、手元を見ているか。
どうしても、その光景は疲れを連想してしまう。
窮屈な日常に疲れてくたびれているように見えてしまう。
時間に振り回され、生活している
私の頭が、そのように見てしまう。

青を見て、水を連想するように
うつむく人たちから、人が疲れる社会の仕組みを連想してしまう。
とたんに、もの寂しい感覚が私の中に芽生えるのが止められない。
なにかが「足りない」ような
「十分でない」ような
もっとみんなが幸せにならなければいけないような
社会が間違っているような
サンカクやバツの世界に居るように
私が思ってしまう。

「違うな」と思う。
自分の意志で、違うしなと思うと
視点があやふやになって
車内がなんだかゆっくりになって
陽射しがキラキラして
流れる時間が「これきり」になる。

視界のなかのものが、これっきり、誰も彼ものかけがいのない共有のいまになる。

なにかが足りないかもしれないけど、その足りないそのままでかけがえのないものを、わたしと視界の人いっぱいで共有している世界の、この時間で溢れる。
そうやって十分に溢れているこの状態が
私の視界の世界で
もの寂しさは無くなった。
「違うな」と思った視界はそのまま「すごい」と思う美しい景色になった。

私は見たい風景を見るし
生きたい世界を生きる。


これは長野県で車窓から

私は関西空港手前の駅で、特急電車に乗り換えて、紀伊半島の尖端へと向かっている。
いまは指定席で座れた。
ドトールコーヒーで買ったやオヤツを食べながらブログを書いてみた。

東からの陽射しは強くてやっぱり窓のカーテンを閉めざるをえない。
カーテン越しに柔らかな光が上半身を暖める。
昨夜はあまり眠れなかったので、とても眠い…

ケアマネの研究大会に参加してきます。
初めてで、どんなか楽しみです。
行ってきます。
とりあえず、これから居眠りしたいです。
眠れなかったら会場で寝てしまう…

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