2020

東京で再びオリンピックが開かれることが決まった年、私は2020年に何を思っていただろうかとふと考える。

東京がリオの次のオリンピックに選ばれたのはいつだったろうかと、検索してみるとそれは2013年9月のことだった。

2013年というと私にとっては社会人になって2年目、埼玉の実家を出て大井町にある古い1Kのアパートで一人暮らしを始めた頃だ。まだそんなに遠くない過去だと思っていたが、数えてみるともう8年近く前になる。

反対に、23歳の自分にとっての31歳の自分は想像もつかないくらい遠い未来の存在に思えた。8年先にどこで誰と何をしているか、見当もつかなかったが、この8年間で自分は何かを学び得たのだろうか。

ふたを開けてみればこの8年間、一時期を除いて東京の同じ会社で働き、週末は学生時代からの友人とほどほどに飲んだりバスケをしたり、一人の時間は読書をしたり旅行に行ったり、大きな変化のない日々を送ってきた。

そして、東京オリンピックは予定通りにこの夏にやってくる。予算で揉めた新国立競技場もなんだかんだで工期通りに出来上がったし、盗作疑惑により差し替えられたロゴだっていまや違和感を覚えることはなくなった。

私も予定通りに一つずつ年を重ねて31歳を迎えることになる。

この8年間、生活スタイルに大きな変化はなかったけれど、内面的には多くの変化があったように思う。

昨年結婚したというのがもっとも大きな変化だったのは間違いない。家族以外の誰かと生活を共にするなんて想像もできなかった自分がいまはパートナーと二人で暮らしている。

ただ、この変化は私にとってとても大きな象のようなもので、いまはまだどこから手を付けて良いかまだわからない。だから、いまはまだうまく言葉にできない。けれども、日々の生活にポジティブな影響を与えてくれたことは間違いないのでこの話はまた別の機会に書いていきたい。

もう一つ、私の内側を変えていったのはやっぱり仕事だろう。大学を卒業して電機メーカーに勤めてみて、いかに一つの製品やサービスに多くの人々が関わっているのかということを身をもって知った。

消費者の視点では見ることのできなかったB to Bの製造業の世界には、自分の知らないことが無限にあることを知った。こんな細かいことまで気に掛ける必要があるのだろうか?と嫌気がさすこと、自分たちの手で作り出したシステムにがんじがらめになって働くさまを見て無力さにさいなまれることも多々ある。

大きなシステムの一部として働くなかで学生時代には「ふつうのおじさん」に見えた通勤電車の大人たちの頭の中に様々な世界が広がっているだろうことを想像する術を得た。

新国立を納期通りに完工するには多くの苦労とドラマがあっただろうし、ロゴの盗作疑惑だってマスコミ報道の嵐が過ぎ去った後の職業人生を想像すると何とも言えない気持ちになる。平穏で退屈にみえる日常がいかに多くの人の意識的・無意識的な営みや苦労、そして偶然に支えられているか、というのを少しづつだが分かってきた。

何事も見る人次第で面白くもつまらなくもなる、ということを理解し始めたというのが、23歳の自分と今の自分の一番の違いなのかもしれない。

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