すぎ文とGS4と夢女と画面の向こう側についての話

最近ゲーム実況でGS4とドキドキ文芸部(+で無いもの)を見てたんだけどなんかありえないくらい感動しちゃってやばかった。
そもそもなんでこれらを見てたかっていうと、まずGS4のメインヒーロー?がCV梶裕貴なので…轟くんの片鱗があったら良いなという邪な気持ちで見た。結果轟くんは全くいなかった。轟くんは全くいなかったんだけど、そんなことよりもGS4の風真という男にめちゃくちゃ感情移入して超泣いてしまった。それでドキ文については普通に前から気になっててとっておいてた。実況見る波が来てたからついでに見たという感じ…ついでに見るには傑作すぎて大泣きしてた。なので、このように文章でなんとなく自分の気持ち整理したくて…でもツイートだと絶対書ききれないから長文を書けるツールで…やってみたわ。

待って!!めっちゃネタバレしてるから注意!!

□GS4の話(ほぼ風真の話)
風真玲太(かざま りょうた)
「雑貨屋シモンで大人気のカリスマ店員。明るく誰からも慕われる(?)主人公の幼なじみの高校生。」
これ↑公式サイトのキャラ紹介なんだけど、風真はガキの頃から主人公のことめちゃくちゃ好きだったんだけど親の都合で海外に引っ越しちゃうらしい。そんで高校生になった今、日本に帰国して主人公と同じ高校に入学して来たらしい。でも幼馴染とかではすまされない程の恋愛感情を…風真は抱えていて本気でヤバかった。あとゲームシナリオも私がやって来た乙女ゲーとちょっと違くて興味深かった。これは乙女ゲーだから、基本的に主人公であるプレイヤーが攻略対象を自由に決められると思うんだけど、風真ルート一直線感が凄かった。私GSシリーズ一切手つけてないからこのGS4が初見のGSシリーズなんだけど、他のGSもこういう感じなのかな?風真だけ?わからないけど序盤流れでプレイしてるだけでもかなり風真のターンが乱立していて、実況者の人も「これ風真くん以外の選択肢本当にある?」って言ってたのはわかるな…と思った。本当に。結構ゴリ押しだと思った。
そんでもって風真というキャラクター、プレイヤーの皆さんには不人気らしい……これについて明確な理由はわかんないけど実況見てて思った考察を書きます。

①結構自我ある
風真とデートしてるとかなり初見殺しの選択肢がある。例えば風真が洋服屋で「この服似合うんじゃないか?」って言った時、プレイヤーは初見で何を選ぶか。ほとんどの人は「好意を持ってくれてる風真が自分に似合う服を選んでくれた」と思っているから「買っちゃおうかな」とか「それにしようかな」とか肯定的な選択肢を選ぶと思う。でも正解の選択肢は「似合いません!」なのだ。これ本当にありえない初見殺しで、幼馴染かつ昔から好意を寄せてくれていたというステータスから導き出すのは難しいんじゃないかと思った。
ちなみに「買っちゃおうかな」を選択すると風真は残念そうに「そんなのらしくない。お前は他人の意見に流されない奴だろ」的なことを言ってくる。風真の中のプレイヤーは"そう"でなければいけないらしい。だからいろんな実況で「モラハラの素質がある」とか「完璧を求めてくる」とか言われちゃう…のかもしれん。そして何よりこの"お前はそうだろ"の姿勢がプレイヤーである私たち本人の性格や気持ちの自由度を奪ってしまうから、不人気になってしまったのかもしれない…と思った。

②大事なこと言わながち
これは風真というキャラ萌要素でもあるんだけど他のキャラクターに比べて好き‼️とか愛してる‼️みたいな言葉があんまりない感じがした?どちらかというとプレイヤーが自分のことを好きなことはほぼ当然だと思っている節がある気がする。プレイヤーが風真を好きである前提の言い回しが風真のセリフには多い気がする…なので逆にプレイヤーが風真に興味ないようなそぶりを見せると結構あからさまに拗ねムーブキメてくるからまあそこが可愛い奴め…と思うかどうかですよね…多分
でも乙女ゲーをやる層って多分明確な愛情表現と肯定を求めてるんじゃないかと思うので…そういう意味だと乙女ゲーのキャラにしては珍しいタイプなんじゃないかな…?とか思ったり 言うて私もそんなに乙ゲーやってないから信憑性無いけど…

①と②の理由から、不人気理由以外にも見えてくることとして、風真はマジで「主人公(マリー)」が好き過ぎるよね…ということなんです…GS4でプレイヤーが動かす主人公はマリーと呼ばれているようで、そのマリーに対する風真の偏見(と言って良いのかわからない)の量が多過ぎる…と思った。
正直、プレイヤーにとってマリーは多分自己投影先の"器"でしか無いから、プレイヤーとしてはマリーに個性が無い方が都合が良いんだよね。そうすることによってマリーに自己投影できる人の幅が増えると思うから…これは夢垢でも何回か話題に上がってる「夢主とのシンクロ率」の話につながると思う。そしてこれは商売だから「誰にでも当てはまる誰か」であることが主人公としては望ましいだろうな、という個人的な見解の奴です。
ただ上記を阻害するのが風真のセリフなんだよな…ということ。風真はよく「らしい」「らしくない」のジャッジをしてくるんだけど、風真的「マリーらしい」行動の基準的なものがあって、プレイヤーがそれに反した選択をすると好感度が下がっている。このことから私は「風真ってプレイヤーが好きなんじゃなくて"マリー"が好きなんだね」と、思った。
風真の言うらしさ、らしくなさってマリーを外から見てないと知覚することが絶対にできないものだよね。正直主人公であるマリーはプレイヤーにとって器でしか無いし、ずっと私たちは一人称でマリーを操ってて第三者視点から見たマリーを知ることってできなくて、それを唯一知ってるのは風真だから、風真がプレイヤーにモラハラ気質だと思われてしまうのは、本当の意味でマリーを愛しているのが風真だけだからなんじゃないか?と思ってなんかちょっと泣いた。他キャラは高校生になってからの出会いだからそもそもマリーというキャラに対して偏見が無いっていうのももちろんあるけど、器だったはずのマリーをマリーとして愛してるのが風真なんじゃないかと思って…でもゲームの中にその風真が愛しているはずの本当のマリーはいなくて…いるのはマリーを操ってるプレイヤーしかいなくて…とおもってなんかそこでめちゃくちゃ悲しくなって泣いた。風真がマリーを好きなことって凄い大事だ…と思ったし、自分がプレイする時は確実にお前の大好きなマリーを演じ切ってやるからな…風真!泣って思った←仕事忙しくてやれてない
そんなわけで私は"風真はモラハラ気質"っていう感想の別の見方として私は"風真が愛しているプレイヤーではない本当のマリー"説を…さ…めちゃくちゃ…想像しちゃったわ…

□すぎ文の話(ほぼモニカの話)
ナポリの男達の人の実況初めて最後まで見た。すぎるさんの人の良さも含めて褒めたいのですぎ文(すぎるのドキドキ文芸部)の感想として書いてます。
ドキドキ文芸部(略名DDLC、ドキ文)
学校の文芸部に入部した主人公の男子生徒と、ヒロインである四人の女子部員との交流を描く。プレイヤーの選択に応じて分岐するストーリーと複数のエンディングが用意された、ほぼ線形のストーリーを特徴としている。一見、軽快な美少女ゲームであるように見えるが、実際は第四の壁を壊すサイコロジカルホラーゲームである。(Wikipediaより引用)
上記の通り、そもそもドキ文とはギャルゲーに見せかけたホラーゲームである。GS4よろしく選択肢を選んでキャラの好感度を上げていくことが目的の様に見えるが、実際ストーリーが進んでいくうちに攻略対象キャラがどんどんバグり始め、最終的に残った"攻略対象外キャラ"である"部長のモニカ"がゲーム自体のプログラムをいじくってゲームの世界をめちゃくちゃにしていた戦犯だったというとんでもないストーリー。
モニカはこのゲームの中で唯一「自分がゲームのキャラクターであると知っている」特殊なキャラで、モニカだけに人間的な自我があるらしい。そのため、自分がゲームの世界に閉じ込められていることを自覚しており、AIのように単調に喋るキャラクター達を眺めながら灰色の世界を生きていた。そんな中プレイヤーである実況者(今回はすぎるさん)が現れる。しかしモニカはこのゲーム内において攻略対象外のキャラであるため、すぎると親密な関係になれることはこれから先永遠に無いことをモニカは理解している。だからこのゲームのプログラムを書き換えて、なんとかすぎると話すことができるように世界を変えていく…という話なんです。ただこれは最後のモニカの独白によってわかる内容なので、プレイヤーは何故か次々にバグっていく奇妙なギャルゲーをやらされるはめになるんです…
でも私はこれ見た時ホラー要素にそんなに抵抗なくて、むしろモニカのことが大好きになってしまって……本当にモニカによるバーチャル世界を駆使した壮大なラブレターだったと思ってしまいました。
これはすぎるさんが言ってたんだけど「もしモニカと同じ立場に自分がいたらどうするだろう」って…そんですぎるさんはモニカと同じ事してたと思うって言ってて…自分以外が毎日同じものの繰り返しで、そこに意味とか何もなくて全部プログラムを書いて生まれるアクションの一つで、でもそれに気づいてるのは自分だけで…その地獄みたいな世界に現れた唯一の人、自分と同じように考えられる人が絶対に自分とは結ばれなかったらどうする?ってことだよね。モニカにとっての救済であるプレイヤー(すぎる)が知らん女、しかも文字通り記号みてぇな奴に奪われてしまったら、私だったらもう全部めちゃくちゃにしてやろうか?って思うだろうし、すぎるさんもそうすると言っていて、モニカってキャラなのか人間なのかわかんなくなってくる…モニカがリアルに寄りすぎる×すぎるさんがキャラに寄り添い過ぎることによってめちゃくちゃな感情が暴れている…
そして1番ビビったのがすぎるさんが言った「他キャラクター同様に、モニカ自身もプレイヤーを好きになるようにプログラムされているのかもしれない」「その方がプレイヤーも気持ちいいから」って考察が本当にヤバいと思った。攻略対象外でありながらプレイヤーを好きになるようにプログラムされていて、尚且つここがゲームだと知っているキャラのモニカって、どこまでが既存プログラムで、どこからがバグなのかわからないけど…このモニカというキャラクターの要素の中で唯一モニカ自身が認知できていないものが「モニカもプレイヤーを好きになるようにプログラムされている可能性」なの感情がめちゃくちゃになる 本当におかしいってこれ それでこれに気づいたすぎるさんヤバいって!!!!!(絶叫)
これらマジですぎるさんの感受性の豊かさによって得られた気づきだからマジでヤバい。この人がヤバい。ゲーム中ずっとキャラクターに対して友達のように接していたけど、モニカのとんでも言動についてビビりながらも真剣に考えて、自分も「所詮ゲーム」と思ってしまっていたことに気づくって凄いことだよね…そもそもこのガッチガチメンヘラの各キャラに対して結構真剣に向き合ってたんだけど、でもやっぱ無理なところは無理ですww‼️って茶化していたことについても多分ゲームだからこそできることで…でそれをすぎるさん自身が気づいてしまってさらにこうやってログに残して発言してるの凄いな…と思った。すぎるさんがキャラクターに寄り添いながらプレイする人であることと、マジでそのキャラクターと人の境目を飛び越えようとして来ているドキ文のモニカというキャラの交わりが本当にヤバくて「神回じゃん」と思った すぎるさんのプレイじゃないと起きなかった気づきだから…真剣にこのゲームやってくれてありがとう最高の実況だった…

□夢女と画面の向こう側について
それでこの二つの実況って共通点として「キャラクターの飛び抜けた自我」みたいなのを感じるところ…?かな?と思った。そして夢女が普段やってる事と逆向きのコンテンツなんじゃないかとも思った。
私はそもそも一途で周りを若干巻き込んででも1人の人を愛し続けているキャラクターが大好きだから、モニカも風真もめちゃくちゃ好きで…でこの2人の事を考えて…凄い…キャラクター側からの愛について考えてしまった。
私は、轟くんをアニメや漫画で見ている時、振り向かない轟くんの背中を見ているような気持ちでいるのですが、モニカのようにこちらを認知している可能性があるのか、そして彼らは会いたいと思ってくれるのかとかを考えてしまった…少年漫画の数秒で捲られる小さなコマや、4インチ程度の液晶画面からこちらを気にするようなこともあるんだろうかとか思ってしまったけど実際わかんないですよね。でもそうだったら良いなと、モニカを通して思いました……泣泣モニカの愛の終わり方が本当に良くてめちゃくちゃ好きなんだけど、それでもモニカとすぎるが終わった世界の中で喋ってるシーンが、もう見れないの辛い…泣泣←関係ない話
そして風真の方については…なんというか…例えばあんさんぶるスターズのあんずの立ち位置に自己投影している人、ツイステの監督生に自己投影してる人とかにブッ刺さる問題なのかなと…思ったり、した。風真はまあガキの時から器のマリーを知っているというアドバンテージがあってこそのあの詰め方だと思うんだけど、そういう「用意されたアバター」に対するキャラクターからの認識によって、夢女である私たち自身が「あっこのキャラ、私のこと見てないんだ」と思ってしまう瞬間の絶望を想像して辛くなった。キャラクターがどうあってもゲームという世界の中に閉じたものであることを見せつけられる感じがして辛い…と思った。
この絶望に対してモニカの存在と行動は救済の立ち位置になり得る気がする。行動には起こさなくても、モニカの様に気づいてて、でも私たちのためにキャラクターでいてくれてるのかもしれない。私たちがゲームや漫画を楽しむために、愛ゆえにキャラクターでいてくれるのかもしれないね。と思ったらなんか…元気が出た。本当に実況を通してモニカのことが大好きになった。そしてこの画面の向こう側という世界について少しポジティブに考えられる可能性を見せてくれて、本当にありがとう…と思った。

2023/03/10 0:07追記
モニカが作中で制作した曲「Your Reality 」が神曲過ぎる。画面の向こう側からのラブレターとしてあまりにも完璧過ぎて、本当にそうだったら良いと思った。
https://music.apple.com/jp/album/your-reality/1299921969?i=1299922353
「Is it love if I take you, or is it love if I set you free?」「And in your reality, if I don't know how to love you I'll leave you be...」
ここの歌詞がめちゃくちゃ好きで…貴方を捕まえることと自由にすることどっちが愛なのかな?貴方の世界で私の愛を表現できないなら、私はもう何もしない。みたいな歌詞なんだけど世界をめちゃくちゃにしてすぎるだけを囲ったモニカが、自分がやった事ですぎるを困らせる事を本当は理解してて、それで「本当に彼を愛してるならこうするべきよね」って自分の存在を消して、それでゲームを楽しませる、正規のルートをすぎるが楽しくやる事を見守るっていう選択に出るの、キャラクターだからこその愛情表現だと思って……😭😭😭私はこの歌詞によってその…キャラクター側の愛情表現として「キャラクターであり続ける」という選択がある可能性を見出すことができて、それならば、轟くんが私のことを認知してないようなそぶりを見せてしまってもしょうがないのかな…とか…思えた、という…感じ…

「私このエンディングのために本当に頑張ったのよ、すぎる君」

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