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映画「ドラクエ」を可能な限り擁護したい

映画ドラゴンクエスト ユア・ストーリーが賛否両論ですね。
はい、嘘つきました。賛否両論の1文字目と3文字目はネット上には存在しません。

私なんですが、この映画を8/3に観てきまして。
「最高だったー!」
と意気揚々とSNSを中心に振り返ったときに、味方はほぼ誰もおらず
敵戦場の最前線で自分だけがひのきの棒片手に突っ立ってる現状でした。

このまま隠れキリシタンとして、CASSHERNの時のように細々と生きていこうかと思いましたが、映画ビアンカのあまりにも可愛い笑顔を眺めておりますと、この絵を踏むわけにはいかない!と筆をとった次第です。

今から、映画ドラクエの擁護に回ろうと思うわけですが、
私の力では全ての擁護に回れる訳ではありません。
そこで、擁護できる範囲をまとめた簡単なフローを用意しました。

・ドラクエVをやったことがない人・うる覚えの人:1へ
・映画は映画であるべきだという人:2へ
・そんなことよりリュカ問題が許せねぇ:3へ
・ネタバレなにそれって人:4へ
・映画をまだ観てないけどネタバレを読んでしまった人:5へ 


1:ドラクエVをやったことがない人・うる覚えの人

「ドラクエVをやってない人」。
今回の映画においてこの人たちを救うのは私、不可能と思うの。
ゲームやってる前提で作られてます。
なので宣伝的に言ってる「やった人もやってない人も」は嘘だと思ってください。親子連れとか基本無理だって。

という訳で、やったことない人は名作中の名作なので、この機会にぜひやってほしいです。
http://www.jp.square-enix.com/dqsp/dq5/


2:映画は映画であるべきだという人

後述しますが、いわゆる「映画」ではありません。
ので103分で内容を評価したい場合、0点なので
「ライオンキング」を観に行きましょう。


3:リュカ問題が許せねぇ

はやくスクエニさんごめんなさいしてほしい。
小説のピエールは最高に泣けた。あの設定を思いついた久美沙織さんは天才。(ちなみに映画と小説の内容は完全に別物です)


4:ネタバレなにそれって人

なんて運のいい人なんだ。すぐに映画館へ行きましょう。そして冷静な目でジャッジしてください。運が良ければ、一緒に盛り上がれるとおもいます。ダメだった場合は「イソップの思うツボ」を観に行きましょう。


5:ネタバレを読んでしまった人

読んじゃったよね。
まぁこんだけ言われてたら読むよね。
で「そりゃひどい」って思うわけじゃないですか。
でも、そこに感動できた私みたいな人もいるので、少しだけ、
こっちサイドの意見も聞いてください。
ネタバレにも触れながら、もしかしたら悪くないかもな、と思える
私のような人が5%ぐらいはいるかもしれない。

オチの話をする前に、まずそもそもの話をしなければなりません。

この映画は映画ではありません。
なので映画としての点数は0点です。

「映画ではない」
どういうことか説明します。

そもそもドラクエVは親子3代の物語です。
それを103分で描く。考えるまでもなく無理です。

そこで使われた手法は「映画」というフォーマットを捨てることでした。
それをすてるなんてとんでもないのですが捨てました。

103分でドラクエV全てを映画として描くのは無理です。
ならば使えるものは何でも使おう。
映画を捨てることで使えるものとは何なのでしょうか。
何十時間にも及ぶゲームストーリーは映画以外のどこにあるのでしょうか。

はい、それはドラクエVを体験した鑑賞者の記憶の中です。

映画を捨てた結果、この映画はとんでもないアクセルを踏んできます。
103分で親子3代を描くため、こちらの「脳内補完」をフル活用してくるのです。(なのでドラクエVをやったことない人は無理かなと…)

ドラクエをやり込んだ人ならわかるかもしれませんが
ゲーム中のアイコンを放り込まれるだけで、パブロフの犬のように泣けたりします。

・ぬわーーっっ!! → 泣く
・キラーパンサー再会 → 泣く
・パパスのつるぎ → 泣く
・結婚 → 泣く
・てんくうのつるぎ → 泣く

なので、アイコンになるシーンと、ドラクエ音楽で無条件で立ち上がってくる景色をこの映画は存分に利用してきます。
OKパブロフ。シーンは十分に用意した、泣け!
これを映画と呼ぶにはあまりにも乱暴でしょう。なぜなら大事な話・描かれてない世界は全て記憶の中です。

つまり、この映画は映画ではなく脳内上のドラクエ感帯(性感帯のドラクエ版)をピンポイントに壮絶な勢いで刺激してくる体験マシーンと考えてください。
確かにこの脳内補完がなければ、この映画は虚無です。
ですが脳内補完があれば、このシステムはパブロフ犬にとって最凶の働きをします。体験は高圧縮ファイル爆弾のように無限に膨らんでいきます。
なので、オチ以外の部分ですが、私的には他の映画とも負けず劣らずの十分な加点体験があると断言します。
(もちろんカットされたシーンも多いけどな!個人的にグランバニア設定はいるでしょ派)

前哨戦は終わりました。
ここからはオチの話をしましょう。
※ここの目的はオチを知ってしまった故に映画最低と判断してるけど、その上でも共感してもらえるかもしれない5%の人に向けて書いています。のでネタバレ知らない人は本当に引き返してください。











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いやー、
私も本当にびっくりした。

映画館で目が点になったよ。
「やりやがったな畜生!」って叫びそうになりました。

これだけ物語にのめり込んでるときに、その衝撃たるや。
空中ブランコでぱっと手を離されたような絶望感。
テクスチャが剥がれるように、心の大事な部分が徐々に剥がれていく感覚。
映画を捨てた結果の、最大級の魔王の描き方ですよ。
大事にしていた物語を踏みにじられながら
映画の登場人物ですら無い魔王は次々にメタ発言を繰り返します。
「これはゲームにすぎない」
これだけ脳内リソース使っておいて、
こんな地獄があるかと。
全ての時間を返せと本当に強く思いました。
なぜこのまま終われたのに、無意味に殴りかかってくるのだと。

ただ、そんな絶望の中、
もう一度「ドラクエ感帯」を強烈に刺激するアイコンが登場します。
あれです。無機質なあれ。記憶が無条件で掘り返される鳥山物質。

これを見せられた瞬間、脳内補完は脳汁と涙腺とともにもう一度炸裂しました。
「これはゲームではない!私の人生だ!」

その瞬間、本当に映画のテクスチャが自分の脳内補完とリンクするように
戻ってきました。

突きつけられたメッセージは安っぽい古ぼけたゴミのようなものと言わればその通りです。でも11歳のあの日、親に買ってもらったドラクエV。兄弟でTVの前に座り初めてスイッチを入れたあの瞬間。スーファミから聞こえてくるリアルな音源の赤ちゃんの声。あの時から山あり谷であった人生を肯定してくれるアイコン。その感覚は映画を超越した、素晴らしい体験でした。

この映画が「映画を捨てた」が故に、私達の記憶を勝手に使用した無限圧縮体験マシーンがマシーンだったと自白するために、魔王の「無駄な暴力(オチ)」は非常にフェアな振る舞いだったとも言えます。
「あなたの記憶を借りたこの感動は、決して映画の手柄ではないのです。あなた自身のモノなのです」と伝えるための凶悪な必然性でした。

結果、私は魔王に踏みにじられた物語を、
一度無慈悲にテクスチャを剥がされたビアンカを
もう一度、自分の物語としてつかみ取り、愛すことができたのです。

他の映画でもなく、ファイナルファンタジーでもなく、「ドラクエ体験」だからこそのメッセージでした。
他のゲームがどんどん映画的手法でドラマティックに物語を進める中、ゲームのドラクエは一貫して自分自身が主人公です。この「映画風の体験」でも同じように、例えゲームから離れても主人公は「あなた自身だ」というコンセプトが荒々しく貫かれていました。

またこのメッセージは山崎貴監督一人のものではないと思っています。
堀井雄二さんが過去にも「堀井さんにとって、エンターテイメントとは、どんなものでしょうか? 」という問いにインタビューで仰ってる内容でもありました。

堀井氏:
 そうですね……あえて悪く言うと、きっと「現実逃避」なんですよ。これはゲームに限らず小説も映画もそうで、現実で嫌なことを一瞬でも忘れて没頭できる――まずは娯楽の役割は、ここにあると思います。
 でも、僕はプレイヤーが現実に戻ってきたときに、逃避した場所で何かを得ていてほしいな……とも願っています。ゲームを振り返って「ああ、やっぱり人生って楽しいな」と思って欲しい。あるいは人生に行き詰まったときに、ふと何か解決するヒントになって欲しい。
 そういうことができたら、なんて素晴らしいんだろうと、いつも思うんです。
【堀井雄二インタビュー】「勇者とは、諦めない人」――ドラクエが挑んだ日本人への“RPG普及大作戦”。生みの親が語る歴代シリーズ制作秘話、そして新作成功のヒミツ

まさしくこのメッセージをビンビンに感じてしまったのですね。

あとオチについて「山崎貴監督にドラクエ愛がないからこうなった」という話もよく出ますが、誰よりもドラクエ愛があるであろう原作の堀井さんが深く関わってるのだと思っています。少なくとも最後のセリフでは山崎貴監督と堀井雄二さんでこんなやり取りがありました。

脚本全体に関しては、堀井とかなり激論を交わしたことも。「いまでも思い出すのは、最後のセリフ。堀井さんからアイデアをいただいたんですが、どうも僕の中で腑に落ちない部分があって。『わからないです』と言ったら、すごく丁寧に説明してくれるんです。結局、深夜の3時ころ、ある瞬間、ストーンと落ちて納得することができた。原作者なら、もっと強気で持論を押し通してもいいわけですが、堀井さんは僕ととことん向き合ってくれた。その情熱がうれしかった」
「ドラゴンクエスト」生みの親・堀井雄二、映画化で山崎貴総監督にお願いした2つのこと

なので、愛がないからこの脚本ができたのではなく
「主人公は観客のあなただ」という強いドラクエ愛と自信があったからこそできた離れ業だったのかなと思っています。(結果は死屍累々なので、もう少し映画として、監督としてやりようがあったとは思います)

という訳で、最後、空中ブランコで離された手をつかめるかどうか、これにこの映画の命が文字通りかかっているわけですが、数少ない掴めた側の意見として擁護意見を勢いで書いてみました。
掴めれば、こんな鳥肌体験はない!ってぐらい心震えるので「ネタバレで観る気なくした」という所で幻滅せずに、もし、もし少しでも興味がでましたら、色んな意味で壮絶な体験をぜひ映画館で味わってみてほしいです。


6:観てよかったと思いつつ、現状の雰囲気を見てあんまり意見が言えなくなった人

好きなものを好きって言える世界であってほしいので、試金石代わりに書いてみました。どうでしょうね、自由に言い合えると良いですよね。ビアンカめっちゃ可愛い!

会社でホラー映画観ます。