カラスのボール

カラスはベランダの手すりに止まった。

部屋の中では中年の女性が午前の家事を一段落させホットコーヒーを飲みながら一息ついていた。女性は驚きもせずカラスのほうを見やった。カラスは何度も首を傾げならコーヒーを見ていた。女性はちょっとなげやりな、それでいて優しい声で言った。

「何だい?コーヒーがそんなに面白いかい?」

カラスは「カー」と鳴いて飛び去った。

カラスは少し前に、低く飛んでいた時、車にぶつかって死にかけた。
たまたま近くを通りかかった博士が、これを拾って命を救った。
そのかわり、カラスの体の半分は機械になった。
博士は稀代の天才で、そういったことはお手の物だったから
カラスはまた飛べるようになったし、機械の右目は以前通り人には見えない色を捉えた。

カラスは公園の木に止まった。下では子供がボールで遊んでいる。
カラスはまた何度も首を傾げながらボールをひたすら見ていた。

――ボールとは面白いものだ。実に面白い。飛んだり、跳ねたり、コロコロとずいぶん転がる。石ころじゃああはいかない。

離れたところでは誰かの飼い犬がボールを夢中になって追いかけまわしていた。

――わかるぞ犬。ボールは面白いだろう?だがね、犬よ。私はボールとは対等でいたい。だから私は君のようにボールの下僕にはならないのだ。

そう思って「カー」と鳴いた。

暫く犬のほうを見ていると、下で遊んでいた子供のボールが勢いあまって公園の敷地から外の道へ転がり出ようとしていた。子供はそれを必死で追いかけていた。同時にその道へトラックが通りかかろうとしていた。
その道と公園の間には死角があり、彼らは互いにこの状況が見えてはいなかった。

カラスは「これはいけない、このままではぶつかってしまう」と思った。

すぐさま各対象の角度や速度を計算し、予測されるポイントを目指し低く鋭く飛び立った。
「間に合ってくれ!」そう必死に願いながら、黒い弾丸となって滑空した。

カラスは子供の肩をかすめるように追い越し子供の前に出た。
子供は目の前に突然現れた大きな黒い影に驚いてその場に転んだ。

カラスは思った。「間に合ってくれ!」
滑空はまだ続いていた。楕円形の黒い塊が低空を引き裂いて転がるボールにグングンと近づきあともう少しでくちばしがボールに触れようとしたとき
全てがスローモーションになった。

ボールがさっきとは違う方向に跳ね上がっていた。
カラスはゆっくりとした時間の中、それを機械の目で見送った。

自身もまたさっきとは違う方向に弾き飛ばされていた。
ボールは視界からどんどん遠ざかっていった。
それと共に徐々に全てが暗く閉じていった。

カラスは死の道程の中、思った。

――車にぶつかっても尚、ああも躍動を止めないとは、ボールとは実に面白いものだ。博士にも教えてあげたいよ。

そうして声にもならない声で「カー」と鳴いた。


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