四角錐頭人の考察

「麺直径の多様性における無限小の問題」

今頃になって、この本を再び手に取るとは思ってもみなかった。
確か、実際にはありえない程の細さの麺同士の交点が仮想上は点であっても実際には面を生ずることによって発生する律動がパルスとなり、情動に与える影響幅の無限性に関する予想の項あたりで、若かった私の理解力が及ばなくなり本を閉じたのだ。
今となってはそれ程難しいレベルの内容ではない筈だが、今の今まで存在すら忘れていた為、本の後半は未読のままだ。

この本を思い出したのはラーメンが原因だ。とある球頭人種のグループが発明したこの食べ物は、私たちの間でも程なくして流行…いや浸透したといったほうが適当だろう。

球頭人にはあまり知られていないが、我々(球頭人は我々を「四角錐頭人」と呼ぶ)は麺という食べ物には多少馴染みがある。
その為、我々にとってラーメンはさほどの驚きもなく受け入れられたが、それでもこれが奏でる通奏低音パルスは他にはない心地よさで、友人のドミニクなどはラーメン中毒といっていいほど頻繁に食べるようになった。

この稀有な通奏低音について想いを馳せている時、私は前述の本にあったある内容をふと思い出した。それはちょっとした補遺程度のものでさほど詳しく書かれているものではなかった。

「球頭人種は頭部の構造的可聴域限界の問題で摂食時の響色を認知していない可能性がある」

本を読み返しこの記述部分が確かに存在することを確認した際、私は軽い眩暈すら覚えた。
ラーメンは通奏低音が命である筈なのに、これを作った彼らがそれを知らないなんてそんな筈はない!
これをドミニクに話したところ、彼はこう言った。

「もしそれが本当なら、彼らは通奏低音はおろか音響色彩も見てないことになるぞ」

寒気がした。あれらを認識せず一体どうやってラーメンを…
我々は球頭人種との交流が盛んではないので、ラーメンというきっかけでも無ければ普段彼らに想いを馳せるなんてことは殆どない。航路の混濁によって直接あちら側に行くことも難しくなっている。
それより今は平撞木頭人との問題のほうが重要だろう。

ただ私は、このラーメンを介する球頭人と我々の関係性に何らかの意味があるのではと感じた。殆ど手探りの状態ではあったが、ドミニクの協力を得て古い文献を集めるうち、ある程度の事実が浮かび上がってきた。

かなり古い時代には航路が今より遥かに安定しおり、祖先があちら側に行くこともそれ程珍しいことではなかったようだ。そして当時の球頭人種の星のひとつに降り、彼らと交流したと思われる記述を発見した。

彼らは我々の頭部の完全な平面性と方向感知能力に驚いたようだ。これらは彼らの不完全な計算を修正し、あらゆる面でその星の科学的な発展の礎となった。

だが私が注目したのはそこではない。
我々の祖先とおぼしき人物が何か小さな物体に頭を当てがっている絵がある。我々は昔、食物を調理する際、すり潰したり切ったりすのに自分の頭の完全な平面と完全な頂角を利用していた。麺もそうやって作っていた。

それと同様と思われる絵が、球頭人との交流記録の中にあったのだ。もしや、球頭人たちに麺を伝えたのは我々の祖先ではないのか。それを彼らの土地で栽培した植物(おそらく小麦)で作ったのがラーメンの麺の始まりではないのか。

だが、それを決定づけるような資料はそれ以上見つからなかった。
結局のところ「かん水」の使用やスープ等、まだまだわからないことだらけだ。
この研究を始めるなら、一生を捧げる覚悟が必要だろう。その覚悟はまだ私にはない。

そういえばこの星では数世代にわたる交流で、球頭人が我々のモニュメントを作ったという記述もあったが、そもそも数ある球頭人の星の中のどの星なのかもわからないし、今もあるのかは謎である。もし存在するなら見てみたいものだ。

また、これは関係のない話だが友人の「ドミニク」という名前に関して、球頭人の伝承によく似た名称があることに気づいた。それは「天空を闊歩する幻狼を駆る者」という意味らしい。
まあ関係は無いだろうがラーメンをひたすらすする彼とは似ても似つかない姿だ。

 とある四角錐頭人ホークのメモより

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