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初めまして Twitterに吐き出していた長文を、こちらに移行しようかなと試行中です。

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最近の記事

友達や、関わる人へ思うこと

私は人間関係を損得で捉える節がある 本当はそんなの否定したい 友人関係、恋人関係、夫婦関係が損得ありきであってたまるかと思っている なのに、いま自分が、相手にどんな得を感じているかを探ってしまう、考えてしまう。めちゃくちゃ苦しい。やめたい。でもやめられない。カッパえびせんじゃあるまいし、やめたらいいのに。 カッパえびせんならどんなによかったか、実際は中学時代に父から言われた言葉(💩)。 友人関係なんて損得でしかない。利益のある人にしか人は寄ってこない。そうでなければ下心

    • 大腸検査

      朝10時前から検査説明を受けました。 たぶん1日の枠は5人。 今ここに居る人たち、みんなこれから下剤飲んで催してトイレ行って、場合によってはオムツが入り用になるくらいピー(規制音)でしんどい思いする仲間なんだな……と思ってしまった。私だけかな。下世話ですみません。 私は最年少(たぶん) 少々の場違い感でなんだか恥ずかしい。 10時までは検査説明、それから5分ほど1人ずつ割り充てられたロッカー、下剤を飲んで便意を待つ部屋、トイレなどの説明がありました。 トイレには💩の色が

      • 10

        まだたまに、父や母絡みの悪夢を見る事はあるけれど、本当にたまになった。 結婚して、妊娠して、友人と思っている人たちとは疎遠になり、自分の事に気付き、そういう事を体験して私なりに色々色々、頭がパンクしそうなくらいに考えた。 自分を振り返るのは時間、精神力、勇気の消費が激しい。間違っている事を認めるには、環境がものを言うと思う。 私が否定されると感じる実家から距離を置いた事は本当によかった。 でも一番大きいのは夫が居てくれた事。穏やかで声も事も荒げる事がない。安定した人が傍

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          両親にされて嫌だった事を私が他人にしている事は他にもある。 曖昧な態度を許せない。白黒付けない人は狡い、問い詰めないと気が済まない。傷ついたり軽く扱わられる事が嫌い。謝られないとすごく腹が立ったり、自分の価値を人の反応で測って勝手に想像して、相手を責めたり、自己卑下する。 更に母からは古い観念を刷り込まれていた。上げるとキリがないけれど、Twitterの言葉の匠と賢者達が私の中の、世に抱いていた理不尽と差別を教えてくれた。 母や父が丸を付けてくれる、喜んでくれる、ヒステ

        友達や、関わる人へ思うこと

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          結婚して、妊娠するまでの間、起きても寝ても、両親からの理不尽の妄想を見続けた私は、妊娠すると、2人の言葉の暴力から子どもをどう守るかに執心した。 2人に備えて対応するには、あらゆる想定と妄想をしなければならず、その癖は簡単に抜けず今も気付いたら考えて、イライラしてしまう事がある。本当に辞めたいけれど、そうしないと生きて来られなかったのだから仕方ない。 妊娠中のホルモンバランスの影響もあってか、今より妄想は激しかった。何も考えていなくても、パッと、あんな事を言われるかも、父

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          年末年始の出来事が耐えきれず、私は付き合っていた人に泣いて打ち明けた。色々とブチまけたので、うちの事情に引いたかもしれない でもともかく結婚してくれた。 家のあれこれは置いておいて、 夫に失礼だけれどこんな金なしカオナシ能力なし、結婚や出産を祝ってくれる友人もほとんどナシの私の何を良しとしてくれたのか、全然分からない 私は詐欺師と言われた事もあるくらいだから騙していたのかも知れず、自信がない でも本当に嬉しかったし、この幸せを喪ったらたぶん精神的に死ぬと思う。 人生で初め

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          年末年始は、普通なら楽しいイベントなのに、うちは年越しと正月三が日の夜を過ごす祖父母の家で、父が祖父母と口論をするイベントとなっていて、私はどうすればいいか考えていた。 私が結婚して家を出る前年の元旦、例年通りそれは始まった。 私たちは先に帰宅していれば聞かずには居られるけれど、母は父が帰宅するまで起きていて、たとえ深夜だとしても、どんな内容だったかから、どれだけ父が可哀想か頑張っているか、まで聞かないと寝かせて貰えない。寝ようものなら怒鳴られる。 それはいつも、2階に居る

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          姉と母を明るくしたくて、雨の中出かけて手に入れたお菓子を置いておいたら、父に食べられた。 流石にひどいと抗議すると、仕事の事を考えていたら食べてしまったんだ、こんな所に置く方が悪い、くだらない事で俺に意見するな!俺は必死なんだ!と怒鳴られた。こういう事は数回あった。 美味しかったとか、味わったならともかく、クソみたいな理由で味わわれる事もなく食べられ、私の想いも手間も、何もかも踏みにじられた事が悔しかった。 父の仕事の前には、私たちの生活のためには、私たちの気持ちも何もかも

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          高校に進学してから、母への感情は収まった代わりに、父への嫌悪感が上がってきた。 夕方に自宅の電話が鳴ると私たちは緊張した。父から、仕事を辞めたいという電話の可能性があるからで、私が幼い頃からあったように思うが、その頻度は増していた。その度に、母の顔は当然曇る。 休日も仕事の事ばかり、考えるのは勝手だけれど、何かと些細な事でも愚痴に結びつけて冗談も本気で捉えて笑わない父のせいで、和やかだった空気がなくなる。 本当に鬱陶しくなった。 1度自分に不都合な事が起こると解決するまで

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          私をあの言葉で責めなくなった母 私が無事に高校へ、姉も大学へ進学し重責がなくなったのか、急に解放された。 母はとにかくぼんやりして、色々な事が人並みに出来なかった私をなんとか人並みにしようと必死だったのだろうと、ありがたかったなと、解放されてからやっと思えた。 いつだって周りの同級生は親への感謝を口に出来て、好きだと思えて羨ましかった。感謝できるような親と、そうでない親があり、うちは後者だと思っていた。 中学卒業時に親へ感謝の手紙を書く事があったがまったく筆が進まない。

          1周まわって居なくなって欲しい人2

          母は、幼い頃はさらに過激で、私からしたら毒親そのもの。 自分の機嫌は他人に任せ切りで、上機嫌でいられないのは全て他人のせい。 お湯が吹くのも、おかずが焦げるのも、美味しくないのも、自分の皺が増えたり醜くなるのも、姉の成績も全部お前のせいだと言われていた。 いつから言われていたのか覚えていないけれど、お風呂でのぼせて倒れて、当時は好きだった父が布団まで運んでくれた事があった。その時、私がこんな事を起こして騒いだら、姉の成績に響いて、下がったのはお前が倒れたせいだと怒られるから

          1周まわって居なくなって欲しい人2

          1周まわって居なくなって欲しい人

          人の時間を奪う事に無頓着で、いつまでも自分の親の愛情を期待して、結果的に私たちに祖父母からの負債を背負わせながら責任能力のない父が嫌い。 幼い頃は母の方が怖かったし、言動も結構ひどかったから、その頃は優しかった(たぶん)父の帰りを待っていたくらいなのに、思春期になるにつれて段々父は変わり始めた。 鞄から勝手に宿題を出されてチェックされたり、交換ノートの中の誤字を指摘する付箋が貼られた時はお腹が焼けるくらい煮えくり返った。 父が不機嫌だと家が暗くなる。 それが嫌で、なんとか

          1周まわって居なくなって欲しい人