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「生誕120年安井仲治展」

久しぶりにいいものを見ました。
写真史の学は全くありませんが
SNSカメラ界隈での現状とまったく真逆な当時の状況がめちゃくちゃ面白かった

1903明治36に生まれ、1942昭和17 38歳でなくなるまでの彼の写真は凄かった。
みんなが大好き、ソールライターは1923生まれ。

日本に写真が出始めたのが幕末辺りなので
燃えよ剣にもでてきてたわね。大判カメラ。
彼が生まれたこの頃は、1901に初中判カメラ
ブローニー ができていて
1913にはライカが35mmの試作をつくったと
日本の写真界隈の激動期に、活躍していた
安井仲治さん。10代からカメラにのめり込んだアマチュアカメラの1人
当時、プロカメラマンは写真館で仕事をしてる人達のことをそういっていおり
今のような写真家と呼ばれる類の人たちはアマチュアカメラマンとして、好きな物を撮っていた(いわゆる若旦那ボンボン)なのがまた面白い。

今みたいにデジタルがない時代。
もっぱら写真を見るには
写真に焼くしかない時代。
無加工主義者に見てもらいたいと思うんだけど、フィルム時代はプリントに焼き込む時にめちゃめちゃ加工技術を駆使しているってことを。フィルムは無加工では無い…。
当時のお見合い写真も、遺影も結構加工されている。

初期の彼は印画紙の銀を漂白し、かわりに油性インクをのせるプロムオイルという技法、油性インクがのった印画紙を版としてさらに別の紙に転写するオイルトランスファーという技法を使ったり、時には印画紙に直接顔料をのせるなどして、絵画的な写真を制作していてる

コンタクトシート
プリント

ちょっと見にくくてごめんよ
私が映り込んでいる。
コンタクトシートって、このころからあるんだね!見比べるとおおおってなったのぺっとしたコンタクトシートからこんな立体的なプリントに仕上げている。
顔料でイメージを形作るピグメント印画。多くのアマチュア写真家が、印画時に手
作業で顔料を少しずつ乗せる、あるいは不要な部分を削除する等の操作に取り組み、
手工芸的な情感を与えようとしたり、様々な様式の「絵画的」表現を試みたとあり
手焼きをやったことがあるけど
工程を考えるとまず印画紙を漂白して……そこから…もう目眩がする

もう、これは絵画の域ですよ
トリミングのコンタクトシート

こんな時代からトリミングはあったんだねぇ
この芸術写真から
モダニズムに影響を受けた「新興写真」が流行って来る日本。
ここでもまた、目を見張るのが

凝視と題された彼の代表作。
多重露光の技術が使われており
現、フィルムユーザーは、カメラの中でする技法のようになってる
私のカメラも多重をするためのスイッチがあるが、当時は、プリントに何枚も重ねて焼く方法なのが鳥肌モノである

コンタクトシート

この写真は反転させて、さらに4枚の写真を重ねて多重露光させている。
しかもトリミングしてである。
もうこのプリントへの執着がすごい。
そして多重露光ってもともとこんな技術なんだという驚き。
そして、シュルレアリスムに影響を受け、幻想的な作品も多く制作。彼はモンタージュなどの技法は使わず撮影現場で静物を即興的に組み合わせて面白い構図をつくる本人曰く「半静物」を作成し

平凡な日常の風景の中に夢幻的なイメージを見出していく、今でもぐぬぬと感じる感性だと思います。
今回の展示でもうひとつ面白かったのが
彼のコメントが掲載されていたこと

「十人程で泉州貝塚海岸へ行きました。(中略)ゾロゾロと
カメラマンが連らなり歩く撮影会と云ふも
のも随分奇妙なものですが親睦の意味
で、も時々はいいもんだと思ひます。同じ
ものが出来て困る事もありますが其反面
同じ所同じ条件で各作家がどう物を見る
かと云ふ事を作家同志で興じ合ふ事も
出来ます。
難し相な理論は大いに愛玩したらい」、
それを行らないと忽ち作品が行き詰り打
開出来ません、非凡な人は別ですが⋯
然しシヤツターの瞬間には一応そんな事
は心の表面から忘れてしまふ方が良いと
思ひます。」

都会のほんの僅かな一面だが、こんな
佗しい夕陽の風景を愛せずにはゐられ
ないのは何故だろう。

近頃女を写す機会を与へられる。
しかしなかなか顔と云ふものは難しく、
やはり俺は木や草を撮つてゐる方が性に合ふ
と其度び毎に思ふのである。モデルも女
優なんかだと10のものを10、或いはそ
れ以上出し切つてしまつて吾々が掘り出
す美を残さない、と云つて、深窓の麗人
ではこちらが参る。そこの処がなかなか
難しいもので、撮影者も無闇に多いと機
微は掴めないし、一対一ではテレていけ
ない。まあ推察を願ひます。」

100年近く前なのに、
今と全く変わらない、思いや、悩み、憂いがあり何年経っても結局人間の考えることは変わらないなぁと、こんなにもカメラの性能も、世の中が発展しても、戦争や自分の悩みはあんまり発展せず変わらないもの。不思議なものですね
ていうか、こんな当時からオフ会で、構図被りで憂うってめっちゃ今と一緒で笑える。
そんなこんなで、思いにふける展示だったのです。ここからは、展示の作品をいくつかをダラダラと載せておきます。
私の備忘録なので、後で見直すようでござる。
それでは、皆様、ごきげんよう👋

愛知、野間の灯台

とうとう病氣で例會へ出られなくなつた。
心に懸るのは此時局下例會出品の質
だ。...時難非常であるにしても月は月で
あり花は花である。これは「変らざる事」
で芭蕉の「不易」と云つてゐるのがそれ
に近い。月に詠ずる心、花に吟ずる人の
心は世のうつりかはりと共にあるのだか
ら非常時には非常時のそれぞれの僞は
らざる見方があるべきである。..
.芭蕉は
これを「流行」と云つてゐる。若し感懐を
自然に託して吐露するのが無理のない
藝術であるならば淡如たる風月の裡に
烈々たる心事を潜ませる事も出來、修羅
の巷の描写に為樂の相を表はす事が出
来る。そこが藝術する人間のよろこびで
ある。
..僕の大切にするそして大切にし
てくれる友人は皆それがわかつてゐると
確信し安心して養生する。

療養中の最後の写真

道を歩いてゐてもそこから、ひろって撮る、当方で心を空にして歩いてゐると、
先方から光をあびて遣って来る、それが次に調和を保つて来る、次に不調和が来る、
この両者が物の組合せの内に何等か訴へて来るものである。
この調和ならぬものを調和するように組立て行くことに興味を覚えたら、
こんな条件の基でも、ごんな技巧でもかまわない、立派な作品が出て来る
即ち現地でモンターヂュするのが新時代の静物写真なのであります。

「美しきもの」は実に随所にある。誰かぐ
良き眼でそれを摘出してくれ」ば、吾々
人間に感ぜられる美の範囲がそれだけ
拡張されるのだ、と思つてゐましたから
自分の写真もまあそんな積りで撮つたの
で、自分が小さい智恵で細工出来ぬ姿に出く
わした時は其儘率直にこれを撮ります。

「大きなビルデイ
ングを建てるのは、蟻が塔を築いている
のと同じだ。(中略)これはその極めて部
分的な視角だ。コンクリートを入れた車
を押して規則的に左に右に皈る。鉄筋は
熱くなつてゐるし、コンクリートも泡立つ
様な気がする。人の背の汗は云ふ迄もな
い。そんな光景にカメラを向けるのは罪
を冒してゐるのではないでせうか。或る
人はさう云ふ風景のどこが美しいんだと
反問もするだらう。美しいと答へるには
気がとがめる。美しくないならば写す必
要はない。ほんとうの答はさあ、どう云つ
たらよいか⋯。」

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