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再録「あのときアレは神だった」〜沢たまき

テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。
実在の人物から架空のものまで、
昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。

(2016年より、夕刊フジにて掲載)

超高齢化社会を迎え、年齢に関する感覚が変化してきているのは事実だ。

「41歳の春だから」と歌ったバカボンのパパは、いまの感覚で言うと、せいぜいが若手ちょっと上の芸人クラスだし、風俗業界の言う「熟女」は20代後半か、せいぜいが30ちょい過ぎぐらいを指している。

最近、若者と話していて、本当にこの熟女の基準がメチャクチャだと感じた。彼ら若者のストライクゾーンは、大リーグのそれだ。積極的に低めをとりたがる。

井川遥(39)あたりがナイスボール。高島礼子(51)や松坂慶子(63)あたりの高めは、あまり食いついてこない。どんな高い球でもバットを縦にすれば届くと言ったのはミスター長嶋茂雄だが、今の若者は高めの荒れ球をレフトスタンドにたたき込むような気概には欠ける。(2016年当時です!)

熟女といえば沢たまきである。昭和の子供たちを興奮の渦に巻き込んだあの伝説的お色気番組『プレイガール』(1969~74年)で、並み居る美女たちのボスを務めた大物である。

また、テレビ東京系のバラエティー番組『独占!おとなの時間』(1977年)で、いかにも夜っぽい仕切り役を務め、少年たちをもんもんとさせた。子供たちにはずいぶん年上に見えていたが、『プレイガール』出演当時の彼女はまだ30代(32~37歳)であった。

熟女とは年齢だけではない。われわれ子供たちは、そこに単なる「女」とは違う「熟成」の何かを感じ取った。

そういえば、洋酒メーカーのCMで特製「沢タンブラー」という妙な「熟女グッズ」が(景品として)あったが、わたしはそれが気になってしようがなかった。

妖艶な歌と芝居を残した彼女はその後、政界へと進出し66歳で不慮の死を遂げた。熟女とは、お色気だけじゃなく、いろんなことを教えてくれる人。そんなことを思わせた「神」だった。(中丸謙一朗)



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