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(第8回)川面から眺める「中洲那珂川涙街」

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那珂川遊覧クルーズで眺める博多中洲のネオン街。


 ひさしぶりに博多を訪れ、その賑やかさに驚いた。昔から九州の玄関口として栄えてはいたけれど、街のここかしこに着飾った若者や、この国の自由を楽しみに来たかのような外国人たちで溢れかえっていた。もはや、博多は一地方都市の存在を通り越し、アジアの玄関口のような貫禄さえ感じられる。街はクリーンで華やかだし、食べ物はうまい。博多はいい街だと改めて思った。

 博多一の繁華街「中洲」を歩いた。ここは、那珂川と博多川に囲まれた幅約200メートル、長さ約1キロにおよぶ細長いエリアだ。博多は、歴史的に「福岡」と「博多」というふたつの街が連結された街だ。高度経済成長時に工業地帯として栄えた北九州とはライバル関係にあるが、大きくなった「博多」は、いまではすっかり九州の覇者としての顔を見せている。

 ここ中洲は、福岡藩の初代藩主黒田長政が福岡の町づくりを行う際、武士の町「福岡」と町人の町「博多」をつなぐため、那珂川に土砂を積み、橋を架けたのがはじまりとされている。当初は単なる畑だったらしいが、明治、大正、昭和と時代を経るに連れ重要な商業地として開発され、いまでは東京・歌舞伎町、札幌・すすきのと合わせて、日本三大繁華街と称されることもある。また、ここは札幌と並んで単身赴任者や出張サラリーマンにやさしい街としても有名。筆者ならずとも見知らぬ博多のネオン街にやさしくしてもらったご同輩も多いことだろう。

 現在の中洲には、古い老舗の居酒屋などもあるにはあるが、ちょっとお高めの同じ老舗でも高級割烹やド派手な外装のゴージャス系クラブなども目につく。徹底した華やかぶりといえば聞こえはいいが、見栄っ張りの「書き割り体質」なのではないかと、意地悪も言いたくなる。

 那珂川で運行している遊覧クルーズに乗った。いちいち券など買わない。千円札一枚をひょいと手渡しそのまま乗るスタイルが酔った身体に心地よい。

 遊覧コースは、福博であい橋周辺の乗船場からキャナルシティの見渡せる内陸部へとクルーズし、屋台の景色などを眺めながら方向転換。今度は一路博多湾方面へと進む。途中、いくつもの橋の下をくぐるが、その「窮屈さ」と橋の下の暗闇で味わえる船の明かりによる幻想的な光景に(ちょっと表現は古いが、80年代後半的)サイバーパンク感を感じたりもする。街のネオンを味わい湾の気持ち良い風を感じる約30分のコースである。

 船の上では、ジャズミュージシャンがサックスを奏でている。夜の風景にロマンティックな雰囲気を加えようとする船上の演出である。演者さんには悪いが、わたしはイヤホンを耳に刺し、青江三奈の歌『中洲那珂川涙街』を流した。

「男が中州(なかす)と言う街で 女は中州(なかず)と意地を張る」。

 なるほど、ベタっちゃベタだが、なかなかいい線ついてる。何よりもこの博多の街に合っている。空威張りの博多男児と、意地っ張りを装う女、そんなふたりの恋物語が博多の街に映えている。

 この歌は碑が建てられるほどの有名な曲ではない。一世を風靡した昭和ムード歌謡にしては比較的新し目の楽曲で、1985年に発売されている。

 昼の街や居酒屋のカウンターで感じる博多もあるけど、一段低い川面から感じる「博多のムード」なんてのもある。中洲那珂川の風に吹かれ、ふとそう思った。

〜2018年7月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂


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中洲の古き良きシンボル的存在「大洋映画劇場」。


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「那珂川リバークルーズ」(福博であい橋)


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