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「陰キャなクリスチャン」がプロテスタント教会の「あかるさ」に苦しむ理由の根本とは

この世での居場所を求めて荒野をさまよっている子羊のみなさん、同じくさまよえる子羊の宇樹です。ときどき異端とか反キリストとかそしられる私もたまには教会(カトリック)に行くわけですが、どうしても教会の空気になじめないので、いつも、典礼にあまり関係なしに、心のなかで個人的な祈りを済ませたらそそくさと帰ります。みなさんはどうですか。

「あかるさ」を強制する教会

先の記事では、あるプロテスタント教会の独特の空気になじめずに苦しんだ私の経験を紹介しました。

いまTwitterで私の周囲のキリスト教界隈を賑わせている話題は、「あかるさ」「陰キャ/陽キャ」の話です。おおまかにいえば、「表面的な明るさや活発さ、外向性を持ち合わせた、特定のキャラクターを強制する空気のプロテスタント教会がある」といった話なのかなと思います。

私が先の記事に書いたプロテスタント教会も、まさにこういった、「あかるさ」を強制する空気の教会でした。当時はまだ洗礼を受けていなかったのもあり、キリスト教についてあまり詳細に勉強していなかったのですが、この独特の空気について、それから5年以上を経て知ったことがあります。

プロテスタント教会の「あかるさ」の源はどこにある?

プロテスタント教会の「あかるさ」はどうやら、もとをたどればアメリカの「信仰復興運動(リバイバル運動)」のころの時代の空気、さらにたどれば、アメリカという国そのものの性質にたどりつくようです。

アメリカで何度も巻き起こった信仰復興運動や、アメリカという国の宗教学的な特殊性については、以下のような本に詳しいです。

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