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私があるカトリック教会で見た、「謙遜」をめぐるみっともない競争。その背景にあるものとは

カトリック教会での先日の主日のミサは、「謙遜(けんそん)」「へりくだり」がテーマでした。

聖句はあとで紹介するので、とりあえず省きます。気になる人は、「聖書 謙遜」「聖書 へりくだる」とかでググってみてください。

私はカトリックで受洗した者でありながら、神父さまのお説教の内容も含め、ミサの最中や前後に見聞きすることに納得できないことがよくあります。抱えている発達障害のため、音声言語を聴き取ることに苦手を抱えているのもあって、お説教中は神父さまのお言葉を右から左にしながら、その日のテーマと関連したことをぶつぶつと考えて過ごすことが多いです。

この日のお説教中に私は、行事で訪れたことのある、某カトリック教会でのことを思い出していました。

「誰がいちばん謙遜か」を競いあうシスターたち

みんなで記念写真を撮るということになって、「はいじゃあ並んで〜」としはじめると、シスターたちがみんなどんどん端っこに行きたがる。ほんともう、どんどんどんどん端っこに行く。ドッジボールでボールから逃げようとする子たちみたいに我先に。どう考えても写らないから、誰かが「ほらほら遠慮してないでもっと寄って!」と言わなきゃいけない状態です。

足が悪い方や、じっとしているのが難しいお子さんなんかもいるし、パッと集まってパッと撮らないとみんなが困ります。カメラを構えた人がイライラしながら「早くもっと寄って!」とくりかえし呼びかけても、シスターたちはまだ「私はいいですから!」「いえいえどうぞどうぞ!!」「いいですって!!」と競うように譲りあいつづけてる。結局、ほんとならもう撮れてるのにという状態から実際の撮影までに5分ぐらいかかって、できた写真はみんなうんざりしたような顔……

なんか本末転倒じゃない? 「あなたよりも私のほうが謙遜なのよ!」みたいなふるまいって、本当にそれ謙遜なのかな。しかも、コミュニティでの共同作業を滞らせてまで……?

シスターでさえ(むしろシスターのほうが?)こんな本末転倒に陥るわけだし、キリスト教信徒の「謙遜」にまつわるみっともないチキンレースの話は、ほかにもよく見聞きして、そのたびにうんざりします。人間ってつくづく業が深い(仏教用語ですが)なあと思いました。

でも、あとになって調べてみて、どうもこれは聖書の翻訳の問題なのでは? こういった現象はむしろ、個々の信徒の問題というよりも、キリスト教会組織が世界宗教として否応なく抱えてきた性質の問題なのではないか? と思うようになりました。

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