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愛が軽んじられる世の中が嫌いだった

虚しくて虚しくて、絶望していた。出家して仏教の尼さんになろうと、半ば本気で考えていた。三十路直前、29歳のころだった。

そのころ私には、つきあって5年近くになる恋人がいた。Aとする。

Aは、ちょっと非現実的なほどにおとなしくて優しい人で、私のことをメタクソに愛してくれた。まるで、溶けそうな笑みで「孫娘は目に入れても痛くないんじゃ……」とこぼすおじいちゃんみたいだった。

私にそんなふうに、あっぷあっぷしそうになるぐらいの愛を示してくれた人は、早くに死んでしまった自分のおじいちゃん以来だった。

私が物心ついたぐらいのことを思い出す。

同居だった祖母は孫娘さえも罠にかけて楽しむような性格の人で、母はまだ幼い娘の私に全体重をかけて依存するような人。伯父は、私が小学校低学年ぐらいのころには仕事に行かなくなり、恋人も友達もいず、昼間から酒を飲んで酔っぱらうようになった。祖父だけが少しだけまともだったが、優しくも気弱な彼は、いつも皆の間でおろおろしていたように思う。

父は、そういうややこしい家庭が苦痛だったのだろう、仕事を理由に家に寄りつかなくなった。父親不在の、不信と不安が渦巻く家庭をたったひとりで守らねばならないプレッシャーにさいなまれていた、同じく幼かった兄は、大人の見ていないところで、妹の私にネチネチと繰り返し、人格否定の言葉を言い聞かせた。

そんな育ち方をした私は、安全な恋愛のできない女になってしまった。いつも決まって、自分になかなか温かさを示してくれない人を追いかける。ほんとうにわかりやすい病み方だと思うけれど、さんざんそういうことを繰り返してボロボロになって、23か24のころ、「このままではいけない、私は恋愛依存というやつだ」と自覚した。

どんな依存傾向もそうらしいが、依存から脱するには、どれだけ苦しくても、しばらくの間、依存対象と自分を引き剥がすしかない。それで私も自分に謹慎処分をくだして、1年ぐらい恋愛をしないようにしていた。こんな本とか読みながら。
(これ↓、チェックリストとかあって、いわゆる「だめんず」を見抜くのにめっちゃ便利なので、恋愛依存とかだめんずうぉーかー気質を自覚する人には超おすすめだ。長らく絶版に近くなっていたのだけど、Kindleが出たもよう。私は新しい男が気になるたびに、これと首っぴきでその人をチェックして、黄色信号が出たら頑張って距離をとるようにしていた)

そんなときに出会ったのがAだった。Aは、一片の迷いもなく、「あなたのことが好きだ、つきあってほしい」と言った。私は二度、三度断った。なぜなら、上の本でAは、「おとなしくて夢見がちすぎる」という理由でイエローカード判定を叩き出していたからだ。

何度も断るうちに何ヶ月かが過ぎたある日の朝、上にも書いたひきこもりの伯父が、ベッドの上で眠ったまま死んでいた。

彼は、家族からさえ無視され蔑まれ、それに怒ることも泣くこともせず、へらへらと笑うばかりで何十年も過ごしたあげく、実家のベッドで眠ったまま死んでいた。しかも、それを発見した母親(私の祖母)は、彼にとりすがって泣くこともしない。せめてそういうフリでもすればいいのを、フリさえしない。

詳細は上の記事に書いたけれど、私はこの経験を経て、本格的にこの世を憂えるようになった。人がこのように軽んじられたまま、苦しんだまま何十年も生きたあげく、たったひとりで、誰にとりすがられることもなく死んでいかなければならないとしたら、この世に生まれ生きるとは、なんと虚しいことか。

私はこの経緯をAに、わりと淡々と報告していたのだけど、伯父の死から1ヶ月ぐらいが過ぎて緊張の糸が切れたあるとき、「なんで私ばっかり! なんで私ばっかり!!」と絶叫して、えづくほどに泣いた。Aはこの世でたったひとり、私が生まれて初めて、私がそうやって怒り泣くのを、1ミリも否定せずに最後まで聴いてくれた人だった。

これ以上誰にも寄りかからずに生きていくのはもう無理かもしれない、と思った。たとえ、寄りかかってしまったことでいつか離れなければならないときが来るのだとしても、いま、寄りかかる腕がなければ私は正気を保てないだろう、と。

それでも怖くて、動揺して、それで3日間ぐらい家出した。帰ってきて結局、「Aとつきあう」という答えを出した。単に、寄りかからせてくれる腕があって、自分はすでにその腕がないと生きていける気がしないぐらいに支えを欲していたから、という、非常にセルフィッシュな決断だった。そのあたりも説明をしたけれど、それでもいい、とAが言うし、もう耐えられないので彼の腕に飛び込んだ。

Aは、いかにも、心から大切そうに、そうっと、その愛が腕から手のひらから明確に伝わってくるような動作で私を抱きしめた。

私は、生まれてこのかた、そんなふうに抱きしめられた記憶がなくて、ちょっとわけがわからなくなるぐらいに驚いた。そして次の瞬間、「ああ、呼吸ってこうやってするんだ」と思った。「逆に言えば、いままでロクに呼吸もしてなかったってことか」とも。「どうやら私は、身の置きどころのないこの世で、ずっと息を詰めて、安心できる瞬間が少しもないまま生きてきたらしい」と自覚した。

それから私は、Aの愛に身を浸しては「ふぅ〜」と深呼吸するような日々を送った。私はそれまで笑い方もわからなくて、写真ではいつも能面のような顔をしていたのが、Aと過ごすようになって初めて笑顔が出るようになった。幸せだった。恋愛しても3ヶ月も続かないのが普通だった私が、気づけば4年以上Aといた。

Aと結婚したいと思った。けれど、できないだろう、と思った。

冒頭で、Aのことを「ちょっと非現実的なほどにおとなしくて優しい人」と書いた。Aはほんとうにそういう人だった。

あまりに優しくて繊細すぎるし、体力のない私よりも体力がなくて、コミュ障な私よりもさらにコミュ障だった。いまの社会に二人だけで飛び出していくことは、私にとってもAにとってもハードルが高すぎた。私も自活できる状態じゃなかったけれど、自活できる状態でなかったのは彼も同じだった。

Aと結婚したとして、まず経済的にやっていけない。次に、社会的にやっていけない。私たちは、私たちの狭い世界を一歩出てしまったら、臆病な子どものようなものだった。大人として生活していたら降りかかるであろう、さまざまな面倒だったり恐ろしかったりする現実的なもろもろを、Aと私がうまく処理できるようには思えなかった。

Aは私を愛していて、私はAの愛を必要とし、彼の純粋さを愛していて、でもその関係をこの現代社会で一生涯続けることは、ほぼ物理的に不可能だった。今となっては、さまざまな支援を受ければ可能だったかもと思うが、そういった知識や情報も、当時の私は持っていなかった。

そんなおり、リーマンショックというものが起こった。私はほんとうにこういうことに疎くて、いまでもよくわかっていないのだけど、ともかく、「世の中のすべての価値は、それと本来まったく関係ない何かの加減によって、理不尽にも一瞬のうちにひっくりかえりうる」ということだと理解した。

表参道のきらびやかな通りを歩きながら、いかにも金持ちそうな白人の美男美女カップルが腕を組んで金ピカのビルに入っていくのを見て、「彼らも一晩のうちに一文なしになるかもしれない、誰からも顧みられない人間になるかもしれない、あるいは次の瞬間にこのビルが爆破されてバラバラに吹き飛ぶかもしれない」と思ったら、すべてが虚しくなった。

世界のすべての価値は一瞬のうちにくつがえるものだし、何かの加減で明日、全人類が滅亡したっておかしくない。では、そんな滅亡の日にあっても意味を失わないものってなんだろう、と私は考えた。

想像してみた。自分だけ、あるいは自分と目の前の誰かだけがかろうじて生き残っていて、ほかの人類はすべて滅亡していて、生き残った自分、または自分と誰かの命も、まもなく絶えるであろうというとき。そのときにあっても、「生きていてよかった」「幸せだった」「本望だ」と感じながら目を閉じることができるとしたら、それはなんだろう。

愛、なのではないか。

目の前にいる人と手を握りあうのでもいい、視線を交わし、そこに生涯の愛を込めるのでもいい、でも、もう手も動かず、まぶたも開けられず、声も出せないのであれば、それまでに自分が、その目の前の人や、ほかの無数の、自分が交流した人々との、形のない、ほかになんと言いようもない「愛」の感覚を思い起こせるのであれば、私は幸せのうちに死ねるだろう。

けれど、私にはどうやら、この現代社会にあって、そういった愛をまっとうできそうになかった。愛をとれば命がない。命をとれば愛がない。愛と命を両立して、平安の中で死ぬために、穏便な方法はなさそうだった。

平安の中で死ぬための穏便でない方法(矛盾しているなあ……)として、3つぐらい選択肢があると思った。

1. Aと一緒になって、二人で飢えて、手を握りあって死ぬ。
2. 私がいま、Aの愛に満たされたまま自殺する。あるいはAと心中する。
3. 出家して仏教の尼さんになる。

どれも、現代社会から撤退し、愛や信仰に没頭することで心の平安を得ようとする試みだった。

結局どうなったかというと、私は3つのうちどの選択肢をとる勇気も持てなかった。それで、自分が情けなくて、なんだか何もかもどうでもよくなってしまってAと別れた。

私から別れを言い出し、すごく静かに別れて、私は表面上は元気だったけれど、深いところではこのうえなく絶望していた。ふたたび愛を失った状態で、地獄のような実家での生活に戻らなければならなかったからだ。

歳はとるばかり、無職の期間は長くなるばかり、昔友達だった人たちはみな肩書や家族を得ていくばかり、母はおかしさを増していくばかり。私はきっとこのまま、伯父のように家にひきこもったまま歳をとって、いつかベッドの上で眠ったまま、誰にもとりすがられることもなく死ぬか、それじゃなかったら近いうちに、母を殺し、実家に火を放ち、自分は自殺して、この人生を終えるのだろうと思っていた。

こんな世の中嫌いだった。愛が軽んじられる世の中が嫌いだった。

そんな私がいま、自分を含めた誰も殺さず、出家もせず、それどころか結婚して、生きている。夫とメタクソに愛しあっている。猫もいる。いまだに一体どういうことなのか、信じられないでいる。

その不可思議なできごとの軌跡を、本にまとめた。

メソッドを提供する実用書をうたっているが、ほんとうのところは、どこまでも愛の話だ。私やAのように、あまりに脆い人間が、どうやって愛と命を両立するのか、自分を含めた誰も殺さずに生きるのか、どうやって、いつか永遠にまぶたを閉じる日に、「生まれてきてよかった」と思いながら逝けるのか。本のすべてのページを通して、底に流れているのは愛だ。

以前は、世の中なんか、自分が消えてしまうか、それとも世の中のほうを消してしまうかしてやればいいと思っていた。けれど今は、愛がどれほど、死の淵に立った人間を生へと引き戻しうるのか、私たちがどれほど、愛を重視すべきなのか、世の中に周知しまくりたくてたまらない。

愛について世の中に周知しまくるためには、この本がバカスカ売れてくれないと困る。どうか、上に語った話が刺さった人は、この本を買ってやってください。そして、周囲にも広めてください。よろしくお願いします。

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