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私が万人を救済できる宗教を追求する理由

※これは「宗教とインチキのあいだ」マガジン内の有料記事ですが、思うところあって今回も全文無料公開とします。

せっせと書いているこのマガジンですが、私がなぜこんなに宗教にこだわるのか、疑問に思う人もいるでしょう。マガジンのカバー写真に使った書棚の写真にも、人によってはドン引きするような本が並んでいたりします(ちなみに、私の持っている宗教関係の蔵書は写真に写っているだけではありません)。

このマガジンの最初の記事では、「私が人一倍の生きづらさから人一倍救いを求めたため」ということを書いていますが、

私が宗教にこだわるのにはもうひとつ大きな理由があります。

ひとことでいえば、「私の母が、強烈に救いを欲していながら、不運にも宗教に救われずに病んでいった人だったから」です。

母は、宗教に近いところにいながら、宗教的なことについてリードしてくれる良いメンターのような人間関係や、宗教に関するバランスのとれた情報に恵まれなかった。このため、本来は宗教や神に向けるべき依存心を生身の人に向けて、彼女自身のことも、彼女の家庭も、娘の私のことも壊してしまった。そんな感じの人だったのです。

母の病気、私まで壊れていくさまについて詳細は以下を。

母(ややこしいので以下ヨシミ)はもともと、おっとりとしていながら知的な、いいとこのお嬢さんでした。父親(私の祖父)は大学教授、母親(私の祖母)はいまでいうスーパー主婦みたいな人で、ヨシミは自分の両親をまっすぐに信頼し、尊敬していたようです。

しかし、ヨシミの父親は早くに亡くなります。胃がんで、発見されたときにはすでに手遅れでした。

ヨシミは当時20歳そこそこ。一般的な子どもの成長段階に照らしていえば、彼女の父親は十分生きたと言えるかもしれませんが、いま私が憶測するかぎり自閉傾向のある、まだまだ全身で両親を信頼し頼っていたヨシミにとっては、そうとうにトラウマティックな経験だったでしょう。

彼女はこのころから、生涯の持病となる片頭痛と、ストレス性の胃炎、また、過剰に自分や人の健康状態を気にして不安がる傾向に苦しめられるようになります。「自分の父親が手遅れの胃がんで死んでしまったように、気をつけていないと自分や周囲の人も胃がんで死んでしまうかもしれない」という、死の不安に支配されるようになったのです。

彼女は、最愛の父を失うと同時に、神への信頼をも失いました。彼女が私に何度もこぼしていたところによると、「神さまなんてろくなもんじゃない。牧師さんたちがみんなで懸命に祈ってくれたのに、私のお父さんは死んでしまったんだもの」ということでした。

ミッション系の大学を卒業し、そのままその大学図書館の司書になった彼女は、「へたにキリスト教と近いところにいたから、クリスチャンの嫌なところをたくさん見すぎて嫌になっちゃった。だからいまさらクリスチャンになんてなれない」とも言っていました。

小さいころは「そうかあー」と聞いていた私も、大学ぐらいになるといろいろ突っ込むようになりました。「神さまが全知全能だっていうのは言葉のアヤなんじゃないの? じゃなかったら、死んだ人がどんどん生き返ってないとおかしい。病気も苦しみも世の中から排除されてないとおかしい。だから神さまっていうのはどちらかというと、大事な人が死んじゃったりとか、人生の苦しみを歩んでいくときに支えになってくれる存在なんじゃないの?」とか、「嫌なクリスチャンが多いんだったら、自分だけは自分の思う正しいクリスチャンになればいいんじゃないの?」とか。

それでものらりくらりしていたところを見るに、母はずっと、「祈りは叶えてくれるはずなのに、祈っても祈っても私の大事なお父さんを助けてくれなかった神」に深く失望し、猛烈に怒っていて、とうてい神に身をゆだねる気になれなかったのだろうと思います。

私も、小さなころには、人を煙に巻いたり、苦しいことをそのまま耐えるように言い聞かしたりするかのような聖書の言い回しに反発を覚えていました。牧師の家の子どもがほかの子に陰湿ないじめをしているのを目撃して失望するなどの経験もしました。長じては、いくら心のなかで助けを呼んでも助けてくれない神に対してめちゃくちゃ怒っていました。救われたくてしかたがなかったけれど、「キリスト教だけには信仰を持つまい」ぐらい思っていました。

けれど私にはインターネットがありました。Wikipediaや、牧師さんのブログや、クシュナーのような人の、ユダヤ教のラビでありながら、ひとりの人間としてまっすぐに宗教的疑問に向かい合った人の著書との出合いもあった。こうした出合いのおかげで、私はキリスト教に関する情報を業界内外から手に入れて少しずつ疑問を解消し、どちらかというと理詰めでカトリックの信徒となりました。

このような出合い・出会いが、若いころの母にもあったなら、彼女は救われていたかもしれない。

キリスト教組織、ひいてはいわゆる伝統宗教の組織の人々が、なんとなく既存の組織や伝統を維持していくだけではなくて、本当にすべての人を救いうるようなものにきちんとアップデートしていく試みに積極的であったなら…… 母はこれほどまでに病まずに済んだかもしれない。娘の私も壊れずに済んだかもしれない。

そう思うと、私は、自分がひとりの人間として宗教に対して抱く疑問を、インターネットに放流せずにはいられないのです。この発信は、母の苦しみをどうにもできなかったことに悲しむ過去の自分の供養であると同時に、これからの自分の、自己救済の方便です

インターネットは、人々の意識を即時につなぎあう世界を可能にしました。インターネットがあってこそ私たちは、「ここに私と同じような疑問を感じている人がいる」「私だけじゃない、私がおかしいわけじゃないんだ」「牧師さんだって/お坊さんだってそうなのか!」と思うことができます。こういった出会いが普通になったおかげで、いわゆる伝統宗教の世界の人たちも意識を新たにして、発信することも増えてきました。いまこそが、私たちが、ほんとうに万人を救済できる宗教を模索するべきときなのだと思います。

もしも、私の自己救済の試みが、こうした潮流のひとつのしずくとなれるのなら、それもまた喜びです。

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