190829_宇樹さん書籍カバーオビ付き

元ひきこもり宇樹、本を出せたぞ! 嬉しいぞ!!

2019年9月20日、おかげさまでついに、私が初めて書いた単著が発売になりました。

発売日当日に都内の書店さんで買ってくださった方もいるし、ついさきほど、発売日翌日の夕方ぐらいからは、「予約注文してた本が届いたよ」という連絡がつぎつぎに来はじめてます。(地方だと明日ぐらいから届きはじめるようです、もう少し待ってね)

もうね、嬉しくて嬉しくて。なんていうか、「ああ、私、これで心おきなく死ねるな」と思いました。

いや、死なないし、いまは死にたい気持ちは(ときどき発作的にごく短時間くるものを除けば)ないのだけど。

だってね、ほんとにいろいろつらいこと多かったからね。別に、誰かよりもとかお前よりもとか、生きづらさの量や質を誰かのものと比べる気はないけど、30すぎぐらいまで、「この世で生きることは苦しみそのものだ」と感じてた。LITALICOさんで書かせていただいた、この↓記事でも「生きることそのものが純度100%の苦しみだった」と書いてるぐらいで。少なくとも私の体感では、私の人生は苦しみそのものでした。

けれど、そこの苦しみの底から(幸運にも)脱出して、いろんな人とつながって、少しずつ人を信頼することを覚えて、幸せになることを自分に許して。自分で自分を元気づける術も身につけて、精神医学や臨床心理学のユーザーとして、その時代の潮流を肌で感じながら過ごしてきて…… 一歩ずつ回復して。その歩みはもしかして誇っていいものなのではないか、これを世の中の、私の顔も知らないような、同じように苦しんでいる誰かに共有できたら、その人の役に立てるのではないか、と思うことになって。

そこにありがたいことに、書籍化の声がかかりました。1年弱ぐらいずっと走り続けて、初めてのことばかりで力出しきって消し炭みたいになりつつも、ともかく本はできた。

見本誌が手元に届いたときに、さすがに泣きました。

そして、厚みとか匂いとかを、ためつすがめつ確認してしまいました。

本好きの人や、感覚過敏のある人なんかはわかってもらえると思うけど、本特有の匂いとか質感とかって、たまらないじゃないですか。

そして、フォロワーさんに「可愛い」と言われてしまう。

私、本にも書いたように自分の母のことは本当に、精神医学的な意味でトラウマなんですけど、母は元気なときは図書館の司書をやってたんです。司書やるぐらいだし、本好きな人。実家には本が溢れてた。私は自分のASD傾向もあいまって、自然と本好きな子に育った。本好きのサラブレッドみたいなもんです。

それで、小さいときには母からの投影(そうとうあとになって聞いたんだけど、彼女は実は自分が小説家になりたかったけどなれなかった人らしい。なんだそれはプンスカ)を内面化して「私は大人になったら小説家になって本を書くんだ!」と言ってたし、その後自分の心とちゃんと対話するようになっても、結局は「自分の想いを本にまとめる、その本を書店や図書館に並べる」ことは、ずっと私の夢でした。

本を出すことは、功名心以前に(そりゃ功名心もあるけど)、本好きとしてのあまりに青い憧れとしての夢だったし、その本で自分の苦しみが誰かの力へと化学反応起こしてくれるならそれもたいそう素敵なこと。それだけじゃなく、なにしろね…… 「お世話になった人や、心配・期待してくれてた人、かつてのクラスメートや友人なんかに、やっと良いニュースを届けられるんだ」と思うとね、それだけでもうすべてが報われるような感じがします。

だから、ホント、「ああ、いまなら死ねるな」って思いました。私の想いのカタマリが本という物理的な姿をとって世に放たれたなら、私の苦しみがこの本という形に昇華されて、届いた先の人の手に何かを残せるのなら、あとはすべて、それほど大きな問題じゃない。もちろん、よりたくさん売れたり、より多くの人がより嬉しく読んでくれたり、私がもっと長く生きて、オットとさらにいろいろな人生経験を重ね、書き手としてももっと広がり成長していけるならもっと嬉しいけど、それはそんなにたいした問題じゃない。

自分の想いのカタマリが具現化したこの本が、全国の書店や図書館、読者の方の本棚や手の中に置かれている様子を想像すると、なんともいえず不思議で、しみじみと嬉しいです。私の魂はすでに、確実に、ソリッドに、世の中に放たれた。だから、ここで死んでも、もう(基本的にはw)本望です。

私は、中学高校までは「お勉強のできる子」として周囲からそれなりの期待を集めてたのですが、人間としてはアレだったし、高機能群のASDによくあるように、大学に入ってからは(大学の成績自体は悪くなかったものの)、「人間として鳴かず飛ばず」になってしまった。そしてそのまま、地獄のひきこもり生活になだれ込んでしまい、そのまま10年経ちました。

それで、本にも書いてるように、母と殺しあいかねないところまで追い詰められることになるんですが、この間、何がつらかったって、もともと数少なかった友人たちに、すごく連絡をとりづらくなってしまったことね。

私が実家にひきこもらざるをえなくなって、「これからいったいあと何十年この状況が続くんだろう」みたいな、まったく時間が流れていかないようなとこに私がいた10年のあいだに、みんな、結婚したり子どもができたり、仕事で役職がついたりメディアで報道されたり、順調に人生の時間を歩んでた。「完全に違う時空に取り残されてしまった」という感じが半端なかった。

そうした、順調な友人たちに対する嫉妬に身が焦げたり、そんなふうに大事な友人に嫉妬してしまう自分が嫌になって底なしに落ち込んでいってしまうのもつらかったけれど、何よりつらかったのは、「自分の現状なんか話したら相手に負担になるんじゃないか」という遠慮が出てしまったことでした。

私のことを心底気にかけてくれる友人もいたけど、そういう大事な友だちであればこそ、そうそう言えなかった、「心身の調子は最悪で、10年ひきこもってて、母親はおかしくて、ほかの家族は助けてくれなくて、誰からも助けてもらえなくて、近いうちに母親と殺しあいになってもおかしくない」だなんて。

彼らにいろいろ話したとて、現状が簡単に変わるわけでもなし、相手には相手の生活があるし、相手にショックを与えるだけで、お互いにやるせない気持ちになるだろうと思ったのです。それで、よけいに自ら孤立していった。

だから、いつか、もし自分が生き延びて、元気になることができたら、彼らにやっと堂々と連絡がとれる、きっとそうしよう、ということは、ずっと頭の隅にありました。

Twitterでつながった友人たちもそう。私は以前使っていたアカウントも含めて、確か10年ぐらいTwitterを使ってて、そのころぐらいからの友人もいるので、そういう人たちから「本買ったよ、おめでとう、しみじみするねえ」などと連絡が来ると、嬉しくて泣きます。

ひきこもり生活になったぐらいから関係性のギクシャクしていた父とも、やっと明るい話ができるようになり、「よかったね」「おめでとう」と言ってもらえるのが本当に嬉しい。私は自分が父から嫌われてるんだと思ってたし、父を喜ばせるような人生の一歩ひとつ歩めないのだと思うと本当に申し訳なかったのだけど(ここでは、子どもは親を喜ばせるために生きてるのではない、的な文脈の話は省きます)、私はやっと、彼の娘としてニコニコしながらやりとりすることができる。

わ―! そういうわけで、本出した、本出したんだぞ! イェーイ、中学高校の同級生のみんな、ジャクソン(当時のあだ名ですw)はついに本を出したぞ! 大学の同級生も見てるか! ◯◯はついに本を出したぞ! 私はこれからもがんばって生きるからよろしくな!!

買ってな!!

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