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「ジャスミンの香る部屋づくり」第5話(全9回)

第5話

先生が初めて行った海外旅行はイギリスだったそうです。40歳の時でした。学生時代に戦争も経験し、それでも必死に英語を勉強し続けた先生の目に、はじめて行く英語圏の国はどんな風にうつったのでしょうか。

先生が教えておられた学校はプロテスタント系のミッションスクールだったので、ロンドンではウエストミンスター寺院など多くの教会を訪れたと話してくれました。先生がまた寝室に戻って持ってきてくれたのは、なんとアルバム!最近はパソコンに取り込んだままの写真を見せてもらうことが多いですが、そうそう!私の子供の頃の写真もこんな分厚くて重いアルバムに入っていました。

40歳の先生は颯爽と素敵な女性でした。今と変わらずショートカットですが、真っ黒な髪をコンパクトにまとめてスッキリとおでこを出しています。どの写真も先生が一人で写っておられたので一人旅行かと思っていましたが、数枚日本人女性と二人で撮られた写真がありました。「お友達と行かれたんですか?」先生はチラリと写真に目を映してこう説明してくれました。「それは姉なのよ。姉は嫁いで家を出ていたんだけど、ちょうどご主人の海外赴任で一年ほど時間ができたの。それで一緒にヨーロッパ旅行をしましょう、ということになったんです。当時は女性がヨーロッパ一人旅なんてなかなかできなかったから、本当に夢みたいだった。」

それで私も思い出したように言いました。「私は大学に入った年にアルバイトで貯めたお金で3週間カナダにホームステイに行きました。大学を卒業する時には1ヶ月、ヨーロッパを一人で周りました。先生に英語を教わらなかったら、こんな経験はできなかったと思います!」

そうだそうだ。先生にお会いして何より先に言わなきゃいけなかったことはこれだったんだ。先生に教えてもらって英語が得意科目になって、目的の大学にも入れて、それで真っ先に実現したかったのがホームステイで海外の暮らしを体験することでした。そのきっかけをくれたのが先生との出会いだったのです。

先生は「ひとりで行かれたの?まぁ、あなたすごいわねー」と嬉しそうです。ようやく先生にお礼を伝えられ、その日は本当にホッとしたのを覚えています。

私は4回目の打ち合わせの時に、ウィリアム・モリスの壁紙を持っていってみることにしました。前回の打ち合わせの時に、座敷と茶の間をひと続きにして、中廊下との間に壁を作ることをご提案していました。壁が増えることで構造的にも強くなりますし、お部屋の断熱性も上がります。その新しくできた壁を利用して、絵や写真を飾れるような場所にしたいと考えていました。

私が住宅の設計ではなく、インテリアに特化したデザイナーになりたいと考えたのも、輸入壁紙に出会ったのがきっかけでした。日本のビニルクロスからは想像できないような豊富なカラーバリエーション、柄の多様さにも心を奪われました。本場のインテリアにはこれほど豊かな世界があるのか、と衝撃を受けました。

それまでの設計事務所では、どちらかというとシンプルであること、直線的なデザインをできるだけ少ない線で構成することに重きを置いていて、カーテンよりはブラインドやロールスクリーン、壁紙もあまり色を使わず真っ白な壁に素材感を加えていく、といった世界。それとは対照的なインテリアを極めたい、とコーディネーターに転身しました。

そんな中で、やはりウィリアム・モリスの壁紙は群を抜いて際立っています。輸入壁紙は基本的にプリントではあるのですが、モリスの壁紙製作が本格化した1880年代には版を分けて、重ねるように作っていました。現在販売されている壁紙はもちろん一気に印刷されていますが、版を重ねていた頃の立体感や、ぽってりとした塗料の溜まりを再現できるよう工夫して作っているそうです。

モリスの壁紙が立体的に見えるのは印刷技術だけではなく、デザインにも表れています。1872年にモリスによってデザインされた「ジャスミン」は白い小花をつけたジャスミンが、弧を描いて伸びやかに枝を伸ばす面の背後に、木々が鬱蒼と生い茂る影のような面が見えます。この森が背景にあることで、より一層ジャスミンの軽快さが際立って見えるのです。

先生はモリスの壁紙を一目で気に入ってくださいました。全体的にライトグレイッシュのグリーンを基調としているのでやわらかい雰囲気を持ち、柄自体も小ぶりで主張しすぎることがありません。壁そのものを主役にするのではなく、絵を飾ったり、家具を引き立てたりと使い勝手も良さそうです。

「まさか自分の家にこんな壁紙を貼るなんて、思ってもみなかった。楽しみねー。」と目をキラキラさせて喜んでくれました。改装について打ち合わせする際、前半は間取りや構造など、どちらかというとハードの部分を詰めていきます。それで大枠ができたのちに、壁紙やカーテンなどソフトの部分を作っていきます。やはり多くの女性は色や柄のお話が出てきたときに俄然やる気が出てくるようです。ファッションに通じる部分が多くあるからだと思います。

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