別れ際、扉を開けた向こう側には

一緒に食事をした後に、じゃあね、と駅のホームで別れた人が、とても寂しげな表情を浮かべていたのがどうしても忘れられない。


別れ際こそ本音の時間だな、と思う。

雲一つない青空みたいな笑顔で手を振ってもらえたら、ああ楽しかったんだな、会えて良かったな、と嬉しくなる。

逆に、一緒にいる最中は楽しそうに見えたのに、またね、と言った直後の一瞬の表情とか、帰路を急ぐ背中とか、足取りとかが、そうでもなかったんだよね、とぽろりとこぼしてしまうこともある。心にすっと、紙で切られたような細い傷ができる瞬間。

人間やっぱり嘘がつけないのだな、と思う。頭で嘘がつけても、体のほうが。会えて嬉しかった。次会えるのが待ち遠しい。しばらく会えなくなるなんて寂しい。あー疲れた。なんか話が合わないからもういいや。などなど、全部体がしゃべってしまう。


そんなわけだから、別れ際に嫌そうな顔がちらりと見えると悲しくなってしまうのだけど、でも別れ際ににじむ本音は、一緒に時を過ごした自分に対するものとは限らない。限らないのだな、と先日知った。

先の人の寂しそうな顔は、「私と別れること」に寂しさを感じていたようには思えなかったのだ。

この人はたぶん、私と別れることによって「ひとりになる」ことが寂しいのだな、と思った。なぜそう思ったのかはわからなくて、単なる直感なのだけど。でも、誰かにいてもらえないと寂しくていられないんだ、そんな言葉が聞こえてきそうな空気。


じゃあね、と別れる瞬間に開く扉は、一緒にいた相手からの出口であり、自分の日常への入り口だ。

私があの人の表情を忘れられないのは、扉の向こう側まで覗いてしまったような罪悪感と、扉の向こう側で待っている寂しさへの痛みと、どうか楽しく過ごしてほしいという願いと、とにかくいろいろなものがないまぜになった何かのせいなのだろう。


そのないまぜな気持ち、私の後ろ姿にはしっかりと香っていただろうか。



この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

最後までお読みくださりありがとうございました。頂いたサポートは、①私自身の創作資金、②他のクリエイターの作品購入資金、③本家サイト(oikawachie.com)でのインタビュー企画「生き方事典」の取材費に充てさせていただきます。

くじ運が100あがった!
13

chie

noteはエッセイ的な雑文と写真×文章の置き場所。役立つ情報は特にありません。写真は個展3回開催経験あり、2018年10月パリ出展。 作品→https://shop.oikawachie.com/ HP→https://www.oikawachie.com

人間観察日記

私がすれ違った愛おしい人たちのお話。 私たちは誰一人として完璧ではないし、みんなどこか面倒くさくて変で、それがきっと普通なのだと思う。そして、その面倒くささは人それぞれ違っていて、それを個性とか魅力と呼ぶのだと思う。だからこそ、人間という愛おしい存在にはたぶん一生飽きない。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。