子供が見えなくなる親による「理想像」

こんにちは、おでゆきです。

子供と話をしていて「なんで」という言葉をどれくらい使っていますか?
なんで使ったものを元の場所に戻せないの?
なんで時間を守れないの?
なんであの時シュートにいかなかった?
なんで相談してくれなかった?

「なんで」ではなく「どうして」も使いがちです。
・どうしてあなたは~

知り合いがスポーツ少年団でこんな悩み相談を受けたそうです。

子供が試合で失敗をしてしまって落ち込んでる。最近色々なことがうまくいかず困ってる。親である自分のほうも気になってしまって子供と「なんでうまくいかないのか」一緒に話をしているけれど、解決策が見つからない。近々大切な試合があるので、それまでになんとか立て直してやりたい。

この相談内容にも出てきます。「なんで」
なんで「なんで」がこんなにも出てきてしまうのでしょうか?笑
どうして「どうして」を多用してしまうのでしょうか?笑

親は、大人はズルいものです。
生まれてきた赤ん坊には「ただただ元気に健やかに育ってほしい」
 と言い
幼児には「お前は将来プロ野球選手だ!サッカー選手だ!」
 と夢を見て
スポーツ少年団に入れば「がんばれ!成せばなる!努力が足りない」
 と叱咤し
中学高校の部活が終わることには「お前がプロになれる訳がない」
 と才能に失望する

なんとも自分勝手なものです。

これらの願望はすべて、親の、大人の
勝手な「理想像」から生まれています。

子供のシーンが変わるごとに、親は勝手に「理想像」を無意識に作り出し
それを自分の子供と重ね合わせ、その相違にイラ立ち声を荒らげてしまったりします。

将来お前は誰になりたい?
大谷翔平か?渡邉雄太か?浅野拓磨か?メッシか?はたまたレブロン・ジェームズか?
この声掛けから悪夢は始まります。
自分の子供を有名なスポーツ選手に重ねる生活が始まります。

本来ならば、大谷翔平になりたい!ではなく、
大谷翔平はすごいな、大谷翔平のような選手になれるようにがんばろう
とでも表現するべきところを
そこはどうして、大谷翔平になる!という表現をしてしまいがちです。

そして、そういった表現がエスカレートすると
そんなんで大谷になれるのか?もっと努力しろ!
大谷は遊んでなんかいないぞ、練習だ、練習しろ!

と、いつの間にか、大谷基準での声がけが始まります。

こうなると、子供のことを純粋に見ることができなくなります。
子供は子供、大谷ではありません。
ですが、将来大谷になるはずの子供、にすり替わっています。

その子はその子でしかないはずなのですが
どうしてでしょう。いつの間にかその子の、わが子の
特徴も性格も無視して「大谷らしさ」を刷り込もうとしています。

そしてついに、大谷にちっとも近づかない自分の子供に失望して
お前はもう才能がない、お前はダメだ。
と、わが子に引導を渡してしまうわけです。

ここまで読んでいただいて、自分はそんな事してないよ。
と思ったかもしれません。
本当にそうですか?w
本当に、そういう視点で見たことはありませんか?

もっと上手なプレーをして欲しい
もっと気遣いができる人であってほしい
もっといい子であってほしい

いい子って何?
上手ってなに?
できる人って何?

社会の常識や
社会による評価
他人からの評価

そんなものを基準に自分の子供を見てしまっていませんか?
自分の子供はどんな性格で、何が好きで何が嫌いで
何が得意で何が苦手なのか知っていますか?

自分の子供をちゃんと見る
その子をちゃんと認める。

その子は大谷翔平ではなく、その子です。
それ以外の何者でもありません。
誰もその人にはなれないし、その人は誰にもなれません。

これをちゃんと認識しておく必要があるのですが
意外とみなさん、その認識が甘いことが多いです。

その子が苦手な食べ物を、食べなさいと言う
でも、大人は嫌いなものは口にしない。

ピアノの練習を毎日やりなさいと言う
でも、大人は掃除をよくサボる。

人には長所も短所もありますし、
できることもできないこともあります。

その子にも長所があり、短所があり
できることやできないことがあります。

まずは、そこを見てあげる。認識してあげる。
そこがスタート地点です。

その子をその子として見る。
自分を自分として認識させてあげる。

それができてやっと、フラットな状態。
そこから自分を積み重ねていって欲しいなと思います。


男と女の究極の理解について投稿していきます。 彼氏彼女、夫婦、スポーツ、男尊女卑、女性の社会進出、LGBTなどの問題解決をサポートしていきます。 それと子供の成長についても少し書くと思います。