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「できる」と思い込んでいるのを捨てる

半分、無意識に自分が「できる」と思い込んでいる場合がある
「できる」が前提にあるために「できない」ことが出てくると、精神に異常をきたす
落ち込むだけならまだマシだが、それにすら気づかずに他の誰かに八つ当たりをしてしまう
子供にあたってしまう親のケースが多い

独身者であっても、仕事場でこの精神状態がじわじわと侵食して業務に支障をきたす(本来の能力が発揮できない)状態になる

違う角度の表現をしてみると「〇〇しなければならない」となる
これは「できる」前提があるから、この発想になる
「〇〇しなければならない」
「親として」「社会人として」「夫として」「妻として」「父親として」「母親として」「男として」「女として」
色々あるが、これは「できる」前提がある



この部分に関しては「諦め」ができるとスムーズになる
諦めに関して悪い印象はあるが、おそらくニュアンスが少し違う

自分は何かのカテゴリに当てはまるわけではない
私は夫であり男だが、それ以前に私ってのが先にあるし
そっちの方が強いはず

それなのに、後から出てきたカテゴリたちに当てはめて考えようとする
時には便利かもしれないが、全てそれに塗れると疲れる
だって、自分の本質が無視されているから、精神異常や身体的な異常が出てくるのは当然だ

「できる」って自信を持つのは良いことだが「できて当然」ではない
当然のことなんかない

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