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【光が多いところでは、影も強くなる】他者は私の誰?

はじめましての人ははじめまして、そうでない人はこんにちは。どうも、紅茶です。

社会人の人も学生の人も、また新しい一年がやってきましたね。月曜の朝はなんて憂鬱なんでしょう。そんなあなたに、寝る前の紅茶を捧げます。さて、今回は「他人」の存在について話そうと思います。

「光の多いところでは、影も強くなる」ヨハン・ゲーテの有名な言葉の一つですね。一応意味としては光が強ければ強いほど、その裏にあるものも一緒に育っているということです。例えば、先日引退を表明したイチロー。彼は輝かしい経歴を持っていますが、その輝きも血の滲むような努力あってこそのものです。つまり、輝きの強さほどの努力をしたのだということになります。ただ、この言葉はそんなにシンプルなものではないと私は感じます。それは光に吸収されて、生まれた影もあるということです。ゲーテが、この意味を意図して発した言葉なのかは定かではないですが、私はこの言葉を安易に「プラスの言葉」とは捉えません。陽があれば、陰もある。つまり、明るさの奥には多くの闇もあるのです。不謹慎ではありますが、戦争があるからこそ、平和があるように。イチロー選手の光にも呑まれていった多くの陰があると私は思っています。一方で、彼を陰で支えた人も多くいることでしょう。こうしたものを含めて、全てが「カゲ」なのです。

前置きはこのくらいにしたいのですが、これが一体今回の命題と何の関係があるのか。それは、あなたのカゲには誰がいるのか?ということです。それでは、今回もとっておきの紅茶をどうぞ。

あなたにとっての、他者について考えたことはありますか?誰でもいいです。想像してみてください。家族なのか、友人なのか、それとも遠くで暮らすアメリカ人なのか。ただ他者といっても幅は広いですよね。今回私が指す他者とは、その全部を指します。え、一個ずつ説明すんのかよ...。いやいや、流石にそれはしません(笑)今回はもっと抽象的に、かつ哲学的にちょっとだけお話をしたいと考えてます。まあ、カッコつけて言ってみたものの研究者でもなんでもないので、あくまで私の考えとして今回もご愛嬌ください。

さて、あなたは今、渋谷のスクランブル交差点を歩いています。(渋谷に行ったことない人は、身近に人が多いところで)そこには、外国人観光客、変な服を着た人、スーツ姿のおじさん、若いカップルなどいろんな人がいますよね。そこで、一体何人の人があなたのことを目にしたでしょうか?今回の肝は、ここにあります。例えばあなたが、有名人だった場合。きっと多くの人があなたのことを見るでしょう。一方で、地味な服装にどこにでもいそうな人相で、影も薄い人だったとします。すると、きっと数人はあなたを視界の端に捉えますが、多くの人の目にはとまりません。これが、他者にどれだけ観測されているか、という話になります。私は、自分以外の人を私が存在するための「観測者」であると考えています。極端な話をします。息もしているし、生活もしている、町も歩くし、会社や学校にもいく。けれども、だれもあなたを見ないし、声も聞かない、肩がぶつかっても気づかない。果たして、その人は存在しているといえるでしょうか?

あなたはどう思いますか?たしかに、紅茶を飲んでるはずなのに、紅茶は減ってるのに...。本当に生きてるの...?いや、ホラーじゃないんだから!暗くならないでください!では、次行きますね。

どれだけ自分が観測されるか。それが、存在証明になるのだと私は考えています。人が目立とうとするのは、その原理ですね。テストで一位だった、足が速い、歌が上手い、絶世の美人。その人の個性があればあるほど、観測をされ、その人の生きている証になるのです。ただ、これだけではないんです。それは、観測をした後に、「価値をはる」という工程に移るからです。観測をされるのには、条件が二つあります。一つは、自身が何かしらをするということ。(この場合、生きているだけでいいので、実際は「行動」という意味ではないです)もう一つは、先に述べた「目立つ」ということです。ですが、目立ち方にもいろいろあって、その目立ち方によって価値が決まります。さっき言った例はおもにプラスな価値と言えるでしょう。しかし、授業中にオナラをしてしまった、全国模試最下位、会社で大失敗、最悪なものでは犯罪を犯したなどは観測はされても、マイナスの目立ち方になっていて、悪いレッテルを貼られます。つまり、他者とうまくやっていきたいならば、観測をされつつもプラスの価値を与えられなければいけないのである。そう、光と影で言うならば、濃い光が「観測」、そしてその影が「価値」ということになる。いくら光が濃くとも、影がダメなら、光に意味はないのです。どころか、マイナスになってしまいます。他者とは、あなたの観測者であり、評論家でもあるのです。これを肝に銘じておくだけで、生き方って少し変わるかもしれませんね。

今回は応用編はないので、ちょっとだけ私の話をして締めたいと思います。

こうやってここに文章を記しているのも、私の「存在と価値の証明」になるのです。こんな拙い文章を読んでもらい、ハートをつけてもらう。それが私の生きていることと、自身に繋がるのです。なんて言っても、大きなことを言ってフリをしているだけで、中身は実はすっからかんです。ですが、こうして読んでくださる皆さんに感謝したいと思います。

ありがティー。紅茶だけに...。

思いっきり、滑りましたよね?価値下がりましたよね?TT兄弟だと思いましたよね?でも、いいんです!今回も読んでいただきありがとうござました!

はじめましての人も、そうでない人もめげないで、次も来てください。それでは!