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Aretha Franklin - Amazing Grace (1972)


開け放った窓から流れ込む冷気が、幾分穏やかになってきた。とはいえ、やはり日没後の一杯はまだまだ焼酎のお湯わりがいい。最近のお気に入りは粕取り焼酎。ソーダ割りも抜群だが、酒粕の香りが湯気とともに鼻腔をくすぐってくれるお湯割りが今の気分だ。

身も心も温めるべくチョイスしたのは、すべてのセリフを覚えるくらいに見まくった不朽の名作『ブルース・ブラザーズ』。やはりいい映画は何度鑑賞してもいい。凝った脚本とか、カット割などに頼らずとも、絵になる役者さえいればそれだけでいい。そんな暴論を吐きたくなるくらいに、あの2人には神がかり的なかっこよさがあった。

そんな作品に続けて鑑賞してしまったせいもあるだろう。アリサ・フランクリンの映画リスペクトにはなんの感慨も抱けず、本作の公開録音を記録したドキュメンタリー『アメイジング・グレイス』のほうにしておけばよかったと後悔。

素晴らしい演技を披露したジェニファー・ハドソンに罪はない。『ボヘミアン・ラプソディ』のような、悪い意味でそつのなさ(オフィシャルリリースをなぞったかのような退屈なライナーノーツを読まされているような)が僕にはささらなかっただけ。前言を翻すようだがカット割も退屈で、映画全体にダイナミズムがない。監督はアリサの何を表現しようとしたのか。というわけで、久しぶりに本作を聴いているというわけだ。

本作は米国・ロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会でのライブ盤。レディソウルがガチのゴスペルを歌った不朽の名作である。クソ田舎の農夫が、全人類の至宝について付け加えるべき批評など無きにひとしい。その代わといってはなんだが、この作品がどのような時代に生まれたのかを振り返りつつその存在意義を探ってみたいと思う。

レディ・ソウルことアリサ・フランクリンが自らのルーツに立ち返った、などと紹介されることも多いが、そもそもそ教会以外で歌われるようになったゴスペルソウルミュージックと呼ぶのだから、アリサが教会で神を讃える歌を歌えば、それはもうゴスペル以外の何物でもない。

彼女やオーティス・レディングサム・クックカーティス・メイフィールドなどなど、多くのゴスペルシンガーが教会から離れた理由はいろいろあるのだろう。しかし、彼らは俗世間での成功を目指しながらも、公民権運動やウーマンリブを後押しするなど、その己のアイデンティティを忘れることはなかった。とにかく1950〜60年代はそういう時代だったのだ。

そんな激動の1960年代が終わりを迎えようとしたタイミングで、相次いで発表されたのが"Let It Be"と、"Bridge over Troubled Water"である。いずれも白人ポピュラー歌手がゴスペルにインスパイアされて作ったスピリチュアルな名曲だ(アリサバージョンは、後者のほうがいい)。激動の時代から内省の季節へと移り変わりつつあった1960年代末はそんな時代だったのかもしれない。

米国という社会の表層部分の、さらにごく一部だけを一瞥したに過ぎないものの、マイノリティの存在回復の時代である1970年代の幕開けに本作がリリースされたのは、時代の必然だったのだろうし、ソウルの女王として君臨する自らの、いやソウルという音楽のルーツであるゴスペルの魅力を広く知らしめるアルバムは、彼女にとっていずれは作っておかなくてはならない作品だったのかもしれない。

バッキングがピアノだけでも、聖歌隊とのコール&レスポンスが繰り返されるうちに、場内のボルテージが上昇していく様が、空気の震えを通じて伝わってくる。そんな奇跡のようなライブ盤。他にはないリスニング体験である。


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