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2003年のムシキング

最近、たまたま『ムシキング』の話になった。
『ムシキング』・・・。懐かしい。久しく聞かなかったワードだった。
記憶の片隅、いや、普段出し入れすることのない記憶の引き出しにしまわれていたワードである。
だが、一度そのワードを聞いてしまけば、それがトリガーとなり自動的に記憶の引き出しが開かれ、かつて胸を熱くした日々が思い出補正込みでリプレイされる。

2003年の夏

そもそも『ムシキング』が稼働したのは2003年の1月21日。自分が初めてプレイしたのはその年の夏だった。というか、もう20年前なのか!?その割に鮮明に覚えてる。当時の私は小4・10歳で、つまり現在は30歳である。
たまたまデパートのゲームコーナーでプレイしたのがきっかけだった。
100円を入れると、筐体の下からカードが1枚出てくる。カードの種類はムシカードとわざカードの2種類で、ムシカードの両脇のバーコードスキャンすると、筐体の画面にムシカードのカブトムシ、クワガタが登場。当時としては画期的である(わざカードも同様にバーコードがあり、スキャンすることで使用できる)。
また、ムシたちのグラフィックはかなりリアルだったが、逆にわざのモーションはゲームらしいド派手なものとなっていた。そのアンバランスさが逆に印象的かつ、魅力的だったのである。
初めて当たったのはわざカードの『サイドスクリュースロー』だった。それはつよさ160の『ネプチューンオオカブト』とつよさ140『アトラスオオカブト』共通の超必殺技である。
それからプレイ2、3回目で『ネプチューンオオカブト』が出た。1回目にしてちょうど運良く超必殺技を持っていたので、そのまま『サイドスクリュースロー』を"スキャン"した。
つよさ160は3番目に強い銅のレアカード(2番目に強いのが銀の180、1番強いのが金の200)で、プレイ初期に当たったのは心強かった。
『ネプチューン』はしばらく"相棒"として活躍した。

今更言うまでもないが、『ムシキング』はカードをコレクションする年頃の子に刺さっただろうし、ルールもジャンケンという単純明快さと、何よりカブトムシ、クワガタ=甲虫のコンセプトが良かったと思う。
まぁ、個人的に"虫"繋がりで言えば、私が初めてリアルタイムで見た特撮番組『重甲ビーファイター』、そして次回作『ビーファイターカブト』の存在も大きかった。『ビーファイター』は昆虫をモチーフとしたメタルヒーローシリーズで、人気も高かった。やはり子供には虫がキラーコンテンツなのである。それを見て育った私からすれば、虫というのは琴線に触れるのだ(ビーファイターは個別で語るべきものなので、またの機会で)。

2003年の秋

秋になると、ムシカードのパラメータのタイプ分けがされ、アタックタイプ、バランスタイプ、ディフェンスタイプという3種類のタイプが生まれた。ムシカードに個性付けがされるようになったのだ。
その秋に私は二代目"相棒"と出会うことになる。

それまではほとんどのプレイで、前述の初代相棒『ネプチューン』が"亀山薫"並みの活躍をし、そのたびにカードを1枚手に入れるが、つよさ180〜200のムシカードが当たったことがなかった(つよさ200のムシカードに関しては目の前の子が当たったのを目撃したことがある!!)。
だが、その出会いは突然だった。
その日、学校が終わって親に連れられて行った、某大型ショッピングモール(初めてプレイした場所とは違う)のゲームコーナーでムシキングをプレイする。
いつものように100円を入れて、カードが出てくる。
どうせ、出てくるのはつよさ100〜140のムシカードか、わざカードだろうと思っていた。
だが違ったのだ!!それはゴールデンに輝く、レアカード、つよさ200の『アクティオンゾウカブト』だったのだ!!自分の目を一瞬疑った。でもそれはまごうことなき、実物である。
ストーリーモードの"ほんとうのさいごのてき"として、つよさ200とは何度も戦ったが、やはり自分の手=自分のムシカードとしてプレイできることには感動がある。同じつよさ200には『ヘルクレスオオカブト』というメジャーかつ、甲虫の王様のような存在がいて、『重甲ビーファイター』では大型マシン『メガヘラクレス』のモチーフにもなっていたから、そっちの方が欲しかった。それに比べて『アクティオン』は『ムシキング』で初めて知ったカブトムシだ。だが、自分の元に来てくれたカードにこそ、愛着が湧くというものだ。
それに伴い、自分の中の『アクティオン』への評価も一変する。突き出した2本の角、とても重量感のあるボディ故にどっしりと構えた佇まいはカッコ良く、それにどことなく渋みを漂わせていた。また重低音を響かせる咆哮は今だに耳に残る。
そして、少し震える手で『アクティオン』をスキャンしたのは今も記憶に鮮明に焼き付いており、すぐさま今後の為に用意していた超必殺技の『ガンガンスマッシュ』のわざカードもスキャンした。
それから『アクティオン』が『ガンガンスマッシュ』を炸裂しまくったのは言うまでもないだろう。


私がムシキングに没頭したのは『ビーファイター』もひとつの要因であったが、他にもあった。

2003年の自分

2003年、この頃に兄の影響でWWE=プロレスにハマる。当時はフジテレビで深夜にダイジェスト版の『スマックダウン』が放送されていた。それから、WWEのゲーム『エキサイティング・プロレス』(略して、エキプロ)にもハマった。やはりイケてるスーパースター(WWEでは所属選手をそう呼ぶ)をゲームで使用できるだけで楽しかったのだ。
休日は午前中に『エキプロ』をがっつりプレイしてから、午後に親に連れられてショッピング・モールに行った(もちろん、そこでムシキングをやる)。なんという、ゲーム三昧の充実した休日であろうか。
プロレスにハマりたての私は『エキプロ』で、プロレス技を覚える。すると、ムシキングのわざカードのネーミングはどこかプロレス技っぽいことに気づく。もちろん、初めて手にしたカード『サイドスクリュースロー』もプロレス技っぽい。そう、『ムシキング』はどこかプロレスの匂いがしたのだ。
というのも、『ムシキング』はプロレスと関係があり、05年には『プロレスリング・ノア』で『ムシキング・テリー』がデビューする。

『ムシキング』はカード、カードといえばトレーディングカードだ。もちろん、『遊⭐︎戯⭐︎王』、『デュエル・マスターズ』も並行してプレイ(余談だが、『禁止令』の"プレイ"ではない)していた。
その年の『遊⭐︎戯⭐︎王』はカオスの概念が誕生して暗黒期を迎えたり、『デュエル・マスターズ』は闘魂編が発売され、ロングセラーとしての地位をしっかりと固めつつあった。
まぁ、その頃は小学生だったので『遊⭐︎戯⭐︎王』ではガチデッキとは戦ったことはなく、『ストラクチャーデッキ-城之内編-vol.2』をベースに、好きなカードの寄せ集めでデッキを組んでいた。エースカードは『ガガギゴ』、『ギガ・ガガギゴ』だった。その2枚は今だに好きなカードである(『ゴギガ・ガガギゴ』も)。また、『デュエマ』では光文明単色のデッキを使っていたと思う。エースは『精霊王アルカディアス』だったが、その進化元として使っていた『飛翔の精霊サリエス』の方がなぜか記憶に焼きついている。

プロレスに、カードゲームに囲まれた日々。
そんな要因もあって『ムシキング』にハマったのである。
それから、2006年まで『ムシキング』をプレイし、中学入学を期に卒業した。それでも今だに『ネプチューン』と『アクティオン』は手放さず、持っている。特に『ネプチューン』は初期の頃、スリーブに入れてなかったので、若干角が捲れ気味であるものの、それはそれで歴史を物語っているようで愛着がある。


懐かしい勢いで、バァーとここまで書いてしまった。私のこんな長々とした記事を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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