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いくつもの世界でうつくしい君:Official髭男dism「Pretender」と可能な世界

さいしょはよくある作品だと思っていたものが、思わぬ景色をみせてくれるとき、作品を聴くよろこびのひとつを思い出す。そんな作品としてこの曲を挙げたい。

Official髭男dism「Pretender」。

バンドサウンドとともに、きらびやかなシンセの響きにのせて、「運命のヒト」ではない「君」と「僕」の別れをドラマティックに歌うポップス。

テン年代のポピュラー文化において、つよい存在感を示すビデオゲーム作品『STEINS;GATE(シュタインズゲート)』のキーワードを彷彿とさせる「世界線」や「疼きだす未来」「運命」といった、ありえたかもしれない「君」と「僕」をテーマとしたこの曲は、その歌詞のみならず、音楽との関わりからも、音楽によってこそ表現できたメッセージを聴き出せる。

とくに注目したいのは、この曲のサビだ。

君の運命のヒトは僕じゃない
辛いけど否めない でも離れがたいのさ
それじゃ僕にとって君は何?
答えは分からない 分かりたくもないのさ

サビでは、メインのメロディを歌う声だけではなく、コーラスにも耳を澄ませたい。

後ろや周りで歌っている声に耳を澄ますと、ざらっとして、異質な声が聴こえる。ヴォコーダを通したような独特な機械的な声、しかし切々と訴えるような声は、何を意味するのだろうか?

この声は、ありえたかもしれない「世界線」の「僕」たち、つまり、この世界によく似た「可能だったかもしれない世界」に住む「僕」たちの声だ。「運命のヒト」じゃないのに「離れがたい」〈僕たち〉の世界が、この瞬間、重なり合って同時に歌うのだ。

〈僕たち〉そして〈君たち〉は、この世界の「僕」と「君」によく似ている。あの場所で出会い、あのことで笑い、喧嘩して、涙し合った。でも、少しずつちがってもいる。あのときは雨ではなく、快晴だった。あのときは、言いそびれたのではなく、言いすぎたのだった。
よく似ているが、少しずつちがう世界を生きた〈僕たち〉がこの瞬間、重なり合っている。

突飛な考えだろうか? しかし、サビのコーラスを「可能な世界のいくつものぼくたちの声」としてこの曲を聴くと、いっそうあじわいぶかい景色が立ち上がってくる。

「君」と「僕」の〈運命のヒトでなさ〉は込み入っている。「もっと違う設定」「もっと違う関係」「もっと違う性格」「もっと違う価値観」でなければ、きみとの愛を伝えることもできず、「いたって純な心で」好きだという気持ちを無責任に言うことさえままならなかった。

だから、たとえ、この世界ではない別の世界でさえも、いくつもの世界で「君」と「僕」はうまくいかないいくつもの「運命のヒト」の〈ふりをする者〉=〈Pretender〉の〈僕たち〉が叫んでいる

同時に、サビのいくつもの声は、いくつもの世界での「僕」の「君」への思いを響かせる。サビのさいごには、いつもこのことばが繰り返される。

「君は綺麗だ」

この声もまた、いくつもの声が重なり、いくつもの「僕」が思わず歌う。きっと、この世界とよく似たいくつもの世界でも「僕」は「君」のうつくしさに感嘆している

だが、それでは、ただひとり、〈この世界〉で生き、「君」の「運命のヒト」ではない、まさにいま、かなしみ、痛んでいる「僕」は何を歌うのだろうか? 「僕」は他の〈僕たち〉と何も変わらないのだろうか?

その答えは、この曲のさいごにわかる。さいごのことばは次の呟きでおわる。

「とても綺麗だ」

さいごのこのことばをよく聴くと、わたしたちは気づく。〈僕たち〉の声はなく、この「僕」だけがこのことばを歌ういま生きている他でもないこの世界の「僕」が、「君」のうつくしさにふるえている

これまでは、いくつもの世界の〈僕たち〉とともに歌っていた。「君が綺麗だ」という判断もまた、いくつもの世界で成り立っていた。

だが、「君」が「とても綺麗だ」というこの判断は、この世界だけで引き受けるいくつもの世界で動かしがたいふたりの別れを経てもなお、この世界の「僕」だけが、ただひとり、「君」を「とても」「綺麗だ」と言える

それは、この世界に生きる「僕」という存在と運命への悲しい祝福だ。

この曲は、いくつもの可能な世界たちでさえ成就しないふたりの運命を嘆きつつ、この世界をひとつきり生きる、かけがえのないうつくしさとかなしくも美的な瞬間を歌っている。

制作者が以上の解釈をデザインしてこの曲をつくったのかは明らかではない。もしそうなら、制作者たちには惜しみない達成の賛辞を。もしそうでないなら、わたしが提示した新たな鑑賞のしかたがあなたに価値をもたらすことを祈る。

難波優輝(分析美学と批評)

引用例:難波優輝. 2019. 「いくつもの世界でうつくしい君:Official髭男dism「Pretender」と可能な世界」Lichtung Criticism', <https://note.mu/deinotaton/n/ne7ace1313b1f>.

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