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881グラムの娘と仕事と頑固オヤジ

ニューノーマル。

直訳すると「新しい普通」。
そして、この劇的な変化に対応して行かなければならない。

コロナ禍で人々の生活や考え方、価値観が大きく変化していくなかでこの言葉をよく聞くようになりました。

しかし、実際にはコロナ以前にも人それぞれ状況が激変するニューノーマルを経験しています。
例えば、一般的な事柄で言えば、リーマンショックや東日本大震災など。そして、個々にも様々な生活や価値観が激変してしまうニューノーマルがあると思います。

御多分に洩れず、僕自身も幾度かのニューノーマルを経験しています。
その中でも、今回のコロナのように激変する状況において、自分を見失うことなくやるべきことをマイペースながらも確実にやり続け、つぶされることなく乗り越えられたのには理由があります。

それは、自分が頑張って乗り越えたのではなく、常に「人ありきだった」ということ。

今日はそんな話をしてみたいと思います。

881グラムで生まれた娘

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今から8年ほど前、お客様と現場で打ち合わせ中に妊娠の定期健診に行った妻から突然電話が入りました。

「妊娠中毒症になって母子ともにこのままだと非常に危険な状態なので、すぐに出産予定している病院に連絡して入院してくださいと言われた。」と。

この電話から一週間後、様々なドタバタ劇がありながら予定の2か月も早く娘は生まれました。881グラムの超低体重、超未熟児という状態で。

幸いにも大きな病院で超未熟児でも受け入れできる体制でしたが、1000グラム以下の赤ちゃんは初めてということで病院でちょっとした話題と共に、担当の先生や周りの看護師さんたちは気合充分でした。(ありがたいことです。)

そして、生まれた直後からNICU(新生児集中治療室)で保育観察と共に様々な治療が行われることになりました。
その手続き中、看護婦長に言われた言葉が……

「無事に生まれてくれましたが、これからが大変ですよ。奥さんに任せきりにせずにお父さんも一緒に頑張ってください!ちゃんと面会に来てくださいね!」という厳しい一言でした。。

そして、「もちろんです!」と言った瞬間からニューノーマルのスタートでした。

仕事人間の葛藤!?

子供は大好きです。もちろん、我が子が生まれた時も超未熟児という状態でしたが手放しで喜びました。
「子供のためならなんでもやれる!」と思っていましたし。

しかし、そんな想いとは裏腹に、実際には毎日面会に行くということは仕事上問題が山積みでした。

病院は里帰り出産の為、車で高速道路を使っても1時間半はかかる。
面会時間は18時~20時の2時間のみ。

つまり、仕事を16:30には終わらせて病院に向かわなくてはならない。
自営業なので育休をとれるなんてこともない。

そのうえ、自社の強みは「24時間体制でいつでも対応します」でした。
実際に夜中に緊急で連絡が来ることも多く、仕事は常に昼夜を問わず働いていました。
そして、そうやって仕事に奔走していることが自分の生きがいでもありました。

そんな自分が急に夕方早めに仕事を終わらせて帰るなんて考えられませんでした。
それも毎日。

仕事か子供か??
かけてはいけない天秤にかけて1人で悩んでしまいました。

帰りの車の中でどうしたらいいか悩んでしまい、帰り途中のパーキングエリアで一晩考え込んでしまいました。

昭和の頑固オヤジたち

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悩みぬいた結果、お客様にすべての事情を説明して仕事のやり方、時間、対応方法を変えさせて欲しいというお願いに行くことにしました。
正直、こちらの勝手な事情なので仕事がなくなる覚悟のうえで。

相手は高度成長期に家庭をかえりみずに仕事に没頭して会社を大きくしてきた人たちばかりです。良くも悪くも昭和の頑固オヤジといった人たちばかり。

まともに話を聞いてもらえないかも知れないと思いながら会いに行きました。
仕事に対してとても厳しい人達ばかりだったから。

しかし、予想に反して8割方の反応が……

「いいよ。上手くやってくれ」
「無事に生まれてよかったな」
「子供のためにも頑張れよ」

仕事を切られることも、説教されることも、嫌な顔をされることもありませんでした。
逆に都合の良い仕事を増やしてくれたり、社長直々に担当者に話をしてくれたり、お金や時間の心配をしてくれたりするほどでした。

もちろん、時間の関係でどうしても辞めざるえない仕事もありましたが、「お前のその決断は間違っていないから頑張れよ」と声をかけてくれる方もいました。

泣けました。

昭和の仕事一筋の頑固オヤジたちは、厳しいながらもみんな優しさにあふれていました。

逆に、仕事が全部なくなってしまうかもしれない、理解してもらえないかもしれない、と勝手に思い込んでいた自分が一番の頑固オヤジだったのかもしれません。
ニューノーマル(新しい普通)に気持ちが対応できず、今までのやり方、考え方にこだわり過ぎていたのです。

次々と来るニューノーマルという波に

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50年近く生きていると、コロナのように全世界が激変するとまではいかなくても、個人的なニューノーマルは意外と沢山経験しているものです。

そんな時、いつも誰かに助けられている。優しさに救われている。
そして、ニューノーマルという波にゆっくりと対応できるようになる。

自分ひとりでその波に立ち向かおうとしても、きっとバタバタするばかりで沈んでしまうのでしょう。
僕は、自分が頑張ったからここで立っていられるのでなく、人の優しさに助けられてここに立っていられる。

これからも『人ありき』の人生ですが、笑顔でニューノーマルという大小の波にもまれてみようと思います。

そして、「助ける」なんておこがましいけど、少しでも自分が受け取った優しさを誰かに手渡せたら、これからの折り返し人生悪くないなぁぁと思う今日この頃です。


コネクトファシリテーター でじでじ でした。



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