目の焦点を変えると徐々に見えてくる、通常は存在しない湘南美容外科クリニックの看板

16時に起きる。
カレーを食う。
タバコを吸う。
ギターを弾く。
将棋を指す。
本を読む。
将棋を指す。
風呂に入る。
将棋を指す。
ギターを弾く。
将棋を指す。

初めて初段の人に勝てた。
明らかに形勢が悪いと思っていたけど、対局後解析にかけたらずっと優勢だった。
将棋ってそういうことがある。
ずっと間違った方向に進んでいると思ったら、実は着々と好手を指していたみたいな。思考や対話とよく似ている。
俺が将棋を好きなのはそういうところ。

将棋には正解がない。定跡や手筋と呼ばれるような所謂常識的な手があったり、最新AIが導き出した最善手というのはあるんだけど、それが本質的な正解であるというわけではない。時代が進むごとに常識的な一手、最善の一手は変わっていく。
時代によって流行りの戦型があって、それに応じた研究がされ、それに伴った最善手が追求されてきたけど、時間が経つごとにそれは変わっていく。でも将棋としての価値は着実に高まっていく。過去を踏襲して、バージョンアップを重ねて、たまに振り出しに戻るけど、確かに進んでいる。
将棋の歴史というのは、人間の知の歴史そのものとよく似ているなといつも思う。
俺が将棋を好きなのはそういうところ。

でも全然上手くなれないよ〜。

色んなことを疑っていて、誰の言葉も信じていなくて、ひとりよがりってやつになっているような気もする。でもそれが本当に正しくないのかという疑いもあって、俺はずっと平たい社会に入り込めない。あっちは俺を受け入れてくれるだろうけど、俺は多分耐えられなくなって外に出る。
ずっと抽象的な話。
イメージだけの話。
個人的な話だから、いいだろ、別に。

先週のニュース!オモコロウォッチで取り上げられていた、ガジェット通信が「ご飯に生卵をかけたら美味しい!生卵ライスという料理を考えました!」という所謂釣り記事をあげてなぜか炎上したことをずっと考えている。
明らかに「それ卵かけご飯だろw」というツッコミ待ちのやつなんだけど、「この記事書いた人は日本人じゃないんじゃない?」とか「AIが書いた記事なんじゃない?」という意見が飛び交っていて、なんか普通にマジギレしている人もいるらしい。
オタクくんだったら「ああネタ記事ね」と一蹴するか、ネタに乗っかるかのどちらかだと思うんだけど、もうインターネットはオタクくんだけの場所じゃないんだなと思う。インターネットはみんなのものになっていて、ガリガリ眼鏡くんが近視になりながらタイピングする空間じゃない。新住民には昔からのノリが共有されていないから、明らかな釣り記事を理解できない人もいて、なぜかブチギレる人もいる。インターネットはもう、そういう場所になっている。
ただ、俺はたまたまノリを知っていたから生卵ライスを一蹴できただけということを忘れてはいけない。俺はいつか経験したことのない謎のノリに直面し、理解できなくてブチギレる可能性を持ち合わせている。仮にブチギレちゃったとして、自分の間違いを素直に認めて謝り、そのノリを受け入れていく人間でありたい。そして生卵ライスにブチギレている人にも、俺は優しくありたい。多分みんな話せばいい人で、ちょっと相容れないところもあるかもしれないけど、きっと仲良くなれそう。そう思い続けていたい。

ウンチのジェットコースターとかけまして、健康な心臓と解きます。
その心は、どちらも便(弁)がスムーズに動くでしょう。

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