死後にリザルト画面が出てくると疑わない人たち、Aランク評価目指そうとする人たち、意味のない人たち20240130

「ほう...。炭酸抜きコーラですか...。」ってやつ、普通にウィダー飲めよって、今日思った。
これまでは思ったことなかった。
進んでる。一歩ずつ進んでる。

昨日はクラブリバーストの新年会。
エモの話ができた。
エモの話ができて、俺は嬉しいね。
なぜならエモの話ができたから。

じゅんき宅に向かう。
汚すぎてここでの滞在は不可能と判断。じゅんきと一緒に俺の家に向かう。
あんな部屋で寝泊まりしてたのあいつ。動物でも住めない。
食った後の納豆パックがそのままベットに置いてあった。本当に信じられなかったんだけど、そもそも他者というのは本来的には本当に信じられないものなのだ。
キッチンに切ったままの生鶏肉があった。焼けよ。

家到着。ジャミロクワイを流す。
「Virtual Insanityでありえないノリ方してる奴」というボケをしたら、じゅんきに「形が子宮すぎる」とツッコまれ、マジで感動した。
「形が子宮すぎる」
死ぬまでに一度は言ってみたいツッコミだ。

朝。じゅんき帰る。あのありえない部屋へ帰るのか、あいつは。

裸で風呂に入り、裸で出てくる。
裸で洗濯機を回し、裸で食器を洗う。
裸で飯を作り、裸で飯を食う。
裸でコーヒーを淹れ、裸でレポートをする。
雪解けは近い。

今思ったんだけど、風呂入る時に裸で、風呂から出る時しっかり服着てたらめちゃくちゃ面白いと思う。

【裸原理主義のくるり】
「僕が服を脱ぐ理由は 大体100個くらいあって」

最近ハマってる言葉三選。
寿司。ゲッターズ飯田。下痢便。

湖で射精し、金色のおしっこを手に入れたショタ

プールの授業でしか聞かない言葉、「蹴伸び」

文学的なTwitterアカウント
全員ウンコ細いから嫌い

服着ないと寒い。
やっぱりまだ冬だ。

救急車のサイレンは、部屋にいると関係ない。

歌詞ドッキリってやつ、やめてくれ。
「いいですか、落ち着いて聞いてください」ってやつもやめてくれ。

たまに、「ああこの光景をこの先もずっと思い浮かべていたいな」と思ったりするんだけど、そういうのに限って全部忘れていく。その証拠に、俺は今何も覚えていない。何も残っていない。
逆に忘れたい記憶ばかり残っているかと言うと、それはそれでちょっと分かんない。まあほとんど残ってない。みんなみんな忘れていくのかもしれない。最後には何も残らないはずだ。
別に悪いことじゃない。
「この経験をしたから人生が豊かになった」とか、「仲間との思い出を大事に」とか、生きるうえでの経験をある種数値化して、沢山ポイント持ってるやつが勝ちの人生ゲーム、どうなの。
手前の人生がA評価だったら、どうなの。
それを目指して、どうなの。
生きることをゲームにして、どうなの。
大事な記憶は忘れていきたい。大事じゃない記憶も忘れていきたい。全部忘れて、最後に何も残らなくしたい。
もし死んだ後にリザルト画面なんてものが出てきそうだったら、ボタン連打でスキップする。それこそゲーム化された思考になってるけど。これは言葉の綾ってやつ。「言葉の綾」って言葉を使いたくなる時あるよね。

現代アートに「俺でもできる」って言うやつ、もうやめよう。
お前でもできるやつを誰かがはじめてやってんの。

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