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キャンプ場で出会った女の子と私

近々、わたしの彼とその同僚達とのキャンプに参加することになったんですけど。完全アウェイなのと人見知りなのとキャンプ自体ほぼ20年振りなのとでちょっと心配です。

それに伴い、キャンプにまつわる昔の記憶などが色々蘇ってきたので、つらつらといくつか書いてみようかと思います。

実はキャンプ一家育ち

一人旅は好きなくせに基本は引っ込み思案でハイパーインドアのわたし。そんなわたしですが、実は小学校中学年くらいまでは冬季以外はシーズン毎にキャンプに連れて行かれるよな家庭で育っています。

父も母もバイク乗りだったもんで、我が家のキャンプはキャンプツーリングが土台の、結構ワイルドな感じのやつです。イメージで言えば、椎名誠の『あやしい探検隊』シリーズなんかが近いんじゃないかと思います。実際あのシリーズは読んでいて容易に想像しやすかったし、身近に感じられてとても好きでした。

これは余談ですが、ツーバーナーストーブでBBQグリルする、みたいなキャンプやオシャレキャンプは邪道だと歪んだ刷り込み教育されているもんで、今流行りのグランピングなんか、存在を初めて知った時はまあ正直卒倒しかけましたよね。楽だし、やってみたいなあと一瞬思ったけど、絶対わたしには物足りないと思う(笑)

長い休みはだいたいキャンプに行ってました。

幼かった頃は車でキャンプに行ってましたが、小2の頃には徐々にバイクの後ろに乗っけられ、そしてやがては長いツーリングに連行されるように。バイクの後ろ乗って、北海道ぐるっとさせられたこともあります。「乗ってる時にバイク乗り見かけたら挨拶するのよ」って母に言われて、くそ真面目にやってたら、帰りのフェリー待ってる時、知らないバイク乗りのおっちゃんに「一生懸命挨拶してくれたのは君だったんだねえ」みたいなこと話しかけられてとても恥ずかしかったこと覚えてます。

キャンプ場で友達をつくってみたい

わたしはひとりっ子です。なので家族でキャンプへ行っても、親のバイク仲間たちとのキャンプへ参加しても、遊んでくれるのはいつも大人たちばかり。キャンプ場で一緒に遊べる歳の近い友達がいたらなあなんて、いつも思っていました。しかしわたしは引っ込み思案。キャンプ場内に歳の近い子どもたちがいても、声をかける なんてことは天地がひっくり返ったって出来るわけがなかったのです。

声をかけてくれた女の子

そんなわたしに、あるキャンプ場で声をかけてくれた可愛らしく明るい女の子がいました。歳もほとんど一緒で、テントもまあまあ近い。名前を教えてくれて、名前を聞いてくれた。わたしは舞い上がりました。これはあわよくば、お友達になれて、文通なんかをする仲になれたりしたら素晴らしいんじゃないか、とアホの子なのでそこまで想像を膨らませました。

テント小さいけど、お家貧乏なの?

泊まっているテントを案内した時、つらっとテントの外見を見て、そう、彼女は言い放ったのです。とんでもない爆弾娘です。

確かにその時のテントは小さいテントでした。なぜなら、バイクツーリングしていたから。家にはファミリー用のでかいテントがもちろんありましたが、ツーリングではそんなん持っていけるはずがありません。

ガラガラと夢の崩れる音がしました。

一切悪気がないのは彼女の様子から見てとれました。しかし、怒りやら悔しさやらがふつふつとこみ上げてきます。普段のわたしだったらば、多分髪ひっつめて頭ぶん殴ってたと思うんですけど、その時は何故か平静を装い上記のような説明を彼女にしたのを今でも鮮明に覚えています。

実際、とてもじゃないけど裕福と言える家庭ではなかっし、片親だったしで、意図的でなかったにしろ、触れられたくないコンプレックスの部分を土足で踏みいじられて辛かったんだと思います。今考えれば。

そして悟ったわたしは、適当に彼女との話を切り上げ、何事も無かったかのように自分のテントサイトへ戻りました。

ちなみに、彼女の家族キャンプは先に書いた我が家におけるいわゆる邪道キャンプさんでありました。

母さんは怒ってた

これはあとから聞いた話なんですけど、先程の一件は母にも聞こえていたらしく、母はそのお嬢ちゃんに対してめちゃくちゃにキレかかりそうだったそうです(大人げない)。しかし娘のわたしの冷静な対応に、はっとして、口を出すのをやめたとのこと。しかしわたしも怒ってなかったわけではないのでおあいこです。頭に血がのぼりやすいのは血筋です。

それから

それからというもの、思春期入りかけの時期だったのも相まって、人の目が気になるようになり、キャンプが少し苦手になりました。素直に楽しめなくなってしまいました。元々、キャンプは物心ついた時から身近にあるものだっただけに残念でもありました。大きくなるにつれてキャンプの回数も減っていったので、段々その気持ちは記憶の地層へと埋もれていきましたが。

BBQグリルに親でも殺されたのか、というくらいにオシャレキャンプに嫌悪感を抱くようになったのもこの一件が要因のひとつだったんじゃないか、と自分自身推測しています。今でもまだ消化しきれてない、忘れられない出来事です。地層に埋まる、プラスチックであります。どうにかね、取り外せたらいいんですけど。

久しぶりに始める創作活動費用に充てさせていただきたいと思います。