3/7にあの子が死んで、それはそれは泣き倒した。涙腺に蛇口がつけられるオプションがあるのなら何百万円でも払うから今すぐ工事しに来てほしいと思った。3/8は仕事だったけど休憩中に寝てるフリをして机に突っ伏しながら泣いたし、ふとした瞬間に涙が出そうになるのを堪えながら必死に働いた。その日、思いの丈をひとしきり言葉にしてぶちまけたらなんだか少しすっきりして涙はいったん止まった。その後、もともと3/7の風磨くんの誕生日にアップする予定だったブログのエントリをアップした。もうとっくに書き上がってはいたけど、"3/7"という日付が自分のブログに残るのが耐えられなくてわざとずらした。風磨くんはまったく悪くないけど、「おめでとう」という言葉も「お祝い」という言葉も一言も入れられなかった。3/9、家に帰ったら今まで涙を見せていなかった母親がひとりで泣いていて、「今更悲しくなってきた」と言っていた。それを聞いて涙が出る段階は超えてしまった自分が不誠実な人間に思えてしまい、なんだか居心地が悪くなってその日はあまりリビングにいれなかった。3/10、朝起きたら一番にあの子のことを思い出したけどもう涙は出なくて、そういう事実として受け入れる段階に来てしまっている自分が怖かった。悲しければ悲しいほどまだあの子と一緒にいるような気持ちになれるから、ずっと悲しいままのほうがいいのかもしれない。

日本には昔から「悲しみが癒える」という言葉があるのを考えるに、「悲しい」という感情はすなわち傷なのだと思う。傷は時間が癒してくれるのを待つことしか出来ないけど、癒えた先にあるのが忘却であるのならば、それは本当に幸せなことなんだろうか。よく分からない。

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