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SkitとInterludeとPrince Paul①

パブリック・エネミーのラッパー、チャックDはこう言った。

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ラップはブラック・アメリカンにとってのCNNだ」。

ラッパーたちは彼らの日常をベースにリリックを書く。それはフィクションでもありノンフィクションでもある。N.W.A.やスヌープドギードッグ、ウータン・クランのようにキャラクターに寄せるリリックもあれば、アルバムのコンセプトに沿ったリリックにすることもある。

リリック、キャラクターとコンセプト。ラップのアルバム作りには欠かせないテーマだ。

そんなラッパーのキャラクターやアルバム・コンセプトを表現するためのリリックとビート、さらにそれらを補強するためにアルバムのなかに、楽曲とは別に日常会話や映画の台詞、違法薬物の取引現場、銃声や車の発車音、電話による会話などのSEや、楽曲の印象付けするために制作されたショート・レンジな楽曲やDJによるスクラッチ音やライブ会場の模様などがたびたび収録された。

それらは「スキット」。あるいは「インタールード」と呼ばれる。直訳すると,,,

スキット」は短い寸劇、スケッチ・コメディー。

スキット - Wikipedia

インタールード」は「inter(間)」と「ludere(戯れる)」を由来とした余興と余興の間に行なわれた幕間間奏曲

インタールード - Wikipedia

いづれも演劇用語のようだ。しかし、僕個人的には音楽用語で特にヒップホップ界隈で使われていると認識している。

ヒップ・ホップをアルバムで聴く人ならわかると思うが、60分程度のアルバムなのに楽曲クレジットが20~30曲もある場合はこの「スキット」や「インタールード」が収録されている場合が多い。

それは、89年にリリースされたあるアルバムがきっかけだった。それは、プロデューサーのプリンス・ポールが手がけたデ・ラ・ソウルのヒップ・ホップ・クラシック・アルバム『3 Feet High and Rising』だ。このアルバムではじめて「スキット」が収録された。つまり、「スキット」の(ヒップホップ界隈における)発明者はプリンス・ポールなのだ。

『3 Feet High and Rising』

それは『3 Feet High and Rising』のミックス・ダウンが終了した最後の瞬間だった。プリンス・ポールはこのアルバムに何かが足りないと感じていた。そして、彼はデ・ラ・ソウルが〈Tommy Boy〉からデビュー準備をしているときにあることを閃いたらしい。

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「巷のラップ・レコードには「よう、あんたの顔をぶん殴るぜ」とか「さあ(セックス)をしようぜ」みたいなリリック(いわゆるギャングスター・ラップ)が溢れていた。でも、これらのリリックはこの(デ・ラ・ソウルの)アルバムの全体的なコンセプトに合うトピックではなかった」

「私自身が思っていた当時の多くのヒップ・ホップ・アルバムに関する問題は、ほとんどの MC が自分が誰であるかをわかっていない。私は、司会者がいつも「彼はジョージで水上スキーが好きです」というように人を紹介する古いTVのゲーム・ショー形式について考え始めたんだ。それはマニアックだったけど彼らに即座にアイデンティティーを与えたよ。」

ポールは自分が考えた「3 Feet High and Risingゲーム・ショー」を彼らに提案した。4 つのプラグはアリゲーター・ボブ、ツイズラーの喜び、パーデュー チキンの羽の数に関する即興のリリックを放った。また〈Day-Glo〉 のゲーム番組や風変わりな子供の記録を創作した。彼らはスタジオでの最後の日にすべてをこれらの事柄について自発的に考えた。

「(「スキット」は)隙間を埋めるため、アルバムに何らかの構造を与えるためにやった。それは私たちが初めて試したものであり、今ではだいぶ進化しました。まさか、ラップ・アルバムの定番になるとは思っていなかったよ」

〈レッド・ブル・アカデミー〉
「A History of the Hip Hop Skit」


続く、、、。

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