見出し画像

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の大ヒットはなぜ?

先日、友人のライブを見に行って飲んでいる時に、なんであんなに映画はヒットしたのかね?という話になった。リアルタイムの音楽ファンの支持はまだしも、そうでない層があんなに熱狂するのは、へ?という感覚がある。しかし、そのヒットもあって3人の資産の総額はエリザベス女王を超えたそうで…。(ただ、女王の土地と美術品は資産に入っていないので要注意)

そりゃ、やっぱりイジりたくなる

でも、確かにわかるっちゃあ、わかる。これまでの記事にも書いたけれど、そりゃ楽曲の良さとか、キャラ立ちの激しさとか…。メンバー4人の個性とプロフィール、エピソードが濃ゆすぎてイジリ甲斐がありすぎるもの。もちろん、昔マンガでも取り上げられたし、ネタとしてイジられてたことは有名だし、今では腐女子と言われている、同人誌をつくってパロディや異説を楽しむ界隈があるけれど、80年代の洋楽でも同人誌があって、QUEENネタは鉄板というか、なんというか…本当にどこをどう切っても話のネタだらけで(まだ1冊保有してるぞ)。なので、その界隈の楽しみ方が一般化した(堂々とさらせるようになった)現在では、そりゃもう、しますよねw 

コスプレだって、美麗なとかかっこいいとかを超えたコスチュームをまとっている時期もあるでしょ? It’s A Hard Lifeとかね。

画像1

ほどよく若い時代の画像も映像も残っているし、なんかこう、くすぐられるし、そそられる。そこは日本のファン(特に女性)の楽しみ方とどうしてもフィットしちゃうんだと思う。

マッチョじゃない=想像の翼はひろがる

あと、イジっても怒られないだろうというのもありそう。QUEENは4人とも暴れん坊の側面はあまりないので。マッチョなところがないんですね。中世的とか女性的とかいう意味ではなくて、腕力とか性的なものとかで押してくる気配がない。すると、ファンの方は妄想の翼を広げる余白がいっぱいあるし、幅も大きいというもの。このマッチョでないところがモテるというのは、日本に顕著な特徴かと思っていたけれど、洋書で各メンバーの子ども時代をチェックしていたら、ロジャー・テイラーが中学生の頃に「すごくおとなしくて、控え目」で、女の子にモテモテだったと年長のバンドメイトが分析していました。彼は「それがモテるのか!」と驚いたそうで…。

(各メンバーの大学以前のエピソード、現在読み込み中です。いつかこちらにもアップします…遅くなっててすみません!)

現存メンバーが徹底的に関わった映画づくり

それから、映画のストーリーや作り方に残っているメンバー3人が徹底的に関わったというのは大きいと思います。インタビュー等で読んだ程度ですが、たしか映画化の話が始まったずいぶん前にも、制作に3人(おもにブライアンとロジャー)が関わることを絶対条件としていたらしい。そこで、QUEENのうち、フレディに焦点を当てることにし、小説よりも奇なる彼の人生をどう描くか。エンターテインメント性をもたせながら、メッセージをどう込めるか。そういったことを3人は考えたでしょう。そこでQUEENの音楽制作と同じやり方がとられたと私は思うのです。

イメージと魅力を損なわずに、最小限の構成でどうアレンジして表現するか

曲作りではなくて、演奏のところ。QUEENの楽曲は、レコーディング作品は技術とアイデア、創意工夫を盛り込んだ、とても凝ったつくりになっています。ギターの多重録音、コーラスの重ね録り、効果音…。QUEENは特に作りこんでいますが、他のアーティストにしても同じでしょう。それを、ライブでどう演奏するか。盛り込んだものから何を削ぎ落とし、どれを残すか。Bohemian Rhapsodyでオペラ・セクションだけはテープで流すけれども、他はフレディ、ブライアン、ロジャー3人の声でやらなくてはならない。ギターも1本、初期はフレディのピアノはあってもキーボードはありませんでした。それを、アルバムに収録したイメージと魅力を損なわずに、最小限の構成でどうアレンジして表現するか。その取捨選択と構築がQUEENはすごいと私は思っています。そのセンスとインテリジェンスが映画作りにも生きているのではないでしょうか。”まんま再現”が、必ずしも良いわけではない。伝わるように絞り込むこと、そのためにアレンジをすること。それがQUEENの最大の武器ではないかと思っています。

そこが楽しみで初期~中期のライブ音源なり映像が大好きなんです。で、30年近くブツブツ思ってるのが1976年のハイドパークをどうして公式発売してくれないのかなあ…と。ここまで来て出ないのは、オリジナルが失われているということなのかな(涙)

じつは往年の名バンドも悩む”ライブでどこまで再現するか”問題

録音ではできたこと、過去にはできたことが現状ではライブで表現できないという問題は、いま多くのバンドが抱えています。20年ほど前にはメンバーの急逝や脱退によってでしたが、今では高齢化です。けれどオリジナルは大事にしたい。ファンの頭の中に流れているのはオリジナルだし、求めているのもそれなのに、まんま再現はできない。もちろん、まんま再現したいのならレコードなりCDなり、昔のライブ映像でも見ておけとなるのでしょうが、ライブ空間を体験するというのはまた別の話になる。それをどうするか…70年代、80年代に活躍し、いまでも一線に立っている多くのバンドが抱える悩みです。そういったことも見ていきたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?