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つぶやき投稿(vol.1〜200)

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主にnoteの読者を対象にしたつぶやきです。 つぶやきのみを集めてます。(一部不愉快なものもあるかもしれませんが大目に見てやって下さい。またはスルーして下さい)
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記事一覧

ダメージを深刻に捉えるのも才能

ダメージを人の半分しか堪えないのも才能

ただどっちかオンリーだとより片輪的

両方を行き来できれば豊かな才能

「気持ち悪いもの」

男女共に性器は本来やや気持ち悪いもの

しかしあれほど多くの人がそれを熱望する❤️💏

そうするとキモいという感覚はただ公衆意識の吐瀉物だった🚻

「切磋琢磨」

結果はサードゴロにしか見えなかった

ただホームランにはない味わいがあり

ホームランであればよいというわけではないことを思い知らされる

グランドに立ってるのに励まされる

次の球を放ることを考える

ブログをやるにあたって、Wordpressも当然選択肢にあった

でもWordpressは表現を突き詰めるより、まずブログ巧者であることを要求されるから惨敗してたと思う

しかしブログ道的アプローチの方が収入にはなりやすい

アマチュアイズムは陽の目を見るのか

太宰治に共感する人って、自己憐憫の傾向があるのかもしれない

憐憫の情が外的現実にひとつも根拠を持たないことはないだろうけど

その憐憫をどうするのかは読んだ人それぞれの課題なのだろう


(太宰にどっぷりハマった人の後年における感慨)

作家の森村誠一は旧日本軍の731部隊のことを書いて、右よりの人たちに家を取り囲まれ「筆を折れ」と拡声器で騒がれたが書くのをやめなかった

自分は書くことをなんだと考えていたのだろう

排外主義や差別問題は経済(生産・消費)社会のストレス値がある一定値以下であればそんなに起きないと思う

だからそれらは個人モラルの問題というより政治経済の問題でもあると思う

ただ政治経済の万能を信じるという楽観も危険だろう

(都心部の牢屋から見た世界のある1景色)

加藤さんと深津さんの動画の最後でnoteスタッフが全員集まった

ミートアップで加藤さんやスタッフ、佐久間さんや平田さんハヤカワさんや他のnoterさんをナマで見たことを思い出した

また顔を見ることはあるのかな

新しい出会いはあるのかな

そんなことを漠然と考えていた

ある(創作)表現の意味あるなしをジャッジするマスな権威は事実上瓦解した。

このものすごい混沌の中で創作者は自分がいいと思うもので道をつくっていく必要に迫られている

─創作に生きる者の今日的課題─

美術は全然専門外だけれども、

絵(画)とデザインはそもそもベクトルが全然違うのかもしれない

デザインはアイデアや構図や配色だからパソコンとソリが合うのだろう

絵の肝は必ずしもそこじゃないからパソコンだとインスタントな印象は拭えない

絵なのかデザインなのかで分かれるだろう

矛盾する欲求に引き裂かれる自己に

心身の真の統一はそう簡単におこらない

しかしそれこそが人のコンプレックス(複雑さ)ということだ

ある種の老人は万引きでもやるしかなくなってる

無論それが本当にやりたいことなわけない

しかし今さらオスカーを目指せるわけはない

🌃7月-月間deta

○投稿数 

長文…4本

つぶやき…3本

○月間総pv…1629pv

○もらったスキ…48♡

○押したスキ…37♡  
(22アカウント)


過去記事の有料マガジン化が滞っており、それが8月の課題

来月はどんな月になるか

書く力といわゆる発信力ってのはこれは別物なんだとnoteを読んでて気づかされた

書く力というのは絶望する力だと個人的に考えてるが、noteにあまたいる発信力のある素晴らしい人たちの大半には絶望の形跡がほとんどない

忖度で地位を手に入れるのは非常に危険だと思うこともある。

自分の意見がないからだ。

大戦時の東条英機首相がこのタイプの典型じゃないだろうか

あとで死刑になってしまった

しかし自分の意見ゴリ押し型も失敗してる

阿南惟幾中将とかだ

あとで切腹することになってしまった。