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商品づくり(創作物なども含む)が儲かる可能性についての検討

noteをやっているクリエイターの皆様は、何がしの商品(創作物などを含む)をつくって、お金を得たいと考えていたり、また実際に何らかの商品をつくって額はいくらにせよお金を得ている人が多いと思いますが、そのどちらであるにせよ、正直、今より増収を欲している人の方が多いだろうと考えます。
さてでは、商品づくり一般(創作物なども含む)が果たしてどれだけ儲かるものなのかを検討してみたいと思います。
これは、どうしても多少状況一般論みたいなはなしになってしまい、どのくらい儲かるのかなどといったことは、本来個人差が非常に大きく、一般論的に考えるのは難しい事柄なのですが、しかし、ここでは敢えて一般論的にそれについて考えてみたいと思います。
多少なりとも興味を持たれた方は、もう少しお付き合いください。
文の基本骨子は、商品づくりをする人々をめぐる状況一般についての考察です。



①人々の財布の紐は当然きつくなる(可能性が高い)
自治体の最低時間給は、ここ数年引き上げられていますが、ことしの秋に消費税増税が控えています。増税直前には、トイレットペーパーなどの必需品を中心に人々の買いだめが予想されるため、消費は上向くでしょう。しかし増税が施行されて3ヶ月も経過すれば、余程特殊なことが起こらないかぎり、人々の財布の紐はきつくなるでしょう。
先ほど、自治体の最低時間給のはなしをしましたが、これは、知らない方は少ないのではないかと思われますが、昨今では、月給ではなく時間給商売をしている人が増えています。つまり、サラリーマン以下の経済生活を強いられている人が増えているわけです。
この状況は、企業のAIの導入や合理化などによって加速こそすれ、逆転する可能性は少ないでしょう。
つまり、サラリーマン以下の経済生活に転落する人は、増えこそすれ減りはしないだろうという見通しです。
またサラリーマンの所得も、これは会社や個人によって差が大きいでしょうが、伸び悩んでいるケースが多いようです。
これらのことを考えに入れた場合、人々の財布の紐が、2・3年後に今より緩くなるだろうという前提で行われているビジネス(商品つくり)は、結果はどうなるでしょう。
余程特殊なことが起こらない限り、人々の財布の紐は、今より緩くなることはしばらくないと考えるのが妥当ではないでしょうか。
もちろん、これは一般論でしかありませんので例外はあるでしょうが…

②商品づくりは、一部の勝者を除き、ボランティアに近づいていく(かもしれない)
商品づくり自体は廃れないでしょう。いわゆる接客を含むサービス業は苦手とか、処世術で神経をすり減らす生き方は嫌だという人も多く、商品づくり(創作物も含む)は多くの人にとって、まだ魅力的な世界なのです。
実際、良心的な商品(の開発)を追求して魅力的な商品を作り出す主体は、今日の日本でも決して少なくないでしょう。
使い心地のよい長持ちするタオルですとか、履き心地のよい靴とかを作る人はいるのです。
問題は、今日では平均的サラリーマン以下の生活を強いられてる人が多いため、作るのにかかった手間ヒマや原価に見合った価格以下で販売をすることを強いられる主体も増えるのではないかというところにあります。
それはつまり、よりボランティアに近づいていくということです。
人々が、そもそもお金を持っていないのであれば、原価の4~5倍の価格設定が可能な、いわゆるおいしい商売ができる主体の数は限られてくるでしょう。

③金を持ってない主体は何に金を使うか?また何をやるか?
金を持ってない主体が何を買うかっていうのは、普通に考えれば、まず衣食住に関連したことですよね。もちろん個人差はあるでしょうから、noteの月額マガジンを購入したりオンラインサロンをやるために、あのラーメン大好きの小池さんみたいに三食インスタントラーメンをすすっても構わないんだ、という人もなかにはいるかもしれません。でも消費者の一般行動を普通にマーケティング的に捉えれば、踵に穴が空いてる靴下を放っておいても、壊れて買い替えるしかなくなった洗濯ハンガーを後回しにしてでも、noteの月額マガジンやオンラインサロンを優先する人は、やや例外的といえるのではないでしょうか?
収入が減っても、人が払う金っていうのは普通に衣食住に関連したことですよね。
では、金をあまり持ってない主体が、何に優先的に金を使うかが分かったところで、つぎに、金を持ってない人はじゃあ何をやるか?
金を持ってなくても、スマホを持ってないという人は高齢の方々を除くと少数派かもしれません。ここでははなしを一応noteを読めるような環境、すなわちスマホやタブレット、パソコンは持ってる人に限定します。そういう人が何をやるか?
知人と交わるのに居酒屋へ行くか?
金が無いんですから、居酒屋へ行くのは欠席を断れない送別会とか、若い人で、またシングルの人で合コンが目的になる人とかに限られてくるような気がします。
いや、まぁそれはともかく、金がなければ、SNSをやるでしょう。
noteも1/3くらいはSNSやブログとして機能してるとみてよいでしょう。
もちろんSNSで知り合った人とオフ会をやろうみたいなはなしは増えるのかもしれませんが、同じ人と3回以上やるのはレアなケースかもしれません。
金がない人は衣食住を中心としたことにそれをまわし、よけいなモノやサービスを購入したりはせず、また他者との交流はSNSが中心となるでしょう、というのがこの段落の主旨です。

④商品(特に創作物系)は、やはり依然として飽和気味(ではないだろうか?)
商品(創作物を含む)を作ろうとする人はそんなに減らないでしょう。
先ほども言った通り、サービス業や処世術の世界、または日がな一日単純労働がつづく世界は嫌だ、向いていない!という人は多いですし、そういう人がモノづくりの世界を目指すのは不思議ではないでしょうし、創作の世界を目指す人の数は少なくとも減ってはいないようです。
サラリーマンが安定だなどと考える人も減っているでしょうから、なおさらです。
しかし、そうすると一部のカテゴリーを除くと生産物は飽和してしまいます。
供給の過剰は経済学ではデフレと同義です。
モノがあふれるとモノ一個一個の価値は普通は下がるのです。
デフレ経済とは、平成において私たちが経験したように、その象徴は100円ショップ、100円均一みたいな世界でしょう。
レディー・ガガだとかアリアナグランデ、「ONE PIECE」とか「相棒」みたいな勝ち主体や勝ちコンテンツ(脈略がなくて分かりにくい例だったかもしれませんが、時流に疎く、また歳なもんでスミマセン)そういう勝ちな人や勝ちなコンテンツを除けば、100円払ってもらえればまだマシという状況の人が増えるんじゃないでしょうか?

⑤商品(創作物を含む)をつくることに専業的にかかわれる人は、それでもやはり限られてる。
多くの人は才能の有無以前に、商品をつくることに専業的にかかわれません。それは一般の労働や仕事があるからだったり、父母の介護や子供の面倒を見なければいけないからだったりします。また、趣味や関心が多岐に渡るためだったり、友人づき合いを優先するためだったり、家に一日中缶詰だとノイローゼになるとか、仕事場的な環境が様々な事情で整わないからだったりします。しかし、じゃあ、たとえば小説家になりたいとして、その人が先天的な才能が仮に(仮にですよ)東野圭吾や池井戸潤あたりの人と同等だったとしましょう。ではしかし、専業的にかかわれる彼らと、専業的にはかかわれない自分とでは結果はどうなるか?
もちろん、小説を書くのとは別の仕事を片一方でやってる方がネタに困らなかったり、却ってうまく行くケースも皆無ではないでしょうし(芥川賞受賞者だと、執筆の一方でコンビニの店員や会社員をやってるケースもたまにあります。これは純文はそんなに売れないから専業は難しいという見方もできます)また副業的に何かを始めて、次に兼業に、そしてついに専業として独立…というパターンも確かに最近増えています。
しかし、才能や他の条件が同じだと仮定してみても、では、かかわれる時間が少ないのは、それはやはり普通に考えれば不利じゃないでしょうか?

以上の5段落で本文はおわりです。
少し悲観論を述べてしまったので、創作で儲けることを考えている人や、夢見ている人の怒りを買ってしまったかもしれません。もし怒りを買ってしまったならごめんなさいですし、この記事のことは忘れてしまって構いません。また、透徹した現実主義者で、ここに書いたようなことはなにを今さらというんであれば、とんだ時間の無駄になってしまったかもしれません。そうでしたら、その方々にもスミマセン。
楽観主義はもちろん大切ですし、そのほうが気分も明るくなりますし、そうすると、そのほうが健康にもよいかもしれませんし、また勝利を呼び込むのは一般状況に捉われない盲目的情熱だったりする場合もあるでしょう。
しかし、私たちの多く(または何割か)が抱えている、または当てにしている不気味な楽観は、ごくたまには、それとは反対の観点から修正を計られるなり、その楽観をけん制する視点を1/5くらいはどこかに持ってた方がよいような気がして、あくまで一般的な考察に過ぎませんが、商品(創作物を含む)をつくることは、この先どの程度儲かるのかについて考えてみました。もちろん、才能や運、努力の量や質、また先天的な器用さやセンスなどの有無によって個人差は大きいでしょうから、「オレ、ハッキリ言って、noteの課金マガジンからの収入だけでも、ごく普通のサラリーマンが腰ぬかすくらいの月収があるんだけどね」という人も中にはいるでしょうし、また夢とか何かを諦めることをすすめているわけでもありません。

では最後に、もう一度ざっと内容を振り返ってみましょう。
まず、消費税増税があり、最低時間給みたいのは少し上がっても、時間給商売をする人の数が増え、サラリーマン以下の生活を強いられる人は増えるだろうというのが第一段落。
つぎに、サラリーマン以下の生活を強いられる人の増加によって、ものをつくる人の多くは、ほとんど儲けがないような価格設定を強いられる可能性もある、つまりボランティアに近くなるのではないか、というのが第二段落。
金をもたない人は、何に金を使うかといえば、どうしても衣食住に集約されるものに集中し、また金をもたない人は居酒屋へ行くよりSNSをやるのではないかというのが第三段落。
商品(創作物なども含む)が飽和状態になれば、デフレが起こり価格は凋落するだろうというのが第四段落。
兼業や副業でうまくいっている人もいるけど、やっぱり、それにかかわれる時間が少なければ一般的には不利で、できることも限られてくるのではないかというのが第五段落。
以上が一般経済状況と絡めた、わたしが個人的に考えるモノづくり(創作物なども含む)が今後どのくらい儲かるかについての見通しです。

人の夢に小便をぶっかけるみたいな真似は止めてくれという人もいるかもしれません。でも僕がやりたかったのは、夢を追いかけている人や実現している人が癪に触るから水をぶっかけたかったというわけではなく、むしろ、それぞれの夢を実現するために、冷静に状況を把握してみたらどうだろうと、不気味な楽観とその反対の悲観を行ったり来たりしている自分への戒めみたいな意味もこめてこの記事を書きました。
もちろん私の見方が唯一ではなく、むしろ見る人によっては完全に誤っている場合もあるでしょうし、作ってる商品や、何をどう売りたいのかによっても全然状況は変わってくるでしょう。たとえば、あなたの提供しようとしているモノやサービスがアリババやテンセントも腰を抜かす程画期的なものであれば、私の述べたような一般論は何の意味も持たないでしょうし、また目の前に置いたかござるに、いつか粉雪や桜の花びらが舞い落ちるみたいに金がそこへ降ってくる期待を持って暮らしたほうが人生たのしいというんであればまたこの限りではありません。
しかし、世の中の7割5分は凡人なのだと仮定すれば、私の述べたような一般論にすぎないようなものも全く意味なくないでしょう。
もっとも何度も言うように結構オレ儲けてるぜ、という人にはあまり関係のないはなしでしょうが…
自分が持ってる期待や野心は一旦置いといて、商品づくりとその売買や一般経済状況を大雑把にでも把握しておくことは、あとあと楽観故の誤算が生じるのを防ぐための手立てになる場合もあるでしょう。

ここまで御一読ありがとうございました。

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