全責任は芸術監督に在り??

問題になっているあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」についての大村知事の答弁があった。
しどろもどろでどうにも要領を得ないが、要約すると、こういうことだろうか。

「展示内容については津田監督が全責任を負っている」
「展示内容については事前に把握していた」
「自分は憲法21条の制約により、展示内容について強制力を持ち得なかった」
「今回の騒ぎに発展したのはSNSで拡散したやつが悪い」

つい先日まで強気の答弁を繰り返していたが、一気にトーンダウンしている。
ツイッターも最近のつぶやきを削除したようだ。
責任を芸術監督に押し付け、保身に必死の様相である。

■責任者はだれなのか?
津田監督に相当の責任があるのは確かだろう。
しかし、県が主催するイベントである以上、最終責任者は知事であるはずではないのか?

事前にやり取りがあったことを認めているので、津田監督の独断ではない。
仮に独断であったとしても、大阪府知事や名古屋市長にけんかを売ってまで擁護を続けたのだから、主催者代表として展示内容を改めて認めたということになる。

SNS云々は論外だ。
市民に広く周知されるとまずいような内容なら、そもそも公共事業としてやるべきではない。

■表現の自由と検閲
大村知事がしきりに口にしているのが「表現の自由」と「検閲」だ。
大阪府の吉村知事の批判に対しては「憲法21条についてまったく理解していない」「哀れだ」と返し、自己の憲法理解について強い自信を見せた。

まず、「表現の自由」は「(公共の福祉に反しない限り)表現を不当に妨げられない権利」であって、「公費で表現の場を提供してもらう権利」ではない。

また、検閲について最高裁判例では「憲法二一条二項にいう「検閲」とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである。」としている。

禁止されているのは「網羅的一般的に発表を禁止すること」だ。
当然だが、個々の展示会について、主催者がその展示会の趣旨に基づいて展示品を選択することを制限するものではない。

名古屋市の河村たかし市長が指摘するとおり、『公共事業としてふさわしくない作品への便益供与を中止することは憲法が禁止する「検閲」とは関係ない』のだ。

大村知事は保身のために憲法21条の理念を捻じ曲げ、責任回避の盾にしようとしている。
表現の自由を守るためにも、このような暴挙・詭弁は厳しく追求すべきだろう。

■大村知事の進退は?
県が主催するイベントの責任を持てない知事、保身のために憲法の理念を捻じ曲げる政治家、そんな人間が愛知県のトップでよいのだろうか?

愛知県の有権者の方々、県議会議員の皆様には、この機会によく考えて頂きたい。



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