「同じ穴の狢」

英語の授業で"Rolling stones never gether moss."ということわざを習ったのを覚えているだろうか?
このmossだが、イギリスでは地位や風格、技術や経験などのメタファーとして肯定的な物と捉えられている。しかし、アメリカでは同じmossが腐敗や停滞のメタファーとされており、ほぼ真逆の意味合いのことわざになっている。

こういった言葉の変化は中国と日本の間でもやはり起こっている。「紅一点」「時は金なり」「病は気から」など中国由来の言葉が日本では本来の意味と違う使われ方をしている事をご存知の方も多いだろう。

「同じ穴の狢」は一見すると違うもののようだが本質的には似たような者である事を、一般に”同類のクズだよ”と見下すような場面で使う。だが、単純に同居人という意味合いであるなら、悪い意味合いに限定する必要はあるのだろうか?

中国でどういう意味合いで使われていたのかを解説する記事等は見つからなかったので、私なりにちょっと考察してみたい。
本来の意味合いについて知っている方、或いは解説しているサイトなどをご存知の方がいらっしゃれば、ご教示いただけるとありがたい。

直訳的解釈

まず「狢」とはなんだろうか?
日本ではタヌキ、イタチ、テン、ハクビジンなど地方によって指すものが違ったり、それらの総称として使われる言葉であるようだ。猟師や動物学者でもなければそれらの区別はつきにくいだろうから、ごっちゃになってしまうのも仕方ない。
ただ、中国では本来はタヌキを指す言葉であったそうだ。

ただ、タヌキは自分で巣穴を掘る事はない。その代わり、アナグマの巣に居候する事はしばしばあるそうだ。「同じ穴の狢」は直接的にはアナグマの巣に居候しているタヌキを指しているという。

では、このタヌキは何のメタファーなのだろうか?
単純に考えるなら、居候とか厄介者という意味なのだろう。そういう事であれば悪い意味合いになるのは分かる。
だが、日本での用法に従えば自分で頑張って巣穴を作ったアナグマまで同類のクズ扱いされる事になってしまうので、やはり何かしら意味の変遷が起こっているように思う。

少し話がそれるが、アナグマはタヌキを厄介者と考えているのだろうか?
アナグマは巨大な巣に数世代で同居しているというから、圧倒的な数的優位があるはずだ。また、アナグマは種類にもよるのだろうがだいたい10kg前後、タヌキは5kg程度であり、体格的にもアナグマのほうが大きい。
その状況でアナグマがタヌキを追い出さないと言う事は、実は仲良くやっているのかもしれない。
その辺りも詳しい方がいればご教授いただけるとありがたい。

人の視点を加えてみる

人間にとってアナグマとタヌキはどういう存在だろうか?
タヌキがアナグマの巣に居候していると言っても、人が入れないような小さな巣穴の中の様子を人間が観察する機会などそうそうないはずだ。一般の人間がタヌキを居候と認識する事は考えにくい。

私は食べた事がないが、アナグマの肉は非常に美味な高級食材であるらしい。ヨーロッパにはアナグマ専用の猟犬までいるくらいだから、よほど美味しいのだろう。機会があればぜひ食べてみたいものだ。
一方で、タヌキの肉は臭みが強く、かなり不味いそうだ。

中国の猟師たちもきっと頑張ってアナグマを捕まえようとした事だろう。
ところが、いざ捕まえたと思ったら、ちょくちょくタヌキだったりするわけだ。猟師の視点からすれば、苦労した末にハズレを引いてしまった状態になる。おそらく「同じ穴の狢」はこの状況を指しているのでは無いだろうか?

「同じ穴の狢」とは?

結局のところ、このタヌキは何のメタファーなのだろうか?
とりあえず、よい意味でないのは間違い無さそうだ。
「良質な狩場に潜むハズレ」「価値のない苦労の成果」「成果物の中に混じった不用品」「よい方法でも起こりうる失敗」と言った所だろうか。

だとするならば、本来は人を蔑む場面では無く、「1度の失敗で諦めちゃだめだよ」とか「たまには失敗する事もあるよね」と言うような文脈で使われる言葉だったのかもしれない。

「同じ穴の狢」という言葉の用法と字面の間に違和感を覚えたので私なりに考察してみたのだが、皆さんはどう思われるだろうか?


いただいたサポートは旅費と撮影機材にあてたいと思います。もし余剰があれば福岡・熊本・鹿児島いずれかの自然または文化財の保全のために寄付いたします。