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ちょいと富士山。

インフルエンザで衰えた体力を回復しなければと、ご無沙汰していた富士山に登る。3.776m位はあろうかと思われるその山は城址公園の中にあり、山頂まで十数段の階段を登らなければならない。その艱難辛苦を乗り越えた先には見渡す限りの雲海、もとい田園風景が広がっている。

と与太話はさておいて(といいながらこの後も与太話しかないような気もする)、お察しの通りいわゆる全国各地にある富士塚なのであります。江戸時代はここに富士山をご神体とする浅間神社があり、明治時代城外に神社が移築されこの築山が残ったということらしい。実際晴れた日には遠く富士山を望むこともできる。

富士塚が全国にどのくらいあるのか知らないが、最古とされる富士塚が1780年江戸の高田水稲荷の境内に建てられたものと言われているようなので案外新しい。庶民への旅行の広まりとともに富士信仰も盛んになるわけで富士塚ブームなんてのも起きてきたのだろう。実際の富士詣にも「御師」がいてツアコンの役目を担っているのはお伊勢参りと同じ。

さて城址公園の富士塚から見える田園風景は、それはそれでなかなか見事だ。このあたり太古は大きな内海が広がっていて人が水辺に集まっていた。なのでこの界隈は滅多やたらと遺跡が多い。ちょっと工事でもしようものなら貝塚からなにやら出てきて、その都度調べてはもとに戻しと大変なのだ。左端に突如として現れる夥しいロードサイド店は見なかったことにする。うん百年あとにはこれらが遺跡として発掘される。

富士塚からの眺め。この日は大雨のあとで湖沼のようになっていた。

ほんまものの富士山と言えば、何だかんだその裾野にはずいぶん出かけている(登山はしないので、登ったというのは五合目までクルマで行っただけ)。千葉からの小旅行にはちょうど良い距離で、ある時は氷穴で寒さに震え、ある時は山中湖の温泉から夕暮れの富士を眺め、雨がそぼ降る忍野八海を歩き、牧場でアイスを頬張り、奇石博物館で宝石探しに興じ、十国峠で左に駿河湾、右に富士の片袖を見た。高校1年のクラスでは有志で富士急ハイランドへスケートをしにということもあった。東名や中央道を走っていて富士山が見えないとちょっと損したような気分にもなる、立派に俗な富士好きなのであります。

2015年5月、河口湖からの富士山。湖畔に宿をとった2泊3日の間、雲一つない富士山を眺め続けられるという僥倖に恵まれた。それはそれで「絵葉書でよくない?」という完全なるが故の物足りなさがムクムクと頭をもたげるのはへそ曲がりの常である。

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