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愛犬ロックのこと。

小学校低学年の頃に暮らしていたのは空きが出来てしまった校長官舎。マイホーム志向が高まりこういう官舎というのも廃れつつあったが、誰も住んでいないというのもいかがなものかと格安で借りることができた。木造の平屋建てだったが部屋数も多く、広めの庭と洋風の別棟まである。わが家も親が持ち家を考えていたので、資金を貯めるにももってこいの話だった。

ある日、父親が知人の飼い犬に子どもが生まれ1匹どうかと言われているがどうかと聞いてきた。一度犬を飼いたいと思っていた私は真っ先に「ほしい」と手をあげ、家族の反対もなかったのでトントン拍子でわが家にお迎えすることになった。犬を飼うにあたり父親は庭の隅から隅までトロリーバスの架線のように針金を張り巡らせ、犬が庭じゅうを動き回れるようにした。これが後に徒となるのだが、こういう時の父親の動きは早い。犬小屋もできて万事準備はぬかりない。

やってきた犬は茶色い毛をした中型の雑種。ちょっと精悍な風貌が今は亡きカヌー犬ガクを思わせる(ガクが存命の頃、ほんとうに「カヌー犬はいますか」とペットショップにやってくる人が何人もいたそうな)。さて名前はとなってこれも私が迷いなく「ロック」といってあっさり決定。ロックンロールだったのかアイアムアロックだったのか、はたまたロックダウンだったのか不明だが小学校低学年の耳にテレビあたりから心地よく入ってきた単語だったのだろう。

中心となって面倒を見るのは名付け親であるのは当然のことで、食事の世話、散歩とはじめは張り切ってやっていた。ところが持病の喘息が悪化してくると散歩がどうしても滞りがちになってくる。もちろん父親が代わることはままあったのだが、毎日というと無理がある。ここに心の悪魔は入り込むわけで、庭に縦横に巡らされた針金があるしという甘えがムクムクと立ち上がる。本人(犬だけど)も相変わらず懐いてくれている、二人の関係はうん、大丈夫だと。

朝起きるとロックが6匹の子どもを産んでいた。いつの間にやらオトコが出来ていたらしい。ここでも父親は手際よく2匹を残して4匹の譲渡先を決めてきた。頼りない名付け親もしばらくはまた気持ちを新たに世話焼きに精を出していたのだが、それもつかの間、ある日彼らは忽然と姿を消し外された鎖だけが所在なげに残っているのを目の当たりにする。近所を探したが手がかりもつかめない。父親はこういうときにはいたってドライで、あきらめも早かった。

きっとロックは「お前はこんなところにいちゃいけねえ。俺と旅に出よう、もちろんこの子たちも一緒だ」と言われたのだ。もう半世紀以上も前のことなのに、未だに心の奥に澱のように沈んでいて溶けて流れる気配はない。お前に動物を飼う資格はあるのか?と。


見出しのイラストは「あさのしずく」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。


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