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ポカリズ・センス・アポカリプス・センス・デッド・デッド・デーモンズ・デッド・スウェット

ポカリスエットの新しいCMがすき、超すきです。これ。

https://youtu.be/DLgwtT14ZoY

先日偶然YouTubeで見て、そっからドハマりしてずっと聞いてて。なんならこれぞ今やりたいことだって、映像の友達に連絡したら「できるよ」って言われて、いそいで歌詞書いてみたいな。
で、不意にSNSの反応をみると、炎上とは言わずもどっちかというと賛否の「ぴ」でなんかわれに返るみたいな。

高校生が自粛中を思わせるスマホの自撮りで、ラップと合唱を合わせたような、凄くセンスのいい楽曲をみんなで唄う「1分」の動画。めちゃめちゃいいセンスほんと。
無論、某有名広告代理店が主体となったチームが制作してるのも納得の事実。

歌詞がまず良くないですか? ラップもなんかダサかわいくてちょうどよくて、決めてくるところ決めてくるし、歌い上げるボーカル部分も。「仰げば尊し」を差し込んでくるのも、そっからまたみんなでラップに戻る展開も全部。「グっ」が詰め込まれてる。ピアノ?オルガン?も最高、すき。
高校生の爽やかさとか、屈託のなさが、この自粛自粛の閉じ込められた自分達に訴えかけてくるみたいな。いまの学校いけない子たちの気持ちとか勝手に想像して、卒業とか、入学とか。全部。なんかもうほんと、ほんと感動したんです。 これぞ私のいま求めているものだと。

同時に「ぴ」の部分にも全賛同できるくらい確かにっていう。
いっぽ引いて見ると全部にドン引きするくらいの過剰な超ハイセンス。「感動する」が「感動させられている」にスライドするだけで、こんな自分がブレるかってこわくなった。 センスが良すぎるってことか。大人の作る、究極の商業センスを子どもが仕事でやってて、もちろんちゃんと大企業の広告として商業的役目も果たし、時世に沿った、描かれるは有り得ないほどの青春と偽善。
己の高校時代のポジションとかで見方も大きく変わるっていうのも納得。

同時に、作品に戻ったとき、これって普段私が作っている演劇とだいたい一緒なんだなと自認。そしてこういう風に見えてるんだろうなと納得。自認と納得の繰り返し。自認も納得だから。納得の繰り返し。連続する納得。 ただ作ってる私にはセンスがないのと、金稼げてないのと、企業と関わりがないってことだけ。あと「劇場」の存在もでかい。「劇場」で、生で、足を運んでくれたお客さんと一緒に過ごしてるからなんか。一緒のようで、全く一緒ではないのか。わからなくなってくるどんどん。
でもやってることは同じなんじゃないかと私は思って。私たちもこういう風に見えるんだろうなと思って。でも世間的に認知されてないからこんなこと無意味といえばそれまでで。でもそういう話じゃないのか。考えるほどわからなくなってきた。

いやなんだっけ書きたいことが、それた。
そうです。ここまで考えてきてもやっぱりあのCMがすきで。音楽も歌も合唱もぜんぶ超すきで。
超すきって思わせるデンデンの商業テクにまんまとイカされてる私は、そもそも感動しいの感動ヤリ●ンなのだから、何見ても簡単に涙流すし、胸アツになるのだから、小中高とヤンキーでも引きこもりでもない個性も何もない何もでもないあれなのだけど私は。
けどきっとあのCMをやってる子たちはもっと冷静で。もっとあれは「チックトック」的なものなんだと。チックトック?ティックトック?ティックトック? だと思った。あの世界線。
「ぴ」も炎上も「まあそうだよね」ってそれくらいすでに受け流せそうな空気感がすごい。
「やらされてる」のもちゃんとわかってる、「そらそうでしょ」「だからなに?」って世界なのだと思わされる。 だからすごいかっこいい。じゃないとあんな「サイゼリア」とかでチックトック撮影できないよな。すでにメンタリティの存在する次元が違う。
演じる。演じてる。演じ分ける。その「精神」の置き所が、私たちの知らないレベルにすでに到達しているんだと思う。

いま苦しくて。
ひとりの時間が長すぎるとひとりが平気だった自分すら繋がりたくなっていて。
その為にはこの何をするにしてもスマホやPCを通してSNSに広がる、「この世界」に発信する、ためにはその為には、「センス」が必要で。「センス」が問われ、「センス」が試され、「センス」のないものは存在しなのと一緒みたいに。 そこまでじゃないか。いやその領域に確実に近づいてて。もしくはもうずっとそうだったか。それが浮き彫りになっただけ。だけなのか。そうなのか。この試されセンス生活よ!

とにかく「センスのない人間」には本当に苦しく生きづらい世の中になりましたね。苦しいですねと。
かといってセンスなんか急に育たないよな! 絵みたりとかか?花みたりとかか?
こんなことになるんだったらもっと自粛前にセンスを磨くべきでした。
むかし「m-flo」をライブで観たとき、「m-flo」レインコート着てたよ。 透明の。雨降ってないのに。 ってかクラブの中なのに。屋内!あれがセンス!センスですか!そうですアレがセンスです!な!
センスいい音楽聞いて、センスいい映画見て。センス。どんどん追い込まれてゆく。どんどんです。センス。どんどんどんどん自分がやることなすことわからなくなってきて、どんどんどんどん自分がいなくなるように感じていく。センス。
センスに殺される。 センスに殺される。
ナンセンスにいきたくてもあれもっと高等技術じゃないか。ナンセンス。センス!
ナンセンスのためにまたもっとセンスがいるってなんだこれは!センス!
センスに殺ラレル!

ポカリのCMのあの子たちの、あのセンスに憧れる。あのセンス渇望する。 演じきる精神力を。
きっとそれはこのSNS時代を小中高「学校」で過ごすっていう、到底私には想像できないそのメンタリティの闘技場みたいな。私には生き抜けぬけない、その過酷な現状で生きているあの子たちが発狂しないために身に付けた「マーシャルアーツ(武芸)」なのかもしれないですね。その死線で鍛え上げた姿勢。
冷静な思考と冷ややかに自他を見つめるあの視線に憧れる。そのセンスを渇望する。

最高の演者(ウォーリアー)と、最狂の制作人(フィクサー)が作ったCMなんだから、
そこに普通のセンスのないオジサンが抗おうなんて無意味でした。血塗れになる所でした。
感動したんです。 本当に。何回聞いても、何回聞いても。何回聞いてもグッとくるんです。
これって最高のエンターテイメントじゃないですか?

そんで聞けば聞くほどに自分がわからなくなる。
もっとわからなくなる。
殺される。
センスに殺される。

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