見出し画像

「またどこかのオケで」という挨拶が愛しい

別れの挨拶には色々な種類がある。

次も会えることを期待した「またね」と、もう会えないことをほのめかせた「さようなら」と、寂しさと名残惜しさを感じさせる「バイバイ」。

ビジネスの場で使われる「失礼いたします」、日常的に会う友人への「お疲れ」なんてのもそのひとつだ。

そんなふうに世の中に無数にある別れの挨拶の中で最近、より愛しいなと感じるものがある。

「じゃあ、またどこかのオケで」

同じ世界に生きる名前も知らない人へ

何もこれは「オケ(オーケストラ)」などの楽団に限った話ではない。

ゲームやスポーツなら「大会」に置き換えられるし、絵画や写真なら「展示会」、技術者や研究者なら「学会」「勉強会」などにも置き換えられるだろう。

実はオケの中で出会う人に関して言えば、連絡先どころか相手の名前も年齢も知らないことの方が圧倒的に多い。

そんな、普通に生きていれば再会の可能性なんて一切ない相手に対して「また」と言うなんておかしな話だと思うだろう。だが、これは通常使われる「またね」とは違った意味合いを持つ挨拶だ。

「同じ世界に生きているのだから、いつかまた同じ場所で会えますよね」

"決して失われることのない鮮烈な共通項がひとつある"

ただそれだけで、世辞ではない挨拶を確信を持って口にすることができるのはとても幸せなことだ。

「じゃあ、またどこかのオケで」

それが5年後、10年後だとしても構わない。

私はその挨拶を交わす瞬間がとても寂しく、愛しいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?