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兵頭 裕(死トゥルフ神話②)

関西ラジオ「松原タニシの生きる」
死トゥルフ神話のコーナーに投稿した作品です。


俺は兵頭が怖い。

言葉にできないが怖い。
事務所の先輩や後輩、マネージャーや現場のスタッフは誰も気づいていない。
兵頭の中の何かが怖いのは俺だけだ。

水曜日。
だから俺は兵頭をある場所に誘った。
「えー…そんなんスタッフさんと行けばええやないですか。なんで僕なんすか」
「スタッフにドッキリを仕掛けたいからそのロケハン」と、渋る兵頭をなんとか連れ出すことに成功した。

夜の東尋坊は人はおろか、動物でさえ近づかない。
更に幸運なことに、今夜はゲリラ豪雨が発生している。
この激しい風雨の中ではどんな音も掻き消される。

それが悲鳴であっても。

「タニシさん、何するんすか。
シャレになりませんて」

口の端を歪め、兵頭は取り繕うように笑う。

「すまんな兵頭。ただお前が怖いんや」

二の句を与えず俺は兵頭を暗いところへ突き落とした。
兵頭は何かを叫んでいたが、この風雨の中では何も聞こえない。

これで良かったのだろうか。
いや、後輩を手にかけたのだ。
せめて自首をしよう。

ずぶ濡れの赤いレインコートはやけに重く、まるで兵頭が裾を引っ張っているようだ。

ふと、暗がりに淡く光を放つ電話ボックスが目に入る。

いのちの電話。

自殺志願者最後の救いの光に、俺は吸い寄せられる。

扉に手をかけたところで

「ジリリリリリリリリリー…」

いのちの電話に誰かがダイヤルをしている。

「ジリリリリリリリリリー…」

この風雨の中でも電話の音は周囲に鳴り響く。
それが時折、兵頭の笑い声に聴こえて、俺はその場を逃げ出した。

木曜日。
いつもと変わらず仕事をこなした…はずだ。

金曜日。
番組プロデューサーからのLINEで目覚める。
兵頭と連絡がつかない、至急連絡を取りたいが何か知っているか、と。
兵頭は放送作家でもあるから、秋に控えたイベントの連絡だろうか、ああ、今夜は生配信があるのか。
わからない旨を伝える。

俺は兵頭のことなど知らない。
あの夜を知っているのは俺だけだ。

移動中、グループLINEにメッセージが入る。
「予防接種の副反応で寝込んでました。
連絡できなくてすみませんでした」

兵頭だ。

なぜ?
誰が?
マネージャーがふざけているのか?
思考がまとまらない。
頭がクラクラする。

それでもお構いなしに、通知は続く。
震える手をおさえ、俺もそれに加わる。


土曜日。

かつて経験したことがないほど足が重い。
だが、スタジオに向かう。
嫌だ。
行きたくない。
しかし、確かめなければならない。

「タニシさんおはようございます」
スタッフの挨拶を掻き分ける。

楽屋の端、いつもの場所に兵頭がいた。

「あ。タニシさん。おはようございますー」

凝視する俺の視線を訝(いぶか)しく思ったのか、いつもと変わらぬ様子で「どうしたんすか」と応えた。

スタッフは慌ただしく配信の準備をしている。
この楽屋には俺と兵頭だけ。

「お前は、兵頭か?」

俺の言葉に一瞬目を丸くしたが、すぐにふふっと鼻で笑う。

「お前が兵頭のわけない。兵頭はあの夜、確かに俺が…」

「タニシさん」

いつもの笑みを浮かべた兵頭が俺の言葉を遮る。

「タニシさん」

「せやからこの前言うたやないですか。
僕は盗まれた人間やって」

うまく息ができない。
お前は何を言っているんだ?

俺は何と話しているんだ?

「本番始まりまーす」

「はーい。今行きまーす」

フロアディレクターの呼びかけに反応する兵頭の顔が、ぐぐぐぐ…っとこちらへ向く。

「さあタニシさん。いつも通りお願いしますよ」


俺は兵頭が怖い。

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