EDHを長く楽しむために必要なことは信念と妥協

皆大好きガチカジュ論争はEDH民の永遠の命題。

ガチ派もカジュアル派も自分にとって「それは楽しくない」と考え対立するのだろうが、本当に意見を押し付け合っているだけなのか?

潜在的に楽しめない理由を持っていて、自分で自分の気持ちの整理を付けられていないのでは、とあえて煽ってみる。

煽りから入ると反論を持つ人は最後まで読んでくれるらしい。

もしも自分自身の問題であれば、ちゃんと向き合って解決することで言い訳無しに楽しめるようになるだろうし。

というわけで、今回は過去の自分の経験を元に、EDHプレイヤーが抱える自己矛盾と解決について考えようと思う。

ガチカジュ論争にも関わってくるが、あえて今この論争に一石を投じる理由は自分自身の心の安全地帯が確保されているから。

仮にレスバになったところで「で、僕は10年以上EDHを楽しんでいるけど、あなたの考え方は10年楽しめるの?」と大抵の人には反論不可能な実績を突きつけられる。

どうせ論争勢は数年後にEDH辞めてるでしょ?

EDH老人の説教をくらえ。

見た目だけで無くフレーバーテキストも魅力的な老人。こうありたい。

勝利を優先するに至ったキッカケ

それはまだ自分が《マローの魔術師、ムルタニ》で統率者21点パンチを楽しんでいた頃。

EDHを友人らに広めていく中で、やるなら本気でデッキを組むと言った一人が《伝国の玉璽》《マナ吸収》《Mishra's Workshop》など高額カードを詰め込んだクソデッキで卓を冷やした。

反発感情を持ちながらも、勝ちたい気持ちもあって、当時レガシーをプレイしていたためデュアラン含めてそれなりにカード資産はあったし、自分も負けていられないとガチガチの即死コンボを目指した。

即死コンボは素晴らしくて、3人を一掃する快感と共にカジュアルプレイが抱えていた“楽しくない”も解決してくれた。

《マローの魔術師、ムルタニ》わーいと殴るまでは良いんだけど、被覆で除去しにくいし早々に一人を倒してしまうと、脱落した人だけ詰まらなくなる。

一人落ちてグダグダして、また一人落ちて更にグダグダして。

負けたプレイヤーはガヤとして盛り上げるけれども、いつまで経っても終わらないゲームに、やっぱり不満が残る。

その点、無限コンボは“優しい”

皆同時にトドメを指す。

変な気遣いは、むしろ不要。

参加者は同時に死ぬので、常に皆がプレイしている状態を続けられる。

次のターンが回ってこれば勝ててたのに…

悔しい気持ちは本気の刺し合いでないと生まれない。

皆が無限コンボにシフトしていくことで、時間当たりのゲーム内容は濃くなってきたと思う。

新たな即死コンボの開拓が楽しくて、競って高額カードを採用した。

最適化されるにつれてEDHが本命では無い人達は脱落していったが、彼らの主戦場はスタンダードやレガシー。

時間泥棒のEDHは競技プレイヤーの息抜きにしては重く、どの道どこかで飽きていただろう。

むしろ結果的にその時に篩にかけられた人達は今も昔もEDHが本命で、他のフォーマットなんてほとんど触らず、長くEDHを続けている。

自分もその一人である。

そのデッキはガチなのか、カジュアルなのか

さて僕はガチデッキを組んだと言ったものの、実はガチとカジュアルの二分は正しくない。

EDHでは『好きな統率者を使って』『最高の勝率を目指したい』という考え方が存在する。

前半部分はカジュアル寄りの思考、後半部分はガチ寄りの思考だ。

多分、多くの人がそんな風にデッキを組んでいるのでは無いだろうか。

もしも勝率を優先するのであれば、好きな統率者ではなく最も強いも考えられる統率者を使うべきなのだ。

僕も《妖精の女王、ウーナ》から始まり今のトラティムに至るまで、この統率者を使いたいというところから構築はスタートしている。

今では考えられないと思うけど、当時は強かった

つまりガチ思考とカジュアル思考は互いに共存するもので、それぞれどれくらいの割合で持っているかはプレイヤー毎に違う。

ガチ思考100%の人。

ガチ80%カジュアル20%の人。

カジュアル90%の人もいるだろう。

ガチとカジュアルの配分は、このように連続的な存在なので、どこかで切って二つに分けても考えの違う人が沢山まとめられる。で、揉める。

パワーレベルには色んな分け方があるけど、結局似たような人がカテゴライズされても完全に一致はしないので小さな齟齬は生まれる。

また、一人のプレイヤーがずっと同じポジションを取り続けるものでも無い。

ガチ100%のティムクラを使っている人が余ったカードで緑単を組む時、残念ながら緑は最弱カラーなのでどんなに勝利に向けて最適化しても、カジュアルさを内包している。

突き詰めてもガチ80%カジュアル20%になってしまう。

自分も含めて多くの人達はガチにもカジュアルにも振り切れておらず、中途半端な立ち位置の特有のモヤモヤを抱える。

次の項以降で更に考えてみたい。

世界が狭い幸せ

自分とその周囲のプレイ環境が全てだとしたら、デッキの最適化はゆっくりと進むだろうし、ガチガチのクソデッキの存在を知ることも一生無いかもしれない。

競技的EDHという禁断の果実を誰も知らず、高いカードは辞めておこうねーとふんわり過ごしていれば、苦悩なんて無かったのかもしれない。

しかし一度ネットでデッキを検索すると、勝率至上主義の完成された美しいコンセプトとデッキ、安定感抜群のマナベースや序盤の立ち上がり、スマートなコンボを見せつけられる。

デッキを弄る以上、知ってしまったことはどうしても意識する。

本当に自分にとってどうでも良いことなら、反論ではなく無視をするはず。

でも、ちょっと気になるんだよね。

僕自身も、勝利を意識したデッキを組むと言ったものの、昨今のEDHの競技的な大会にはほとんど出ない。

一番の理由は仕事や家庭の都合で時間を取れないから。

遊べる一日をなるべく大会に合わせることは出来ても、それだと今度は練習する時間が取れない。

競技的なEDHには凄く興味があるけど、自分はそれが出来ない。

モヤモヤする。

cEDHなんて知らなければ、井の中の蛙であれば、この欲求不満は生まれないのだけれども、ネットを開けば今やそのような情報は大変多い。

時間とお金を掛けて『大会で優勝する』という分かりやすい目標を掲げる人達がいる裏で、自分がこのゲームをプレイする先に何があるんだろうと無駄に考えてしまう。

気持ちの整理をつけないと、やってられないよね。

金銭的な問題

即死コンボを決めたい。勝利を追求し最適化したデッキを作りたい。でも高額カードが揃えられない。

ありがちな話。

デッキによっては数万円クラスのカードが多数採用されるため、完成へのハードルが異様に高い。

参考までにMOXFIELDで自分のトラティムを試算すると$9,796。

1ドル150円として、150万円くらい?うそぉ…

高速化 = 高額化。

《モックス・ダイアモンド》を始め“0マナ”で使えるカードは非常に高額となっている。

他のフォーマットの需要もあって非常に高額

それらを排斥した緑単のギランラ&東の樹の木霊は$3,000ほどで45万円くらいか。

総額のうち1/3が《Candelabra of Tawnos》なのでもっと安く済ませられるけど、それでも高い。

自分の場合は長いことプレイしている間に段々と揃えたし、今より値段が安かった頃に買ったものもあるのだけれども、一息で揃えようと思うと車を買うレベル。

そろそろローンでEDHを組む人が出てもおかしくない。

本当は勝利に向けて最高の逸品に仕上げたいのに、お金というゲーム外部の問題のせいで達成できない。

これは勝率至上主義者にとって大きなストレスだし、勝ちたい初心者の参入障壁となる。

解決するにはお金を際限なく使うことだが、趣味に使える予算もあるし、それが現実的では無いから悩むわけで。

勝ちたいけど買えない、この矛盾を受け入れられず、自分が納得できる理由付けもできず不満をタラタラ垂れ流すと「高いカード使ってるから勝てるんでしょ?」と歪んだ思考になりかねない。

勝つために高いカードは必要だけど、高いカードがあるから勝てるわけではない。

勝つためには沢山の知識と経験も必要。

そんなことは当たり前なんだけど、資産不足をコンプレックスとして持ち続けると、まるで敗北した原因が全てカードが足りないことのように思えてしまう。

相手だけ《モックス・ダイアモンド》を使っているから負けた。

《宝石の洞窟》を持ってないから負けた。

《魔力の墓所》が無いから負けた。

《古の墳墓》を入れてないから…

お金以外にこの問題の解決に必要なことは構築の『妥協』を受け入れること。

自分のデッキにカジュアルな側面を持たせて、あらかじめ決めた自分の『信念』の範囲内で最適化したという納得を得ること。

自分の予算は月○○円まで。

この予算の範囲で最高のデッキを作ろう。

最適化するには何を優先して買おうかな?

高額カードが無い部分は、妥協にはなるけど、こんな面白いコンセプトで代替しよう。

誰も使ってないから、初見殺しでむしろ勝てちゃったりして。

こうやって前向きに考えないと。

実際にEDHは初見殺しの破壊力は高い。

多人数戦の場合、意識されないこと、妨害の矛先を向けられないことが勝ちに直結するから。

ある程度の金額は必要だけど、金銭的妥協は埋め合わせ出来ないことではないんだよね。

カジュアル構築の限界 

さて、金が無いならカジュアル的な要素で誤魔化せと話しておいてアレだが、次に話すことはカジュアル構築の行き着く先の闇。

この罠に陥る人は結構いると思う。

MTGというゲームは、通常は対戦して勝利を求める。

勝率を上げるために夜な夜なカードを入れ替え試行錯誤するのはMTGの醍醐味でもある。

勝利を前提とする場合、構築の最適化には終わりが無い。

相手が別のデッキを持ってきた時や軸をズラした時に新たな対策が必要になるし、新セットにコンセプトを破壊されることもある。《オークの弓使い》おめーのことだよ。

自分が全く変わらなくても、対戦しているだけで課題は自然と提供される。

逆に、もしも対戦相手を自分に都合が良いように制限するのなら、つまり『○○は使われない前提』『2KILLはされない前提』、あれは無し、これも無しなど想定する範囲を絞っていくと、構築の最適化とは何かという根源的な疑問が出てしまう。

自分にとって都合の良い対戦相手を想定するほど、デッキを作る楽しさは減っていく。

なぜならば、究極的には今の自分の構築にどんな言い訳も後付けできてしまうため、これ以上手を付ける理由が無くなる。

ある時この事実に気付くと、もしくは見て見ぬ振りを続けてもどこかで意識させられると、デッキ調整の意義を見失い、冷めてしまう。

カジュアルと言いつつも何らかの形で勝負の決着は付くことが普通で、誰かがたまたま高額カードを手に入れたり、弱いつもりで使ったカードが異様な強さを発揮した時に、カジュアルな均衡が崩れる。

ここで「もう少し勝ちたいなあ」と少しでも勝利を意識したが最後。

最適化されたガチ構築までゆっくりと強制的に進まされ、いや進まないとしても意識はさせられて、ガチとカジュアルの狭間で苦しむことになる。

勝つためには、こんな弱いカード入れている余裕は無い。抜かなきゃ。

でも、このカードは同じイラストレーター繋がりで入れた重要なカードだから残さなきゃ。

でも、勝つためには…

そして中途半端に残した初期の拘りと、中途半端に勝利を意識したパワーカードが入り混じり、いつまで経ってもデッキが完成に至らないモヤモヤした気持ちを抱え続ける。

だって自分ルールでの妥協があるから。

カジュアル構築には、カジュアルの度合いによってある程度勝利を妥協し、デッキの最適化を諦める覚悟が必要。

そして自分の中で「このカジュアルなコンセプトや採用カードは勝利よりも優先される」という強い信念もいる。

この信念が妥協を上回らないと、続けることは難しい。

でも信念を持ち続けることは自分一人の問題でなくて、周囲やたまたま開いたネット記事に影響されたりするので、大変なんだよなあ。

お気に入りの統率者を活躍させてあげられない

お気に入りの統率者を使うことと、勝つことは両立出来るとは限らないし、どちらかと言うと両立できないもの。

でも統率者というシステムは普通のデッキより特別な感情を抱きやすいし、自分の統率者専用のオタクカード、ピカピカに光らせたフルフォイルデッキなど愛着が湧く要因は沢山ある。

そして出来れば愛着のある自分の相棒で勝ちたいよね。

例えば自分はトラシオス&ティムナが好きで、発売以来ずっと、かなり長いこと使っている。

マーフォークって思い入れがあるクリーチャータイプだし、カードを引くのは楽しいし、他にも色々理由はあるんだと思う。

可能な限りフォイル、可能な限り最適化を考えてお金も時間もつぎ込んだけど、嫌いな部分もある。

赤が無いし、大会では制限時間内に勝ち切れない問題もある。

これは勝利を追求する上では大きな障壁。でも欠点があってもトラティム使いたい。

好きだけど嫌い。欠点も受け入れる。まるで恋人みたい。キモ。

しかし赤が使えないくらい些細な問題と思い込もうとしても、相手に《波止場の恐喝者》を見せつけられるたびに意識する。

今からでも対戦相手一人を対象になりませんか?

《波止場の恐喝者》めちゃくちゃ強いとか、新セットのこのカードは《波止場の恐喝者》の対策になる、なんて記事は無限に存在するから、ネットを見れば否が応でも意識させられる。

だからこそ不満な点を上回るだけの利点を見いださないといけない。

騙し騙し使い続けると、いつか不満が爆発してしまう。

自分の場合はフルフォイルという相応の投資をしてサンクコストが高すぎて引くに引けない腐れ縁みたいな気持ちもある。

後ろ向きな理由なんだけど、意外と大事だと思う。

強い意志で以て何かを継続することは難しいし、好きという気持ちは揺れ動くものだから、自分の周りの環境をかえて強制的にそちらの方向に向かせるのも十分な対応策だと思うんだよね。これはEDHに限らないけど。

もう一つ、自分なりのモヤモヤの解決法は、トラティムとは別に赤いデッキを組むこと。

するとどうだろう。

トラティムでの欲求不満は他のデッキを使うことで解消される。

確かに《波止場の恐喝者》は強いし楽しい。

しかし他のデッキを色々と使ってみてもトラティムが一番馴染んで自分に合っていると気付かされる。

残念ながら最上位のスペックでは無いトラティムを最高の強さとして活躍させてあげられない矛盾を、『自分と一番相性が良い相棒である』という確信が上回る。

好きでないデッキは身も入らないし、そうなるとデッキパワーが高くても自分が使って実際に勝率が高いとは限らない。

好きなデッキの方が、デッキパワーが低いとしてもプレイの練度が上がって結果的に高い勝率になる可能性もある。

他のデッキを使っていると定期的にトラティムを使いたくなるし、やっぱり自分はトラティムからしか得られない栄養素があるんだと思う。

もはや統率者と結婚しているようなもの。うわぁ、キモい。

まあでも、ここで言いたいのは『何となく』以外の理由や愛着を見出さないと、妥協や矛盾は超えられない。

僕が自分に課したルールと実践

使いたいと思った統率者は、それが例え緑単のようなティムクラの絞りカスであっても、《むかつき》も《タッサの神託者》も何でもありの環境で使うことを想定している。

だなら対策もする。

ルールに規定されていない行為は対戦相手に強要できないし、すり合わせも難しい。

先に述べた通り対戦相手に求める条件が増えるほどに、言い訳がましくなってデッキ構築の楽しみが無くなってしまう。

しかし構築の発端は『この統率者は面白そう』『このコンボを使いたい』といったカジュアルな思考からスタートが多い。

自分は勝つために必要な要素から統率者を決めていない(勝利から逆算すると今使うならティムクラか黒赤の高速コンボになる)。

トラティムは十分強いと反論する人もいるかもしれないけど、あえて言おう。

勝率優先ならばトラティムは妥協デッキ。

僕はそれらの妥協も受け入れた上で、トラティムを楽しんでいる。

僕が自分に課したルールはシンプル。

・相手に制約は無い

・基本的には勝利を意識して最適化する

・気に入ったコンセプトや統率者を使う

残念ながら、僕は仕事や家庭の都合でEDHに捧げられる時間が限られるので、プレイングや構築でも至らないところはあるはず。

だから限られた対面対戦の機会を有意義にしたいと思い、隙間時間にカードを眺めたり、1人回しをしたり、サーバーを借りて自分のブログを書いて考えをまとめている。noteよりwordpressの方がスマホから書きやすいし

ブログ良かったら見てね。

https://denneko.online/

最近ありがたいことに検索エンジンから見に来てくれる人も増えて嬉しい反面、勝ちたいなら手の内を明かしてはいけないのでは?という新たな自己矛盾に直面してる。

まとめ

ガチにしろカジュアルにしろ、どちらかに振り切って時間もお金も際限なく注ぎ込める人は迷い無くプレイできるだろう。

しかし大抵の人はガチカジュ両方の素質を持っていて『好きな統率者を使って』『最高の勝率を目指したい』みたいな矛盾した願いを持つ。

そして金銭や時間などゲーム外の様々な制約も相まって様々な欲求不満を抱える。

小さな違和感は長いこと触れているうちに大きくなっていき、持続的なストレスになり、いつか不満が爆発してしまう。

長く続ける秘訣はこの違和感に早めに向き合って解決すること。

自分が何をやりたくて、どこまで出来て、どこからは達成できないのかを客観視して、譲れない部分(信念)と諦める部分(妥協)を受け入れること。

上を見てもキリがないし他人と比較しても不幸になるだけ。自分の幸せを見つけないと。

とことん向き合って自分が納得していないと、楽しめないよ。

まるで人生。EDHは人生!

コストの掛かるゲームなので、それくらい覚悟を持って臨んでも良いのでは。

全力で遊んで楽しむためには、単にお金や時間を注ぐだけで無く、自分なりの心構えを持つことも大事だと思う。

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