第五夜 美斗能麻具波比(みとのまぐはい) 前編

 平安時代、下人(召人)に、人権はなかった。下人は貴族の財産とみなされ、所有物である下人の生殺与奪の権は、その主人が握っていた。
 ただし、財産であるがゆえに、下人を巡って争いが起きることもしばしばであった。他人の財産を傷つけることは、所有権の侵害だけでなく、名誉への侵害をも意味したからだ。
 平安時代から室町時代にかけて、下人の所有権を巡るいさかいや、下人同士の争いをきっかけにした貴族(武士)同士の争いは、絶えることがなかった。


 夫は、御簾を乱暴に引きちぎると、拾の体をひっつかみ、投げ飛ばした。拾は部屋の隅へと転がって行く。
「おのれ、下人の分際で、よくもよくも……」
 夫の怒りはもっともだ。妻が下人に寝取られるなど、貴族としては耐えがたい屈辱であろう。
 夫は、灯の消えた高灯台を手に取ると、それで拾を打った。一度ならず、何度も何度も。
「お許しください……」
 拾が、絶え絶えな声で言う。
 私は、ただ呆然とそれを見ていた。
「ええい、許さぬ! こうしてくれる!」
 突然、夫が着物の前をはだけた。屹立した逸物がそそり立っている。
 幾度も打たれた拾は、息も耐えんとしている。夫は、その尻を抱え込んだ。
 私は、夫がしようとしていることに気づき、慄然とした。夫は、拾の尻を犯そうというのだ。
 何と歪んだ、拾への憎しみであろう。
 何と歪んだ、私への嫉妬であろう。
 気がつくと私は、さっき夫が拾を打ち据えた、高灯台を手にしていた。
「鬼!」
 叫んで私は、今しも拾の尻に逸物を突き立てんとしている、夫の頭に、高灯台を振り下ろした。
 火花が飛ぶのが、見えたような気がした。
 夫が頭を押さえて、よろよろとこちらをむく。
「人でなし!」
 私はもう一度、高灯台を振り下ろした。頭をそれ、肩口に当たる。
「ま、待て……!」
 私が三度、高灯台を振り上げると、夫は這って後ろに下がり、距離を取った。
「こ、このあばずれめ! どうしてやるか、今に見ておれ!」
 捨て台詞を残して、逃げ出そうとした夫は、脱げかけた袴に脚を取られて転び、頭をしたたかに打ったようだった。
「覚えておれ!」
 袴を引きずり上げながら、ほうほうのていで逃げていく夫の背中を見ると、私の全身から力が抜けた。
 高灯台を取り落とし、その場にへたりこもうとする私を、拾が抱き留めて支えた。
「奥方さま、私のために……!」
 私たちは再び、固く抱き合った。もう言葉はいらなかった。
 

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