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シリーズ”自分の物語”4・地の底から湧いてくる!

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前回の自分の物語では、いわゆる親や周囲の人間から言われたことや教えてもらったことがそのまま記憶されてゆくのではなく、その前段階で命がそれを精査したうえで記憶されていくことを書きました。つまり親や周囲の人間の言葉をその人間の命が命としての立場で解釈されたことが、記憶として深層心理に書きこまれ、それがベースになってゆくのですね。だから、親から多くの影響も受けますが、しかし物語はその人間独自の世界観に基づいて綴られていきます。

つまりいくら親子であろうとも、そこには全く別人格の自分とその物語が人生において展開されていくということです。ただ問題は、親の物語がひどく歪んでいたり、汚れていたりするとその汚れやひずみとも子供の命は格闘しなければならず、それがそのままか或いはかたちを変えてその子の物語に連鎖していきます。

そしてそのひずみや汚れを抱えた親の心理の根底にあるものは、不安や怯えや孤立感ですから、親がそういう自分の汚れや歪みと戦わずそれに甘んじていると、どうしても自分の同胞として、子どもを道連れにしようとします。そこで不可避的に、子どもの物語が親の物語と一体化したり、或いはとりこまれてしまうことが起きてしまいます。

では子どもの”自分の物語”、つまり子供が独自に収集し記憶した物語は消失してしまうかというとそうではありません。脳は自分が感じたことや命が思い込んだことをチャ―ンと深い深層に記述しています。
しかしそれは、その人間が親との違和に直面し、気づき、自分独自のものを受け入れることにOKをださないと顕れてこないのです。

何かのかたちで子どもに親からの離反や批判が芽生え、さらにそこから”自分のちから”で生きようとし始めた時、親の物語の被膜の下からその子自身の物語が立ち現われて来ます。
つまり人間の命は常に、その人間を生かすためにデーターを集め、いざというときにまるで地の底から湧いてくるように、その人独自のひらめきやアイディアやエネルギーが浮かんできます。
苦しい中でも自分で生きようとしている時やもがいている時にこそ、命は懸命に出口を求めて働いてくれるのです。
反対に他人に依存したり、自分の能力を諦めたりしていたら、それは出てきません。

つまり、命がそのねじれや汚れから懸命に脱出しようとするときこそ、”命がおもいこんだもの”すなわち、その人間が自分でつづった”自分の物語”から時空を超え通俗の属性である、常識や規範やもろもろの既成観念をこえて、その人間の本音や真実が姿を現してくるのです。
子供として、不可避的に自分の内面に巣食ってしまった“親の物語”(親のエゴ)と戦わざるを得ない時や、反対に自分の力を信じ自力で生きようとするときにこそ、脳の中はフル回転になり、命が渾身で応援してくれるのですね。

そしてもうひとつ自分が心得ておかなければならない大事なことは、人間はいつも有限であるということです。人間は、その人間の過去に獲得した知識や経験したことしかわかりません。だから経験したことのない体験は、その人間にはわかりようがないのです。また、観念で獲得した知識もその人間の体験ともに具現化されてようやく知識が実存的な感覚へと転化されるのです。だから人間はいつも自分の過去の窓から未来をながめ、過去を使いまわしながら、判断や決断をしているのです。

例をあげてみると、いくら頭が良くても、セールスをしたことのない人間は、実際に物を売りセールスを体験、経験しない限り、その人間にとっては、物を売ることが具体的にどこをどうすれば売れるのかはわからないのです。

人間は自分が知っている知識と自分が体験したこと以外のことについては、わからないのです。人間とはそういう有限性というか限界を常にもちつつ生きているということです。

その限界をもちながら、常に新しい経験の中をいきなければならないのが人間です。
その時自分の体験していないことを、これまでの体験の中から連想できるファクターを駆使してシュミレーションしながら、新しい経験へと踏み込んでいくのです。そして経験したもの、体験したことが今度はデーターとして記憶化されていくのです。

そのとき未知のことやモノに対しても脳は過去の記憶データーをフル動員し、フル回転しては仮想のイメージを出してくれます。そのことが、いわゆるヒラメキや直観として自分の中に浮かんでくるのですね。その次に、そのことを体験しながら、自分が仮想したことがほんとうかどうかを確認しては記憶していくのです。

人間は常に有限な体験や経験しかないまま、未知の世界を生きなければなりません。それが人間の条理であり、宿命です。だからこそ、常に勇気をもって、ひるまず、失敗や挫折は必定のことであり、むしろその失敗や挫折こそ、次なる未知の世界へデーターとして重要なものになるのです。

脳の中は連鎖反応のインパルスが行きかい、その人間が獲得してデーター化された様々なことが必要な分、動員されて、その命が前進できるように働いてくれます。
そのとき問われるのが何を判断の基軸にするかです。その基軸が不安や怯えや自己防衛に冒されていると、その連鎖がどんどん拡大されていきますが、その不安や怯えや自己防衛が克服され、基軸がいつも自分の主観のエゴや欲に陥らず、客観性の窓をもつことで、命が滅ばないように軌道が敷かれて行きます。そのためにも自分の中の命の理性がしっかり働いていることがとても大切なのです。

自分を生かすために、自分の歪みや汚れを乗り越えて、勇気ある一歩を踏みだすとき、きっと地の底から、たくさんのアイディアやひらめきや、決心が生まれてくると思います。

人生は生きてみなければわからないのです。しかし生きてみればわかってくるのです。

生きるとはそういうことだと思います。


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